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アジア学院ージャガイモ植えながらコミュニティづくり

先週、アジア学院のコミュニティはジャガイモの植え付けを行いました!季節の大切な作業です。これは、新しく到着した学生にとって特別な活動でした。

なぜなら、彼らにとってアジア学院の畑で行う初めての作業だったからです。皆で協力しながら土を耕し、7月の豊かな収穫を目指して種芋を植えました。

冷たい風が吹く中も、学生たちは熱意をもって作業に取り組みました。アジア学院の職員の指導のもと、エネルギッシュに作業を進め、協力しながら進めることができました。皆で力を合わせることで喜びが生まれ、初めての農作業はとても思い出深いものとなりました。

しかし、この日は作業だけで終わったわけではなく、午後は楽しく交流できるゲームを通じてコミュニティづくりの時間を持ちました。

これらの活動は、学生、職員、ボランティアがお互いをより深く知る貴重な機会となり、アジア学院コミュニティメンバーの絆を強めました。笑い声が響き、親しみを感じるゲームや楽しい時間の共有が、この日をさらに特別なものにしました。

また、美味しい昼食の時間も、皆が一緒に食卓を囲み、働いた後の達成感を分かち合う素晴らしいひとときとなりました。

意義ある作業、活気あふれるゲーム、そして美味しい食事が調和し、これからの数カ月を前向きなものにする素敵な雰囲気を作り出しました。

畑で育つジャガイモと同じように、この日を通じて育まれた関係もまた深まっていくことでしょう。アジア学院のコミュニティ精神と協力の姿勢は、作物の収穫だけでなく、友情や共有された経験の豊かな実りへとつながっていきます。

“荒川朋子 行く・出会う #1”: 愛農学園に行く

常務理事としての初出張。4月4日、三重県伊賀市にある愛農学園農業高校(以下愛農学園)https://ainogakuen.ed.jp/

の新学期職員オリエンテーションと職員研修に講師として呼んでいただいた。愛農学園は戦後すぐに私塾から始まった全寮制の日本一小さなキリスト教主義の農業高校(1学年25名)。

門も塀もない開放的な敷地に入ると、木造の校舎、食堂、図書館、職員住宅、少し奥には畑や畜舎が並ぶ。アジア学院から5時間かけて、またアジア学院に戻ってきてしまったような雰囲気だ。

愛農学園とは以前から交流があるが、ここ10年くらいはアジア学院の西日本研修旅行中にアジア学院の学生たちが訪問したり、愛農学園の卒業生がアジア学院で長期ボランティアになったりと人事交流が活発だ。今年度は愛農学園の専攻科(卒業後1年間、主に農家に住み込んで農家の仕事、生き方を学ぶ)の学生をアジア学院で迎えることとなった。

写真は愛農学園高校の先生たち。現在4名のアジア学院長期ボランティア体験者が教師として働いている。アジア学院を巣立った若者たちが、このように素敵に活躍しているのを心から嬉しく思います!

ご存知ですか? 農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー③

皆さんは、アジア学院の学生たちがどのような過程を経て、日本に来るかご存知ですか?

アジア学院では現在、キャンペーンの一環として、学生たちのアジア学院までの道のりを追うシリーズを、4回に分けて連載しています。
シリーズ第3弾は、2023年の卒業生、ピエールとその送り出し団体、ハイチの会の岡 智子さんです。
アジア学院の研修生は、全員が所属団体を通して応募をする決まりがあり、卒業後も同じ団体で働きます。そのため、実際に来日して研修に参加する学生だけでなく、送り出し団体もまた、多く努力と支えの末に、所属するスタッフを送り出しているのです。
普段なかなか知ることのない、学生たちと共に働く、送り出し団体の方々の思いも、ぜひ知ってください。



【ピエール(2023年卒 ハイチ)と岡 智子さんの場合】

ハイチ共和国という国をご存知だろうか?
ハイチは、カリブ海に浮かぶ、イスパニョーラ島西部を占める共和制国家である(ちなみに島の東部はドミニカ共和国)。コロンブスが美しいと絶賛したこの島は、今も美しいビーチが広がり、カリブ海のクルーズ船が立ち寄る人気スポットもあるが、ハイチの会の事務局長、岡 智子さんによると、この国には2つの顔があるという。

歴史に紐づいた、ハイチの抱える諸問題
「ハイチ」という国の名称は島の先住民の言葉で「山々の国」という美しい意味をもつが、50万人いた先住民は、スペイン人の侵略で銀採掘に酷使されて全滅した。その後、アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちが、長きにわたる労苦の末、1804年にナポレオン軍を打ち破り、フランスからの独立を勝ち取った歴史を持つ。世界史上初の黒人共和国の誕生だ。しかし、フランスは独立と引き換えに、ハイチに1億5千万フランもの賠償金を要求し、ハイチは1922年完済という長期にわたる借金返済で財政破綻した。さらに独立後も強国からの干渉は続き、アメリカによる占領、クーデター、そして今も続く政権争いでハイチ国民の生活は疲弊している。

かつては美しかった山々は、スペイン、フランスの植民地支配の下、コーヒーやサトウキビのプランテーションを作るために、大規模な森林伐採が行われ、18世紀には森林が元々の1.5%ほどに、そして現在、残存する森林はわずか1%にも満たないという。このことによって土地が荒廃し、畑は雨のたびに表土が流され作物も育たなくなった。また地理的にハリケーンの通り道であり、自然災害も後を絶たない。

当然、これらのことは市民の生活に大きな影響を与えている。会のウェブサイトに書かれた以下の文章に、私は並々ならぬ衝撃を受けた。
“…例えば、日曜日に「さあ何か食べよう」と思って家の中を見渡し、コーヒーを飲みます。1日に口にするのはそれだけ。そしてみんなで会話するのです。「そういえば、肉を最後に食べたのはいつだったっけ?」と。”

「農業で今日のいのちを守り、教育で明日のハイチを育てる」
ハイチの会は、ハイチ共和国の貧しい子どもたちへの識字教育、生活指導、地域の人々の生活向上を目的として、1986年に中野瑛子さんによって創立された。元々は、当地に派遣された、中野さんの幼稚園の恩師、本郷シスターの活動支援が目的だったそうだ。

アジア学院に初めての学生を派遣したのは、2001年のこと。本郷シスターの「ハイチ人が自立して農業で食べていかれるように、リーダーに成れる人を推薦するので研修できる場所を日本国内で探してください。」という求めを受け、キリスト教関係の方がハイチには適していると思い、中野さんがアジア学院に決めたという。

エグジルという、そのスタッフは大変優秀で、卒後、活動地に戻り、KFP(Kominote Familyal  Peyizan / 住民家族共同体)を創立。約100-200世帯 を対象に、食べること(農業と給食)と学ぶこと(小学校の運営)を主軸に活動している。その後継者として2023年に派遣されたのが、ルイ・テア・ピエールだった。真面目でコツコツと働き、向学心のある彼は、現地のスタッフのお墨付きだったという。

当時、治安の悪化でハイチの日本大使館は閉鎖しており、ピエールはビザ申請のために隣国のドミニカ共和国に行かなければならなかった。ドミニカ共和国には、以前、研修で行ったことがあったが、当時空港は閉鎖しており、国境を通過するには、首都から出ているバスに乗るしか方法がなく、交通費も普段よりも値上げしていた。ギャングが横行し、無法地帯となっている首都に行くのは、大変勇気のいることだった。大きなスーツケースを持って移動をしていると金持ちだと思われて危険な目に遭うので、岡さんたちは、できるだけ小さなカバンで来日するようにピエールに話した。実際、日本に向かう時、彼は今までの人生で手にしたことのないような大金を携えていた。

大冒険はまだ続く。不法滞在者が多い開発途上国の者は、アメリカ合衆国の経由ビザを取ることが難しく、ドミニカ共和国からメキシコ経由で、日本に渡る必要があった。

今でこそ、流暢な英語を話すが、母語はフランス語系のため、英語が話せなかったというピエール。ハイチの会のスタッフ一同、彼が日本に入国するまで気が気ではなかったという。メキシコでの乗り換えの折、ロストバゲージで荷物が取り残されてしまったが、とにかく本人は無事に日本の地に降り立つことができた (荷物の中身はエグジルが用意したお土産で、ひまし油が数本入っていた…)。

ハイチの人は、日曜日に教会に行く時、最も上等な服を着る文化を持つが、ピエールも来日の道すがら、送り出し団体からの準備金で服やカバンを新調した。このエピソードからも、日本に行くことが、彼の人生において、どれだけ特別で一大イベントだったか伺える。現に彼は、今でも来日した日や入学式の日付を正確に覚えている。

アジア学院での自己変容
ずっとアジア学院の卒業生と仕事をしてきたが、アジア学院に到着したとき、ピエールは、これから何が起こるか全く予測ができていなかった。まず彼が直面したのは、言葉の壁、そして、異なる文化背景を持った人々との生活だった。
「文化も背景も食べ物も…全てが違う人たちと、一体どうやったら折り合えるのかと思ったね。これは本当に難しかった。」
彼は、人々の予期せぬ態度に対して、いつも苛立っていたと言う。しかし、当時校長だった荒川朋子さんの、ある授業をきっかけに、自分自身を振り返り、クラスメイトやボランティア、ビジターたちに、自分から手を差し伸べ、手助けをするようになったという。この経験は、今も仕事をする上で、大いに役立っているようだ。

未来への種まき
国に帰って1年4カ月ほど経ち、今、彼は学院での学びを生かした、2つの活動を考えていると話してくれた。1つは、マヨネーズ作りや石鹸作りといった、人々が収入を得るための技術を教えること。そして、もう1つは地元の農家や中学生を対象とした有機農業の研修や、森林保護を目的とした環境教育だ。学院で学んだ技術を、コミュニティで実践し、目に見える成果を出すことは一朝一夕でできることではなく、資金の問題もある。恐らく、ここ数年が一番の踏ん張りどころだろう。

また、日本のスタッフも大きな課題に直面している。2021年にモイーズ大統領が暗殺されて以来、大統領が不在のままのハイチ。代わりに国政の舵をとった首相に対する国民の不満が爆発し、多くの地域がギャング集団たちの支配下に置かれ、首都の治安状況も著しく悪化した。日本の外務省は日本人に対する退避勧告を発令し、以来、ハイチの会の日本人スタッフが活動地を訪ねることも出来ないでいる。このような制限がある中でも、会の活動は途絶えることなく、現地と日本のスタッフの深い信頼関係のもとに存続している。

今回インタビューをさせていただいた、ハイチの会の事務局長 岡 智子さんは、4人の子供を抱え、昼間は教員として働き、午前2時からの時間を会の活動に充てているそうだ。その時間が現地と最も連絡が取りやすいのだと話されるが、そのような情熱を持ってハイチの人々を支援されている理由を聞いてみた。

「私は食べ物や教育を受けるチャンスに恵まれてきました。このありがたさをそうでない人たちのために役立てたいという気持ちが基になっています。そしてかつてハイチで滞在していた時、ハイチの人が食事1皿を数人で回してみんなで分けていただいていたり、日が暮れて周りが暗くなると国連軍の外灯に若者が集まって必死に本を読んでいたりした姿を見ました。ハイチという国と縁があって出会い、一緒に生きていく仲間だと感じているからです。」

追記:コミュニティの近況
4月4日、岡さんから一通のメールを受け取った。
ここ1週間ほどの間に、首都で暴れまわっていたギャング集団がピエールたちのコミュニティから40-50km離れた隣町にまで勢力を拡大させ、多くの住民が家を捨てて、避難してきているそうだ。ピエールやエグジルは、「KFPは貧しい人を助ける団体だから避難者たちを見過ごすことはできない。」と日本のスタッフにサポートを要請。連日、話し合いを重ね、救済準備を進めているところだという。
岡さんの言葉が印象的だった。「ピエールもKFPも日々の生活が懸命な状態なのに、自分よりもっと深刻な状況の人たちを助けようとしています。」
どうぞ心にとめて、祈ってほしい。

彼らが額に汗して蒔く種が、ハイチの地で豊かに実を結び、多くの新たな農村コミュニティリーダーたちが誕生する未来を願うばかりだ。



ハイチの会についてもっと知りたい方、彼らの活動への支援はこちら
ウェブサイト:https://haitinokai.wixsite.com/-site


シリーズ記事はこちら

【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】①

【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】②

【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】③ ← 今ここ

【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】④

2025年度 アジア学院農村指導者研修プログラムが始まります!

本日4月1日、アジア学院の2025年度プログラムがスタートしました。キャンパスには再び活気が戻り、新しい学生たちを迎えています。

今年の学生たちは海外から26名、日本から2名の学生たち、そして研究科生2名です。これからの9ヶ月間、彼らは共に生活し、持続可能な農業、奉仕のリーダーシップ、コミュニティづくりなどを学んでいきます。春の訪れとともに畑の準備も整い、アジア学院のすべての人にとって新たな成長の旅が始まります。今年は、アジア学院にとって大きな節目の年でもあります。10年間にわたり校長を務めた荒川朋子が、その役目を次の校長に譲ることになりました。荒川朋子は今後、アジア学院の広報活動や関係構築に力を注いでいきます。長年にわたる彼女のリーダーシップと献身に心から感謝します。

そして、新しい校長として荒川治がその役割を引き継ぎます。長年アジア学院に農場職員として関わってきた彼がリードするこれからのアジア学院がどう変容していくのか、心待ちにしてください。

新年度の始まりにあたり、現在実施中の「イースタートラベル費用支援キャンペーン」についてもお知らせします。海外からの学生にとって、日本への渡航費は大きな負担となることがあります。

このキャンペーンは、そうした費用を支えるアジア学院の状況を理解いただき、困難がありつつも農村コミュニティリーダーとしてアジア学院で学ぶ学生たちをサポートするものです。

キャンペーンは4月末まで続きますので、皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。

新しい学びの始まり、新しいリーダーシップ、そして広がり続けるグローバルな仲間たち。今年もアジア学院は、皆さんとともに歩んでいきます!

ご存知ですか? 農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー②

皆さんは、アジア学院の学生たちがどのような過程を経て、日本に来るかご存知ですか?

アジア学院では現在、キャンペーンの一環として、学生たちのアジア学院までの道のりを追うシリーズを、4回に分けて連載しています。
シリーズ第2弾は、今年、研究科生としてアジア学院に戻ってきた、マラウイのヴェーさんです。
彼女は、地元・リロングウェではちょっとした有名人です。というのも、彼女はラジオ局のパーソナリティ!低めの滑らかな美声で、農業の番組を担当しています。アジア学院を知ったのも、あるリスナーとの出会いがきっかけでした。

【ヴェー(2018年卒 マラウイ)の場合】
ヴェニタ・カドゥヤ(ヴェー)は、マラウイの首都・リロングウェの出身だ。アジア学院の学生では珍しく、わりと都会に育ったが、自分がマラウイの外に出る日が来るなど、想像もしなかったという。
ある日、ラジオ局のパーソナリティとして、農家向けの番組を担当していた彼女のもとに、一人の男性が訪ねて来てこう言った。
「あなたの番組は素晴らしい。でも、もっと多くのことを学ぶべきだ。アジア学院という場所を知っているかい?」

それが、彼女が初めてアジア学院のことを耳にした瞬間だった。外国と言っても、せいぜいジンバブエか南アフリカにあるのだと思ったが、実は日本にあると知ったのは、さらに後のことだ。職場のラジオ局は理解を示し、応援してくれた。彼女も興味はあったものの、いかんせん、日本はまったく未知の国だ。それに、家族を残して国を出ることに、ためらいを覚えた。3人の子どものうち、末っ子の男の子はまだ1歳4か月という幼さだった。
ワクワクと恐れが入り混じった複雑な感情を抱えたヴェーを勇気づけたのは、他でもない、彼女の家族だった。夫と母親は彼女に言った。「人生とは多次元なものだ。一歩外に出て、学ばなければならないこともある。」そして、彼女が留守の間、子供たちの面倒を見てくれたという。

彼女は、2018年の学生として受け入れられ、アジア学院北米後援会(AFARI)の奨学金を受けて、9カ月間の研修を終えることができた。
長期に家を空けての遠い地での学びは、決して楽なものではなかったと思うが、彼女は研修を通して、それに値するだけの成果を得たという。アジア学院はヴェーに、農業の知識を与えただけでなく、心身の成長も促した。学院は人を変える場所だと彼女は話す。「人々は変えられましたし、私自身も変えられました。」そうして、目も心も開かれたヴェーは、勇気を得て、自分の住むコミュニティをより良くしたいと考えるようになった。そして、人々と共に働くために自分の持つすべての知識を活用し、いくつかの新しい活動を始めた。

一つは、生理用ナプキンのプロジェクトだ。マラウイでは、思春期を迎えた女生徒の中退が問題となっている。生理用ナプキンがないから、毎月、生理の一週間は学校を休んでしまい、結局挫折して辞めてしまうという。その後の選択肢はほとんどなく、早いと14歳で結婚させられる子もおり、生理の問題は早婚という、さらに深刻な問題にもつながっている。
アジア学院で、再利用可能な布ナプキン作りを学んだヴェーは、帰国後、自宅からほど近い小学校の校長に、この技術を女の子たちに教えさせてもらえないかと持ちかけた。「問題ありません。すぐに始めてください。」と即答された。このような話題は、この社会ではタブーだとみなされかねないので、驚きだったという。こうして、この7年間、ヴェーは少女たちに布ナプキンの作り方を教え続けている。2,300名の生徒の3/4が女性なので、この製品の需要には事欠かない。現在、学校はこの布ナプキンを作るための仕立て屋を雇っているが、ヴェーは少女たちが自分たちで作る方法も確実に学べるようにしている。

もう一つは、地元の市場から出る残飯などを利用して作った堆肥を売る女性グループを支援するプロジェクトだ。堆肥を買い取ってくれる会社と契約することにより、彼女たちは安定して収入を得て、家計を支えることができるのだ。ヴェーは今年、研究科生として、アジア学院のFEAST(食育と持続可能な食卓)部門で、食事作りや食料保存の技術習得を目指すが、その知識で、さらにこのグループの女性たちの生活術を磨きたいと考えている。というのも、雨季と乾季のあるマラウイでは、一年を通して、安定的に野菜を得るのが難しい。そこで、多くの野菜が収穫できる季節に、それを加工して保存しておけば、手に入らない時期に、野菜に支払うお金を節約できるというわけだ。そうして、節約したお金を、教育や住宅のために用いることができる。

ヴェーは新年度の学生たちと関わることをとても楽しみにしている。おそらく人々は、自分が学生だった時と同様の困難やカルチャーショックを経験するだろう。期待と不安が入り混じった気持ちでいる学生たちに、自分がどのように克服したかを伝え、勇気づけたいと思っている。
彼女の穏やかなまなざしの向こうにはどんな未来が描かれているのか、これからの学びと働きが楽しみだ。


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【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】①

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【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】③

【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】④

春、アジア学院に訪れる – 学生たちの到着を前に

空気が暖かくなり、木々は芽吹き始め、大地が新たな命の息吹を感じさせています。長い冬を越え、ついにアジア学院にも春がやってきました。

季節の穏やかな移り変わりは、私たちが土や食べ物、そして共に育むコミュニティと深く結びついていることを思い出させてくれます。これらは、アジア学院の理念の核となる大切な要素です。

動物たちも春の訪れを感じています。冬の間、屋内で過ごしていたヤギたちも、今では嬉しそうに外を歩き回り、日差しを浴びながら新鮮な草を食べています。その生き生きとした姿は、自然が目覚めている証です。

そして今週、2025年度の学生たちがアジア学院にやって来ています! まもなく彼らは、9か月にわたる学び、働き、共に成長する旅を始めます。太陽に向かって伸びる植物や木々のように、彼らもまた、新たな変化と成長の季節を迎えることでしょう。

春を迎えた今、この美しい季節の恵みに目を向けてみませんか? 降り注ぐ太陽の温もり、小鳥のさえずり、そして新しい始まりの予感。大地と調和しながら歩み、自然とお互いを大切に育んでいきましょう。

“今日の校長” 校長としての10年を振り返り、新たな未来へ

“今日の校長” 

昨日は周到に仕掛けられたサプライズパーティーにまんまと引っ掛かり、驚き、喜び、感動に包まれました。今月末で10年の校長の任期を終えるに当たり、また誕生日祝いも併せて、アジア学院ファミリー、お世話になっている方々が私に内緒で集結!私の大好きな韓国料理(ビビンバ+アジア学院豚のBBQ+誕生日用のわかめスープ)とたくさんのスィーツ(すべてコイノニアのキッチンで手作り)と花束で祝ってくれました。(実に花束は私の群馬の実家の花屋から直送という凝りよう!)多くの卒業生や元ボランティアからもビデオメッセージも多く届けられました。

アジア学院に来て今年で30年を迎えますが、そのうちの3分の1を校長として過ごしたことになります。多くのことがありましたが、ひとえに神様のお導きと素晴らしい仲間がいたからここまでやってくることができました。とにかく楽しく、ドラマチックでExcitingで祝福された日々でした。校長という特別の任務を与えられたことに感謝です。

4月からは新しい荒川治校長をサポートし、常務理事として、また関係構築・アウトリーチ統括として学校に勤務します。“今日の校長”のポストは今日で最後ですが、今後外にどんどん出ていきますので、アジア学院の豊かなつながりをレポートしていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

ご存知ですか? 農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー①

皆さんは、アジア学院の学生たちがどのような過程を経て、日本に来るかご存知ですか?
学生の大半は大都市ではなく、インターネット上の地図で検索しても名前が出てこないような辺境の村に住んでいます。

アジア学院の創立当時は、素足で飛行機に乗って来日する学生もいたようです(!)。
現代ではさすがに皆、靴(少なくともサンダル)をはいてきますが、それでも、ビザの申請のために、初めて自国の首都へ行った人、数々の危険をかいくぐって手続きをした人など、彼ら / 彼女らのたどってくる道のりは、私たちの想像をはるかに超えています。

今回はそんな学生たちの大冒険を、4回に分けて追ってみたいと思います。
シリーズ第1弾は、2000年の卒業生、インド・ナガランドのアチボさんです。
近年までアジア学院のスタッフをしていたので、ご存知の方も多いかもしれません。 彼女が生まれ育った山あいの村は、今でも空港のある街から、最短でも車で8時間かかりますが、25年前はもっとハラハラする道のりだったはずです!



【アチボ(2000年卒 インド・ナガランド)の場合】
ザチボル・R・ドゾー(アチボ)の故郷、クツォクノ村は、インド・ナガランド州の南、ペクという山あいの町からさらに登った先にある。そこはインドでありながら、日本人によく似たモンゴロイド系の顔つきのナガ族の人々のコミュニティで、伝統的な焼き畑農業で生計を立て、竹や木でできた家に住み、かまどの火で煮炊きする生活が現在まで続けられている。

こんな地域に住む彼女がどうやってアジア学院を知ったのかと不思議に思うかもしれない。当時、NGOに勤めていた彼女の上司が学院の卒業生で、彼女に研修を勧めたという。親戚の誰からも経済的な援助は受けられないし、しばらく祈る時間がほしいと返答した彼女だったが、上司のシンプルな一言、「主に信頼しなさい」という言葉で応募を決断した。

選考は通ったものの、来日の準備は容易ではなかった。海外渡航費は支援してもらえるが、国内での準備費用は自前で何とかしなればならない。彼女は思い切って、20,000ルピーを借りた。今でいえば、35,000円くらいだが、25年前は大金だった(のちに研修中にもらえる生活費を貯めて返済)。ビザを取るために、1,500 km離れたコルカタにも初めて行った。国内でもそんな有様なのに、初めて行く海外が日本だなんて…それがどんなに、彼女の想像を超えていたかは、インタビュー時に語った「クツォクノ、ペク、ばーん!」という一言に如実に表れていた。

今でも、空港から村まで、未舗装の山道を最低でも8時間走らないといけないのだが、当時は村の中で車を使う人なんて誰もいなかった。最寄りのペクという町まで、徒歩で4時間、それからさらに、公共の乗り合いの車に乗ること10時間、ようやく空港のあるディマプールへと到着する。当時、ディマプール空港からのコルカタ行きの飛行機は一週間に2便しかなく、欠航も多かった。近隣地域からのクラスメイト2人とコルカタで合流、バンコクでさらに乗り継ぎをしてようやく成田に到着した。3人とも右も左もわからぬ状態で、搭乗口は合っているのか、正しい便に乗れるのか、終始気が気でなかったという。こんな人生に一度の大冒険に彼女を駆り立てたものは何か?それはアジア学院のミッションだった。草の根の人々と共に生きる人、それはまさに自分だと感じたからだった。アジア学院の研修は、彼女の期待を裏切らなかった。

アチボは今でも、自分の研修費を出してくれた団体のことを覚えている。宇都宮ロータリークラブのご支援だったそうだ。彼女はアジア学院を支援することの意義について、こう語る。
「単体のプロジェクトに同じ額を投資しても、あまり継続的な支援は望めないでしょう。だけど、ロータリークラブは、私という人間に投資をしてくれました。そして私はこの25年間、生きて人々のために働き続けてきました。」「…全世界が変化を必要としています。それにはすべての人の参画が必要なのです。しかし、皆がリーダーとなり、農村地域に共に住むわけにはいきません。私たち一人一人にそれぞれの仕事や能力が備えられていると思います。100円でも1,000円でも学生1人に投資することは、その背後にいる1,000人を変えることになるのです。100人どころじゃないんです、1,000人ですよ!」

彼女自身も、NGOやアジア学院のスタッフとして働きながら、甥や姪の教育費を捻出し、村の子どもたちやその家族の教育に力を注いできた。「私たちが教えた子どもたちの中には、すでに結婚するような年齢に達した者もおり、その子たちが村や教会の未来のリーダーを担っていきます。だから、自分の活動を後悔したことは一度もありません。」また、村での活動が功を奏して、多くの若い家庭が野菜作りで収入を得て、近隣の町の学校へ子供を送ることが可能になっている。

今年55歳になる彼女のエネルギーが尽きることはない。まだ誰にも言っていないのだけど、とためらいつつも教えてくれたのは、Obentoプロジェクト。そう、日本語のお弁当だ。
長年、アジア学院のキッチンで学生の胃袋を満たしてきた彼女は、栄養と健康に深く関心を持ち、近年、ナガランドでも、がんや糖尿病患者が急増していることを憂いている(世界の食のトレンドが急激に変化する中、ナガランドも例外ではない。農村部でも都市部でも、若い世代の間では、州外からのファストフードが流行している)。そこで、都会の地域でも、家計と家族、近隣の人々の健康を支えることを目的として、日本食を参考にしたヘルシーなお弁当作りを広めることを思いついた。若い人が魅力を感じることをしなくてはならないと話す彼女は、250-300円ほどで、毎日、近所の3人にお弁当を作っているという。お米は村から、キャベツやナス、トマト、イチゴは彼女のベランダや屋上の小さなプランターで育ったものだ。ウサギ2匹に加えて、つい最近、卵のために雌鶏も3匹飼い始めた。「本当に少しの食材があれば良いんです。」

経験を重ねても、つねに自ら率先して行動する彼女の姿は、真の農村リーダーだと思う。その飾らないやり方が、これなら私もできるかも、と多くの人々に勇気を与えることは間違いない。


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【ご存知ですか?農村コミュニティリーダーたちのグレイト・ジャーニー】①
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