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アジア学院フレンズデー2025 ~つながる一日~

1月25日、アジア学院でフレンズデー x 大日向マルシェ冬の文化祭が開催されました。今年のテーマは「森に触れよう・人と出会おう」。多くのサポーターや地域の方々が集まり、自然の中で学びや交流を楽しみました。

フレンズマルシェでは、新鮮な有機野菜や手作り雑貨、おいしい地元の食べ物が並び、大盛況!売上の一部は能登半島地震の支援活動に寄付されます。

フォレスト体験では、ツリークライミングやオリエンテーリングが行われ、参加者は自然を五感で楽しみました。また、2014年度卒業生のThi Thi Winさんによるミャンマーの農業支援の話や、君島佳弘さんの食育についての講演も、多くの人の関心を集めました。

この日、さまざまな出会いや発見が生まれ、参加者は自然と人とのつながりを深めました。フレンズデーは、今年も心温まる特別な時間となりました。

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 20

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今回は、会議に集まった、卒業生たちの活動についてお伝えします。語られた偉業の裏に、その何十倍もの苦労が隠されているとは思いますが、確かに、学院での学びがコミュニティの人々の生活向上に貢献していることを感じます。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その2】

アジア学院 卒業生会議

アジア学院北米後援会(AFARI)は、アジア学院の卒業生を招いての会議を開催した。こうすることで、卒業生たちはシンポジウムの恩恵を受けることができるし、互いに学び、分かち合い、親睦を深めることができる。AFARIのタール・フェローシップ・プログラムの参加者の3名、サイダティ・”サイラブ“・ムロルンクウェレ (2020年卒、ルワンダ)、パトリック・クリエ(2019年卒、リベリア)、マンブッ・サマイ(2018年卒、シエラレオネ)は飛行機で駆けつけた。
周辺地域の卒業生も歓迎され、AFARIが会議の参加費、宿泊費、食費を負担し、交通費は各自で負担した。ザンビアからは、ジョン・ニョンド(1983年卒/1993年研究科生)とジュディ・ダカ(2001年卒)の2名が参加した。つい1週間前、親切にも、車で国のあちこち縦断して我々を案内してくれた夫婦だ。マラウイからは、ヴェニタ・カドゥヤ(ヴェー、2018年卒)、セシリア・ンピンガ(2016年卒)、アーネスト・マガンガ(2014年卒)、エネト・ンカスィクワ(2013年卒)、ジョン・チンカータ(2013年卒)、ンジャラ・バンダ(マクドナルド)神父(2010年卒/2016年研究科生)の6名が参加した。コンゴ民主共和国出身(モザンビークで活動中)のジョン・ンダイ(2010年)も申し込みをしていたが、ビザの遅れで参加できなかった。アフリカ外からは、シェリー・デレオン(AFARIスタッフ)、ベブ・アブマ(AFARI理事)、そしてスティーブンとカイ(アジア学院)が参加した。総勢13名だった。ややこしい名前ばかりで申し訳ないが、テストには出ないのでご心配なく。

日中は会議のイベントに参加し、夜は皆で集まり、ディスカッションをした。 これはAFARIにとって2回目(だったと思う)の卒業生会議であり、私は初めての参加だった。この集まりの雰囲気は、私が卒業生アウトリーチ部門で目指す、“アジア学院ファミリーを一つにする”、“グローバルな学びのコミュニティを作る”という目標とぴったり合っていて、本当に有難く感じた。

卒業生たちの簡単な近況報告
ここでは、何人かの卒業生からの言葉を少しだけ紹介しよう。これは決して彼らの仕事についての完全な説明ではないし、一部はこれまでの繰り返しである。彼らの人生を覗き見るための小さな窓だと思ってほしい。もっと知りたければ、ビデオインタビューも撮ったのでご心配なく! 彼らの素晴らしいストーリーは共有するに値するので、皆さんのために、私がきっちり編集したいと考えている!

マラウイのセシリア
「ヤギを飼っていると、お金持ちだと思われますから!」これを書き留めておいたのは、この言葉が、なぜ彼女がヤギのプロジェクトを始めることにしたのかをよく表していると感じたからだ。村の水準からすれば、これは経済的に前進するための具体的な行動だと言える。

マラウイのアーネスト
アーネストは衛生管理プロジェクト(HVP)でプログラム・オフィサーとして働いており、アジア学院での研修後に昇進した。残念ながらブランタイヤ行きをキャンセルしたため、彼の仕事を直接見ることはできなかった。名前からもわかるように、この組織は「皆が永続的に」をモットーに、水の衛生設備や公衆衛生に焦点を当てている。

彼らはエコサン・トイレを紹介し、その辺の茂みをトイレとして使わないことが、いかに衛生的に重要かということを人々に教えている。この地域の様々な場所で「ここは野外排泄禁止区域です。」と書かれた看板を見かけたが、アーネストによると、これはHVPが設置したものだという。彼らはまた、人々が清潔な水を利用できるようにするための井戸も掘っている。多くの人々はまだ川から直接水を汲んでおり、それがあらゆる健康問題を引き起こしている。マラウイの国家構想によれば、2030年までに清潔な水と教育への一般的なアクセスが可能になり、2063年までに全てのマラウイ人が中流階級の生活水準を獲得することになっている。アーネストは気候変動、特にマラウイ全土で起こっている砂漠化の問題についても触れた。「自然は今、反撃しています」と彼は述べ、サイクロン・フレディによる大規模な破壊を引き合いに出した。

「私は模範を示して人々を率います。突っ立っているだけではありません。自らかかわってく必要があります。」アーネストはこの言葉で、アジア学院で受けたリーダーシップ研修の重要性を強調した。アジア学院に入る前、彼は村に行き、ニーズに基づいた評価を行った。基本的には、村に行って何をするべきか指示していたのだ。今は、村人と一緒に座って問題を分析し、彼らの考えを聞き、一緒に計画を立てる。この方法によって、人々はプロジェクトに対してより主体性を持つことができる。これは、彼が朋子さん(学院の校長)のクラスで学んだPLA(参加型学習行動法)のアプローチである。

「指導を受ける人々と自分とのギャップが縮まりました。」とアーネストは続けた。「私が決断し、命令し、結果を集めるだけでは、人々はプロジェクトを自分のものにはできません。アジア学院のリーダーシップ・アプローチは、計画を立てて共に働くことで、達成の一体感をもたらします。私は経営陣にこのようなリーダーシップをとるよう働きかけており、徐々に浸透しつつあります。」

マラウイのエネト
アジア学院の後、エネトは夫を始めとする家族全員に支えられながら、専業農家になった。 農業を通じて、彼女は家族を養い、自分の知識をコミュニティに広めている。

ザンビアのジュディ
ジュディは、結核に感染した地域住民に結核治療薬を投与する“訪問保健ワーカー”を養成した。 薬をもらっても飲まないことが多いからだ。このようなボランティアの保健ワーカーたちの活動のおかげで、今ではコミュニティの結核患者は一人もいない!

マラウイのジョン
ジュディの結核の偉業を聞いて、ジョンも自らの経験を熱く語った。彼がまだ衛生管理プロジェクトに所属していた頃、マラウイ湖の近くにあるコレラ患者の多い地域に行った。そこで彼らと協力して簡易トイレを建設し、井戸を掘ったところ、新たなコレラ患者は一人も出なかった。彼は78の村を抱える別の地域でも同じシナリオを繰り返した!

シエラレオネのマンブッ
マンブッの松葉杖で農作業をするプログラムは、国中から集まった350名の下肢切断者を受け入れている。最近では、60名の下肢切断者の農民を対象に包括的なトレーニングセッションを行った。彼が約20年前に始めた下肢切断者スポーツ協会(SLASA)という名のサッカーチームは、アフリカ全土で最初の下肢切断者のサッカーチームである!彼らは国際大会に出場し、2024年のパリ・オリンピックの展示イベントにも招待された。

ルワンダのサイラブ
サイラブは、「1家族に1頭の牛」という国のプログラムに倣った、「1人の子供に1羽の鶏」プロジェクトについて話をしてくれた。彼女は子供たちのために何かしたいと考えた。というのも、「私の子供時代はあまり良くなかった」。ジェノサイドによる大量殺戮の最中に孤児となった彼女はそれ以降、トラウマのため、笑顔を見せることも、話すこともほとんどなかったという。今の彼女を見ていると、そのような一面を想像することは難しい。今の彼女は笑顔ではない時のほうが珍しいからだ。

子どもたちにはそれぞれ責任を持って世話をする鶏とアボカドの木が与えられ、将来のリーダーを育てることを目的としている。宗教や部族に関係なく、どんな子供でも参加できる。「差別はありません」とサイラブは強調する。これまでに100名の子供たちに鶏とアボカドの木が提供された。このアイデアはすべてサイラブのもので、彼女の団体はこれを全面的に支援している。

土曜日には500名の子供たちが集まり、農業や図画工作を学んだり、聖書の勉強をしたりしている。彼女自身はイスラム教徒だが、団体はキリスト教を基盤としている。このプログラムは、子供たち、特に女の子たちが学校に通い続けられるように助け、早婚を防ぐことを目的としている。

「アジア学院から戻ったとき、私は壮大なことを考え始めました。目が開かれたんです。」サイラブは、再利用可能な生理用ナプキン・プロジェクトも始めた。バナナの繊維を用いて、洗濯可能な生理用ナプキンを作るのだが、市販の使い捨てナプキンよりはるかに安く、2年間使用することができるという。このアイデアはアジア学院での生理用ナプキンの授業から生まれた。

彼女はまた、有機農業を始めて、同僚やコミュニティに堆肥の作り方を教えたいと、興奮気味に語った。「私が有機農家になれたのは、アジア学院のおかげです。」

リベリアのパトリック
アジア学院に行く前は教室にとどまるだけの教師だったが、帰国後は外に出て実践的に子供たちに教えるようになったと、パトリックは話す。彼の最初のプロジェクトは “教育のための農業 “と呼ばれるもので、学費を捻出するための小さな庭の作り方を子どもたちに教えた。これが後に、彼が発表した上げ床花壇の苗床を作るきっかけとなった。

タール・フェローシップからの資金で、彼は女性のための職業訓練を開始し、すでに持っていた3台のミシンに加えて、さらに6台のミシンを購入することができた。また、キャッサバや野菜の生産についても教えている。


文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

シリーズ記事はこちら

Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】

Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】

Vol.6 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 7日目】

Vol.7 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】

Vol.8 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 9日目】

Vol.9 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 10日目】

Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】

Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】

Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】

Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】

Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】

Vol.16 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】

Vol.17 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 18日目】

Vol.18 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 19日目】

Vol.19 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その1】

Vol.20 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その2】<== 今ここ!

Vol.21 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 24-26日目】To Be Continued …

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 19

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
旅のフィナーレを飾るのは、ECHO東アフリカ会議!前半では、その会議の様子や興味深かったトピックやアイデアについてお伝えします。それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その1】

ECHO東アフリカ会議

さて、我々は、東、中央、南アフリカ全土から集まった人々が、自分たちや地域の農家の直面している問題や、その問題に取り組むための創造的な方法について話す会議へとやってきた。正式名称は「持続可能な農業と適正技術の有益な取り組みに関する、ECHO東アフリカとカナダ食糧穀物銀行の共同シンポジウム」。 私はあまりメモを取りすぎず、ただ話を聞き、物事を受け止めようと心掛けたので、この記事はあまり長くなりそうもない! ふぅー!

カイと私がここにいる大きな理由の一つは、アジア学院のネットワーク作りと認知で、カイが、アクティブ・リクルートメントと呼んでいるものだ。その中で、思いがけず出会ったうちの一人が、アーウィンだった。アーウィンはECHOの創設者で、結果、彼はタンザニアのアルーシャに30年以上住んでいる。彼はとても物腰が柔らかく、のんびりしているが、文化的、アフリカの文脈的、小規模農家的(本当の農家ではないが、私の言いたいことはわかるだろう)にあらゆることに精通している。

多くの有能で賢いコミュニティ・リーダーたちに出会えたことも驚きだった。この人たちはアフリカにやってきて、アフリカ人のやっていることは間違っていて、どうすればうまくいくかについて語るような「第三者」ではない。「第一人者」であり、現地や、コミュニティに身を置き、「この人たちは自分の仲間だ」という人たちなのだ。この人たちが、自分たちの人々、問題、そして生活を改善するための自身のアプローチについて雄弁に語るのを聞くことは、とても有意義だった。アジア学院はこういう人たちのためにあるのだ。食事の時間には、話をしてお互いのことを知ったり、アジア学院について分かち合ったりする機会があり、生き生きとした会話がなされた。

短い抜粋

ANAMED – 意識改革
ANAMEDは自然療法を推進する国際組織である。発表者のご夫妻は、長くマラウイで生活し、仕事をしてきた(30年くらい)。彼らの話の大前提は、持続可能な農業に関する「意識改革」で、彼らは農民たちと長期にわたって協働している。これは、外部の専門家がやってきて、村でプロジェクトを行い、去っていくというプロジェクト・アプローチとは全く対照的である。これでは結局、ほとんど変わらない。個人や集団の意識を変えるには、長期的な取り組みと献身が必要だ。アジア学院の卒業生たちは、意識改革は大きな挑戦であると同時に非常に重要なことだとよく話している!

ANAMEDという名前には聞き覚えがあったが、発表の最中、ようやくその理由を思い出した。カメルーンにいるアジア学院の卒業生が、ANAMEDと提携しているのだ。彼らはあらゆる種類の生薬を製造している。そこは農村変革センター(Rural Transformation Center)と呼ばれ、コリンズとベンという2人の卒業生がいる。

村の貯蓄貸付グループ(VSL)
このプレゼンテーションは、私が長い間抱いていた疑問に答えてくれるものだった。村の貯蓄貸付グループ(VSL)は、農村部の人々が自分たちのお金を貯めてプールし、それを互いに融通し合って小口の融資を受けられる素晴らしい方法である。今回の講演で私は、消費と投資という2つの主な借り入れのカテゴリーについて学んだ。消費ローンは、学費や医療費、家の購入など、出費のためにお金を借りることだ。この種のローンは、村人が前もって多額の資金を必要とする際に役立つが、現時点の収入で返済しなければならない。一方、投資ローンは、ビジネス目的で資金を借りるもので、その資金がより多くの収入をもたらすようになる!つまり、投資ローンのほうが、村の経済を成長させるのに、より適しているのだ。これは私にとって、銀行の入門授業になった。

上げ床花壇(Raised beds)
このプレゼンテーションは、アジア学院の卒業生であるリベリアのパトリック・クリエ(2019年卒)によるものだ。彼は上げ床花壇で苗を育てており、以下は私が書き留めた、いくつかのポイントだ。

・フレームは竹で作られている(まさに地域資源)。
・土は熱湯で消毒し、雑草の種を殺す。
・苗床を高くすることで、体の不自由な人でも苗を育てやすくしている。
・苗は簡単に庭に移植したり、地元の農家に販売したりすることができる。

松葉杖での農業
このセッションには、アジア学院の卒業生でシエラレオネ出身のマンブッ・サマイ(2018年卒)も登壇した。彼は20年以上続けている、下肢切断者との働きについて話した。すべては彼が下肢切断者スポーツ協会を結成したことから始まった。アジア学院の後、彼はメンバーに農業で生計を立てる方法を教えるパーマカルチャーの事業を始めた。 私は個人的に彼の話をよく知っているので、メモを取らなかったが、近いうちにもっと詳しく紹介したいと考えている。それまでは、2019年に制作されたこのビデオをご覧いただきたい。 私は撮影者と一緒にその場にいたが、カメラの邪魔にならないように全力を尽くした。

彼の発表で最も印象に残ったのは、“パーマカルチャー・カップル”の写真だった。マンブッは、この農場で働いて知り合った人たちの結婚式を、少なくとも2度執り行っている!
皆さんに話しただろうか?彼は牧師でもあるのだ。

食事中のふとした会話から得られた言葉
食事は楽しい時間の一つだった。美味しい料理を食べるのが好きだからというだけでなく、活気のある会話ができたからだ。以下は、ある人が農業大学の校長から言われた言葉である。申し訳ないが記憶力が悪いので、校長や大学の名前を挙げることはできないが、アジア学院の入学案内パンフレットにはぴったりだと思った。

「土に触れたくないなら、ここに来るな。」
「すでに充分知っていると思うなら、ここに来るな。」

チャヤ
これは、全体的に一番好きなプレゼンテーションだった。発表者の女性はとても情熱的で、明瞭で、誰でも思わず駆け出して、チャヤを育てて夕食にしたくなるような話だった。チャヤは灌木の一種で、その葉を食べることができる。様々な気候や土壌で育ち、ほうれん草よりも栄養価が高い。彼女はアフリカの国別の野菜消費量と平均寿命のグラフを見せた。 この2つには直接的な相関関係があり、「野菜を食べましょう」というのが彼女の強いメッセージだった。彼女たちはチャヤの挿し木もいくつか持ってきており、土に挿して水をあげれば育つのだという。でも、必ず正しい方向に植えないといけない。「どっちが上か分かる?私たちが教えます!」

彼女の話の中で最も印象深かったのは、レリッシュについての話だった。ここでいうレリッシュとはソースやスープのことで、アフリカの食事には必ずと言っていいほど登場する。伝統的に、「女性の価値はレリッシュで決まる」と彼女は説明した。「もし男性に5人の妻がいたとしても、一番おいしいレリッシュを作る妻と寝食を共にするのです!」遠回しに言えば、これはもっと野菜を食べること、特にチャヤを食べることにつながっているのだろう!

世界各国からの祈り
最終日の2日前の夜、ECHOは、世界の他の地域ではバーベキューとして知られている、食欲をそそるブライをメインとした盛大な夕食会を催した。続いて伝統舞踊が披露され、卒業生たちも参加した。最後に「世界各国からの祈り」があった。これは、その場にいるすべての言語話者の代表が招かれ、祈りを捧げるという感動的な体験だ。何らかの理由でカイが不在だったため、私は人生で2度目となる日本語の祈りを捧げた。他に日本語を話す人はいないので、私の間違いは誰にもわからないだろうし、どんなにひどい失敗をしても、神様にはその意味が伝わると確信している。だから、心配はいらない!少なくとも30名以上の代表者が一列に並び、一人ずつ祈っていった。もしECHOの大会に参加する機会があれば、ぜひこの機会をお見逃しなく!

夜を踊り明かす


文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

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Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】

Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】

Vol.6 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 7日目】

Vol.7 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】

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Vol.9 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 10日目】

Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】

Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】

Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】

Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】

Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】

Vol.16 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】

Vol.17 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 18日目】

Vol.18 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 19日目】

Vol.19 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その1】<== 今ここ!

Vol.20 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その2】To Be Continued …

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 18

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
いよいよ旅も終わりに差し掛かってきましたが、最後の目的地であるECHO会議の会場へ行く前に、卒業生の活動をもう一つ視察しました。1,700人もの少女たちが学校の中退を免れたのは、ヴェー(2018年卒)がアジア学院で学んだ、ある技術のおかげでした!
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 19日目】

ECHO
ECHO東アフリカ主催の会議とAFARI(アジア学院北米後援会)主催のアジア学院卒業生の会議に出席するため、我々は今日、リロングウェに向かう。ECHOは、世界中の小規模農家に研修機会を提供している、とても素晴らしい組織だ。彼らの価値観やアプローチはアジア学院のそれとよく似ている。実際、私がECHOのスタッフに初めて会ったとき、こう言われた。「あぁ、アジア学院の方ですか。私たちの研修会で、すでに私たちの有機農業技術を熟知している人たちによく出会います。どこで学んだのか尋ねると、アジア学院で、という答えが返ってくるんです! やっとお会いできて嬉しいです!」

マックの新しい団体
マリンディを出発する前に、マクドナルドが昨年立ち上げたアナマジェロ・チャリティ・トラストという団体について、パワーポイントを使ったプレゼンテーションをしてくれた。この名前は彼の母親のニックネームに由来し、この組織自体が、自分のことを考えず、いつも隣人に分け与えていた母親から着想を得たものだという。要するに、このチャリティーの焦点は、子どもの支援や学校の改築といったことを含んだ、教育にある。最近のプロジェクトのひとつは、サイクロン・フレディで倒壊した近隣の学校を再建することだった。マクドナルドはスタッフの何人かをアジア学院に送りたいと考えているが、学院の方針に従うと、もう少し組織の成熟を待つ必要がありそうだ。

リロングウェまでのドライブは順調だった。ヤギの渋滞や警察の検問にはとっくに慣れていたからだ。マクドナルドがひげを生やしているから罰金!という警察官もいた。 (もちろんこれは冗談。でも本当にいるかも…?)

ヴェーが地上波に登場!
リロングウェで、我々は再びヴェー(2018年アジア学院卒)に会った。以前にも少し触れたが、ヴェーはZodiacラジオのパーソナリティで、農民向けの番組を、早朝に担当している。彼女の夫は政府の衛生管理局で働いているので、町中でゴミを見かけたら彼に文句を言うようにと言われた!ヴェーはリロングウェの高級住宅街に家を構える都会っ子のように見えるが、私は彼女の姿勢がとても好きだ。彼女はコミュニティの役に立てる機会を求めて積極的に出かけており、その活動を熱心に見せてくれた。

ヴェーは1,700名の少女を学校に通わせ続ける支援をしている!
「4人の少女が早婚を免れたの。」と、ヴェーは我々を地元の学校まで車で送りながら説明してくれた。「え?どういうこと?」と私は尋ねた。「生理用ナプキン・プロジェクトのおかげよ。女の子は思春期を迎えると学校を中退してしまう。生理用ナプキンがないから、毎月、生理の一週間は学校を休んでしまい、結局挫折して辞めてしまうの。その後の選択肢はほとんどないし、早いと14歳で結婚させられる子もいる。」

アジア学院で、再利用可能な布ナプキンの作り方を学んだヴェーは、帰国後、自宅からほど近いドゼンザ小学校の校長に、この技術を女の子たちに教えさせてもらえないかと持ちかけた。「問題ありません。すぐに始めてください。」と即答された。このような話題は、この社会ではタブーだとみなされかねないので、驚きだったという。抵抗にあうかと思ったが、そのようなこともなかった。

こうして、この7年間、ヴェーは少女たちに布ナプキンの作り方を教え続けている。2,300名の生徒の3/4が女性なので、この製品の需要には事欠かない。現在、学校はこの布ナプキンを作るための仕立て屋を雇っているが、ヴェーは少女たちが自分たちで作る方法も確実に学べるようにしている。我々は、中学受験を間近に控えた、“ヴェーの娘たち”に会った。 ヴェーはこの子たちの成長を見守ってきた。そして、彼女たちが学校に残り、恐れずに夢を抱き続けていることを誇りに思っている。ヴェーの存在自体も少女たちにインスピレーションを与えている。彼女は成功をおさめ、自分に自信を持っている。そして、子供たちが公共の電波で聴く彼女の滑らかなラジオ・ボイスは、最高にかっこいい!

いくつか補足しておくが、この学校は1928年に長老派のミッションスクールとして設立され、敷地内にある教会は1932年に建てられた。教室の一つでは、空手の練習をしている子供たちも見かけた。日本の青年海外協力隊のプロジェクトなのだろうか?彼らは世界中の子供たちにスポーツ、特に空手を教えていることで有名だ!
そして最後に、ヴェーはアジア学院で出会ったミッション・インターンの資金で建設された井戸を見せてくれた。彼のニックネームは“キング”だが、皆、そう呼んでいたので本名は覚えていない。残念ながら井戸は涸れてしまったので、復活させる方法を調べないといけないそうだ。

家族の大きな抱擁
その晩、我々4人(ヴェー、マクドナルド、カイ、スティーブン)は、ECHO東アフリカ会議の会場となる大きなホテル・リンデを目指し、ムポネラに北上した。ここはアジア学院の卒業生の会議会場でもあり、とても楽しみにしている。シエラレオネのマンブッとリベリアのパトリックがすでに到着していて、アジア学院の熱烈な抱擁で出迎えてくれた。世界をまたぐアジア学院のネットワークは、本当に大きな家族だ。この2人の卒業生とその他の会議については、次の回で詳しく話すつもりだが、今はぐっすり眠ることにしよう。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

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Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

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農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 17

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今日は長旅には欠かせない、ゆっくり過ごす日曜日。マクドナルドの温かいサポートの数々が身に沁みます。
マラウイの人と一瞬で仲良くなれそうな、なんともかわいい響きのチチェワ語レッスンもお見逃しなく!
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 18日目】

ゆっくりとした一日
日曜日は安息日だから、その通り休んだ。ゾンバで、カイと同じ症状が出始めたので、マクドナルドに村の診療所に連れて行ってもらい、パイナップル味の咳止めシロップなど、良い薬をいくつか処方してもらった。マクドナルドはその日、説教の担当ではなかったので、別の礼拝に出席した。私も参加したかったが、カイと私は寝るように言われた。そこで我々は湖のほとりにあるンジャラ・リゾートの部屋で過ごし、健康を取り戻すことだけに集中した。

昼過ぎにはだいぶ回復したので、敷地内を散歩した。心地よい聖日の賛美が聞こえてきた教会には、1866年9月にデイヴィッド・リヴィングストン氏が腰を下ろして休んだという大きな石があった。

夕方、キャサリンがはるばるバイクに乗ってやってきた。我々が訪れた村の青年を、どうしてもアジア学院に送りたいという。ジェイコブという名前だ。彼はとても有能で、村のために献身的に働いているが、アジア学院への出願を後押ししてくれる送り出し団体がない。これには、今後数カ月かけて取り組んでいく必要がある。

マクドナルドの小さな夢
その晩、我々は波打ち際で夕食をとりながら、ティトについてもう少し話をした。二人は大きな対立の中では正反対の立場にあったが、マクドナルドは、破門されて給料を失った彼に、時折、経済的な援助を行っていた。私はマクドナルドに、アジア学院が聖職者を養成することは良いことなのかと尋ねた。彼は学院の指導者を養成する側面は、人々と深い結びつきを持つ聖職者にとって非常に良いことだと答えた。しかし、農業に関しては、教会上層部からの支援があるかどうか、あるいは農業(しばしば「被造物への配慮」と呼ばれる)が教会の使命に含まれているかどうかにかかっている。マック自身の経験では、一般的に、リーダーシップ研修での学びを活用してきたというが、彼の夢は、いつか他の司祭が行きたがらない田舎の小教区に派遣され、教会とともに農業を始めることだ。
マックはまた、2018年の卒業生、シスター・ステラ・ノーティスを探すのを手伝ってくれた。この年にはアフリカから3名のシスターが来ていたのだ!なかなか彼女と連絡が取れなかったが、最終的にマックは彼女が修道女の生活を離れ、マラウイの北部に住んでいることを突き止めた。彼女と直接話す機会は得られなかった。

チャブウィノ
チチェワ語のレッスンで一日を締めくくろうと思う。マックが電話をかけているとき、いつも会話の最後に「チャブウィノ」と言っていた。とてもカッコよくて楽しい響きなので、彼に使い方の文脈を尋ねると、次のようなレッスンをしてくれた。

ジリブウィノ? ――大丈夫?
ジリブウィノ。 ――大丈夫だよ。
チャブウィノ。 ――よし、良かった。

ンジャラ・リゾートでの最後の夜、漁師たちの叫び声が響く中、眠りについた。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

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Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】

Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】

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Vol.9 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 10日目】

Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】

Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】

Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】

Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】

Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】

Vol.16 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】

Vol.17 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 18日目】<== 今ここ!

Vol.18 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 19日目】To Be Continued …

冬のアジア学院: 自然を楽しみながら未来を見据えて

アジア学院では冬真っ盛り。キャンパスには冬ならではの静かな魅力が広がっています。冷たい空気や移り変わる景色は、この季節の自然の美しさを改めて感じさせてくれます。畑に降りた霜や、朝の静けさなど、冬ならではの穏やかな時間が心を癒してくれます。

そんな冬の日々を楽しみながらも、私たちは4月を楽しみにしています。この時期には新しい研修生たちがアジア学院の仲間に加わります。彼らの到着はいつもわくわくする瞬間で、新しいエネルギーや視点が共同作業や学びに新たな息吹をもたらしてくれます。

今は、この季節ならではの素朴な喜びを味わいながら、これからの数カ月に向けて準備を進めています。アジア学院一同、この季節を皆さんも私たちと同じように楽しんでくださることを願っています!

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 16

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今回訪ねた村でも、あの強烈なニャウの踊りが彼らを迎えました!
「指導者が国民に団結を求めれば、国民は団結する。指導者が民衆に戦うことを望めば、民衆は戦うだろう。」というマクドナルドの言葉に、良き指導者とは何か、深く考えさせられます。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】

チクウィンガ村
今日はまた別の村を訪ねることができた。そう、これが、我々がはるばるやって来る理由だ。卒業生たちの仕事について話を聞くのも一つだが、村の景色や音、匂いを感じ、村の人々と話し、その生活がどのようなものかを知り、人々の人間性の美しさや苦しみを目の当たりにすることも、また別の意味を持つ。マクドナルドは親切にも、埃っぽい道を運転し、チクウィンガ村という場所に我々を連れて行ってくれた。
そこで再び我々は歌と踊りの出迎えを受けた。これには飽きることがない。今回はニャウが女性たちと一緒に踊っており、相変わらずの激しさだった。彼らの仮面は以前目にした踊り手たちのものとは違っていて、その様式にはそれぞれ意味があると思うのだが、聞いてもなかなか深い説明を得られない。

ヤギは良い!
ここの女性グループは、「統合的ヤギ譲渡プロジェクト」と呼ばれており、セシリア・ンピンガ(2016年アジア学院卒)が始めた。彼女が初めてこの場所を訪れたのは2018年で、衛生管理プロジェクトというNGOとともに、エコサントイレについて教えるためであった。 その時、日々の暮らしに困難を抱える12 名の働き者の未亡人グループに出会った。そこで2022年、AFARI(アジア学院北米後援会)のタール・フェローシップからの資金援助を受け、ヤギのプロジェクトを開始し、18頭のヤギ(オス6頭、メス12頭)を購入し、女性3名につき2頭ずつ配布した。女性たちは2人1組で作業するので、必要に応じて助け合うことができる。

我々のささやかな集まりは、それぞれの女性の自己紹介から始まった。マクドナルドは一人一人の名前を聞き、それが正しいかどうかを確認するために注意深く繰り返した。この単純な行為が、親密な関わりを育んでいることを感じ、感銘を受けた。彼女たちは、譲り受けたヤギがまだ若く、最初の子供が生まれるまで時間がかかったため、まだ「譲渡」は始めていないと説明した。子ヤギを何頭か譲り受けて、一人10頭ずつ飼育する予定だという。 ヤギから得られる一番初めの恩恵はその糞尿で、葉っぱと一緒に堆肥にして、畑で使用している。これまでに稼いだわずかなお金でタケノコを購入し、育てて売っている者もいる。気候変動は彼らにとって大きな課題であり、特にこの春の干ばつは深刻な影響をもたらした。

ありがとう、セシリア
彼女たちは皆、農業やヤギの飼育の新しい技術を教えてくれたセシリアに感謝しており、給料ももらえないのに、助けを求めるといつも来てくれると話した。セシリアはまた、政府の農業アドバイザーとの橋渡しもしてくれる。彼女たちの夢は、このプロジェクトを拡大し続け、鉄板屋根を買えるだけの資金を稼ぎ、十分な衣食住を確保することだ。

会合の後は、ヤギの世話を見学するために村を散策した。小屋で飼われているものもいれば、フェンスで囲んだ場所で飼われているものもいた。どのヤギも、安全のために家の近くで大切に飼われている。家畜が盗まれることは珍しくない。餌にはトウモロコシのふすま、マメ科の植物、緑の葉と塩を少々与えている。マラウイの村の暮らしは決して楽ではないが、このような小さなプロジェクトが人々の生活に著しい改善をもたらす。アジア学院の卒業生であるセシリアが、彼女たちのために自らの意志でこのような取り組みをしているのを見て、私は誇らしい気持ちになった。

出発前、カイと私はセシリアにビデオ・インタビューを行ったが、数日後、彼女はアジア学院の研修で受けた影響について、次のような追加のメッセージを送ってくれた。
「アジア学院で学んだことを話す機会に、もう一つ、言わなかったことがありました。それは、自分の強みについてです。アジア学院の研修に参加する前は、会議で発言するのも恥ずかしかったし、自分一人で活動を行う勇気もありませんでした。帰国後は、コミュニティの会合で発言したり、教会や地域、家族、職場で大きなイベントを企画・実施したりすることができるようになりました。誰かからイベントを請け負うように指名されれば、私は良い結果を出すことができます。例えば、私の一族の家族レベルでも、私がイベントを計画し、それを実行するので、皆、私を頼りにしてくれます。家族のなかには、イベントを担う私のことを『プロトコル(議定書などの意味)』と呼ぶ者もいます。コミュニティには、結婚式の手伝いに私を加え、私にチーフ・プロトコルの役職を与える人もいます。アジア学院の収穫感謝の日や農村地域研修旅行を通して、私はこの強みを得たのです。」

正午頃、我々はマクドナルドとともに街に戻った。午前中の出来事を振り返って、彼はこう言った。「指導者が国民に団結を求めれば、国民は団結する。指導者が民衆に戦うことを望めば、民衆は戦うだろう。」これは、彼が全国各地のコミュニティを見てきた経験から来るものなのだろう。チクウィンガ村のような場所やセシリアのような人々を見ると、彼は大いに勇気づけられる。しかし、貪欲で利己的なリーダーシップを目にしたとき ―それは決して稀なことではない― 彼は大いに失望する。

WOGミーティング
(ウォーグであって、ワーグではない。ロード・オブ・ザ・リングがお好きな方なら、何を考えているかはお見通しだ!)

ジェフリーの家に戻り(彼がジョンの弟で、ジョンが2013年アジア学院の卒業生であることを思い出してほしい)、盛大にWOGミーティングを行った。WOGとはジェフリーの組織、Word of God ministriesのことだ。全スタッフが招かれ、庭で輪になって話をした。
詳しい話をする前に、マラウイのことわざを紹介したい:“客は露のようなもの。 すぐに来てすぐに去る。”
もてなす者は客と過ごす短い時間を大切にしなければならないという意味だ。
前述したように、WOGの優先事項は伝道だが、地域開発にも手を伸ばしている。彼らには農業を始めたい土地が3つあり、ジョンの助けに期待している。 (1)家の隣にある1/2エーカー、(2)車で20分ほど離れたところにある購入したばかりの畑。 周囲には他の農場も多く、ヤシの木が岸に立ち並ぶ川もある美しい地域だ。 彼らには農業の経験はあまりない。 有機農法は彼らにとって魅力的に聞こえるが、実際はよく分からないという。マクドナルドは、すぐにでも、すべての藪を刈り取り、堆肥化するようアドバイスしていた! (3)前述の20ヘクタール。正直言って、私は、どうやったらそんなに広大な土地を活用できるのか分からない。アジア学院式の農業は非常に集約的で、小さな圃場から大きな収穫を得ることができるからだ。彼らは果樹園としての利用を考えているようだった。

WOGは1997年に組織として登録されたが、スタートは遅かった。当時、ジェフリーはまだマラウイ放送局で働いていた。 NHKとの共同プロジェクトで日本にも行ったという。 2009年から彼はWOGにフルタイムで貢献するようになり、2010年には、「村の銀行」を始めた。私が目にしてきた村の貯蓄貸付(VSL)と異なるものかどうかはわからないが、ビジネスプランを考えるトレーニングの要素も含まれているようだ。現在、スタッフのドロシーが村の銀行を管理しているが、いくつの村々で働いているのかという私の質問に、彼女は「たくさん!」と答えた。

新しいコミュニティに入ると彼らは「村のアプローチ」と呼んでいる方法で、まず親睦の場を立ち上げる。聖書を学び、祈り、礼拝をするキリスト教の集まりだが、ジェフリーはあまり詳しく説明しなかった。これらのグループから村の銀行を設立する。村の銀行で最も重要なのは信頼を確立することだからだ。ジェフリーはまた、メンバーたちがお金よりも福音を中心に据えるよう気を配っている。2021年に、彼らはサイクロン・フレディのために活動を中断せざるを得なかったが、2023年には再開できるだろう。ジェフリーは一村一品運動に強い関心を持っている。これは日本やタイ(そしておそらく他の地域でも)で行われている(あるいは試みられている)ビジネスの手法で、それぞれの村が独自の製品を生産し、販売するというものだ。興味深いモデルで、成功例も失敗例も聞いたことがあるが、今のところジェフリーの頭の中にあるアイデアとしてしか存在しないので、これ以上は触れない。彼はまた、「トレーディング・センター 」という概念についても言及した。これは市場のようなもので、商品が適正な価格で販売されることを除けば、その意味は同じである。彼は人々のために食料品の価格を抑える方法を考えようとしているのだが、マクドナルドはすぐに、農家も公正な価格を望んでおり、それを必要としていると指摘した。これを聞いて、ジェフリーは考えこんだ。

彼らはアジア学院にスタッフを派遣し、彼らの土地を迅速に開発するために必要な農業研修を受けさせたいと考えている。さらに彼らは、アジア学院のリーダーシップ研修が「エンパワメントからエンパワメントへ」という彼らのアプローチにぴったりだと考えている。
最後におじいちゃんも入って、皆で集合写真を撮った。91年の人生において、彼の目が何をとらえてきたのかについて、私はまだ想像を働かせている。
我々がマラウイ湖畔のマクドナルドの家に戻ったのは、日没後であった。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

シリーズ記事はこちら

Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】

Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】

Vol.6 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 7日目】

Vol.7 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】

Vol.8 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 9日目】

Vol.9 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 10日目】

Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】

Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】

Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】

Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】

Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】

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Vol.17 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 18日目】To Be Continued …




農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 15

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今日の旅でも、多くの卒業生との再会がありました。
マラウイの興味深い文化や人々の考え方に、カルチャーショックも感じます。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】

ゾンバへ
今日はゾンバに向かう!ゾンビではなく、ゾンバである。この違いをはっきりさせることが肝要だ。マクドナルドと手短に話し合った結果、私たちは計画を変更し、南部のブランタイヤへの訪問を中止することにした。スケジュールがタイトすぎるし、休息と健康回復のための時間が必要だった。というわけで、私たちはゾンバに向かい、明日またここに戻ってくることになった。

“被造物への配慮”
道中、最初に立ち寄ったのは、聖公会と長老派の教会が運営するチレマ・レイ・トレーニング・センターだった。マクドナルドは、マリンディに行く前にここに駐在していた。ここは、前主教の破門とそれにまつわるすべてのドラマの後、わずか4ヶ月前に就任したばかりのウィリアム・ムチョンボ主教の住居でもある。彼はしんせつにも、短い歓談の時間を設けてくれて、我々は環境への配慮、つまり「被造物への配慮」が彼の教会の優先事項の上位にあることを知った。それは教区の4つの柱、(1)伝道、(2)典礼、(3)教区の持続可能性のための投資、(4)環境への配慮の中に含まれている。彼はアジア学院の活動をよく理解しているようで、少なくとも我々の働きを評価してくれている様子だったので、教区からより多くの研修生を派遣することについて話した。彼は自ら、アジア学院に女性を派遣することについても触れ、女性グループのコーディネーターはとても情熱的で行動的だと説明した。女性リーダーを採用するのはつねに大きな課題であるため、これは我々の耳に心地よく響いた。

会合の後、マクドナルドはアジア学院の後、教区の農場に配属され、そこで有機農法を始めたことを語った。手っ取り早く利益を得るためには肥料が必要だ、という人々の抵抗にあい、結局異動になったそうだ。この点については、今後の志願者を検討する際に、教会指導者たちともっと話し合うべきだが、有機農業に対する彼らの態度が変わりつつあることは、すでに実感していた。

ティトと裏話
次にティト(2012年アジア学院卒)の家に行った。まさかティトに会えるとは思っていなかった。というのも、彼は教会の大喧嘩の際、過去の主教側に強く味方し、結局破門されてしまったからだ。そのことについては後ほど詳しく説明するとして、順を追って話を聞こう。ティトがリビングルームで、庭で採れたポップコーンと落花生をごちそうしながら、我々に話をしてくれた順序で。ところで、このポップコーンは美味しかった。私は知らなかったのだが、ポップコーンは特別な品種のトウモロコシから作られていて、マラウイで広く栽培されているのだそうだ。ポップコーンが大好きだった父に、このことを教えてあげたかった!

2012年12月にアジア学院から帰国した彼は、マラウイ湖近くのンコペ(マンゴチ地区)という場所の教会に赴任した。土壌は砂地だったので、アジア学院で学んだ堆肥とぼかし肥の技術を使って土壌を作り上げた。耕作は不可能だと思っていた場所で作物が育っているのを見て人々は驚いたが、彼がやり方を示したのでそれに従うようになった。彼は自分の教会だけでなく、他の教会やイスラム教徒のコミュニティの女性や若者の指導も行った。また、盲人のための宣教も始め、盲目の少女や少年のための宿舎を設立した。

2017年、ティトは現在マクドナルドのいるマリンディに移され、農村部長の職を与えられた。彼はモリンガの木を植え、有機農園を始め、ぼかし肥や木酢液など、アジア学院からもたらされた技術を用いた。2年後、彼は再び主教の住むチレマに赴任した。そして2022年10月23日(この日付は彼の人生に永遠に刻まれることになる)、彼は主教と他の13名の司祭たちとともに破門された。詳細は語らなかったが、ただ主教を支持し、声を上げて抗議する人々には加わらなかった、とだけ言った。その日から彼は給料も俸給も一切もらえず、立ち退き命令も出された。幸いなことに、彼と彼の家族は敷地内に別の家と土地を持っていた。「生き残るために、私はこの土地を使ったのです。」彼は、家族の生きる糧となった庭を誇らしげに案内してくれた。そこはキャッサバと野菜で青々としていた。優れた有機農家の証に、鶏糞(30羽のニワトリがあちこちを走り回っていた)、トウモロコシのふすま、灰、もみ殻など、土づくりに使われるものが詰められた袋を見せてくれた。彼は棒で上手にパパイヤを2、3個木から叩き落とし、我々にくれた。

豆と乾燥キャッサバの昼食をとりながら、ティトはアジア学院にいたとき、自分の人生のピークは母親の死だったと振り返りレポートに書いていたと話した。しかし今、「自分の経験のピークは破門」だという。日本で学んだことを引き合いに出し、「あきらめるな。私はサーバント・リーダーだ!」と話す。

彼の教会での地位は現在、牧会委員会で審議されており、間もなく復職する可能性も十分にある。彼は最新の決定を待っており、来週中には聞けると期待している。

チンガレ・コミュニティ
昼前に、我々は2016年の卒業生であるトウェラに会いに出かけた。(新しい)主教のご厚意で、田舎道を移動するのに便利な車と運転手を用意してもらった。トウェラは、2007年に始まったチンガレ・ネノ復興開発プログラムという地元のNGOでプログラム担当官として働いている。アジア学院で研修中の学生、サイモンも同じ団体の出身だ。驚いたことに、彼は創設者兼、現所長の息子であることがわかった。お父さんも歳をとってきたようで、そろそろ引き継ぎを考えているようだがその話はしなかった。むしろ彼は、「あなた方の団体(アジア学院)が生み出した成果」を語り、「君が日本に行く前は、こんなではなかった。」とトウェラに言った。それに対して彼女は、「以前は怠け者でしたが、アジア学院に行ってからはとても働き者になりました。」と付け加えた。帰国後、彼女はプロジェクト・マネージャーからプログラム・マネージャーに昇格し、次期所長の座も射止めたようだ。サイモンは、私が考えていたような世襲の道はおそらくたどらないのだろう。

8名のスタッフが、食料安全保障(おそらく農業のことを指す)、家畜、村の貯蓄と融資、子どもの生存(おそらく幼い子どもたちの栄養管理の取り組みを指す)、心理社会(おそらくジェンダーに基づく暴力のケアのこと)、青少年のレクリエーション、障がい者(地域の障がい者を把握し、必要であればよりよいケアができる場所を紹介する)といった分野で働いている。あまり詳しく説明できなくて申し訳ない。とても短時間の会合だった。彼らの自慢の一つは、全従業員がすべての部門で働けることで、必要であれば互いにカバーし合う。所長いわく、「運転手だって現場に行けるんだ!」とのこと。
団体は2014年から2016年までGrowing Hope Globallyという組織から資金援助を受けており、アジア学院を紹介したのも彼らだった。現在は長老派の開発機関の援助を受けている。

羽根の生えた代理母
スタッフと養鶏について話す中で得た興味深い学びの一つに、卵を集めることができるということがある(もちろん話はこれだけじゃない!)。孵化させたい有精卵があれば、別の抱卵中の鶏たちに預ければ良いのだ。ここでは、地元品種の鶏たちの下に卵を置くのだが、彼女たちは赤ちゃんを無事に孵化するまでに必要な母性愛を、喜んで与えてくれる。農家なら誰でも知っていることだし、私も一度や二度は聞いたことがあったはずだが、改めて知ることができて良かった。

チェプトゥラ女性グループの集まり
次に我々は、彼らが働く300の村の一つに向かった。現地の素晴らしい習慣に従い、我々は歌と踊りの挨拶を受けた!こんな歓待を受けて、喜ばない人はまずいないだろう。チェプトゥラ村の女性グループのメンバー、10名によるもので、男性も数名含まれていた。
木陰の席に着き、数えたら10名以上いることに気付いたが、細かいことは聞かず、彼女たちの活動について教えてもらうことにした。トウェラが教えた、「贈り物の譲渡」ヤギプロジェクトもその一つだ。2頭のヤギが与えられ、最初に生まれた子ヤギは隣人に譲らなければならないが、その後生まれた子ヤギは自分の家で飼っても良いことになっている。各世帯が20頭のヤギを飼うことを目標としているが、今、村全体でヤギの頭数が減っている。食料を買うためにヤギを売っているからだ。本来であれば、自分たちの畑で日々の生活をまかなえるはずなのだが、干ばつがそれを許さないという。トウェラが所有するトウモロコシ畑は灌漑されているので、豊作を得ることができる。マラウイには、国土の大部分を流れるマラウイ湖のような良質な水源はたくさんあるが、灌漑されている農場はほとんどない。これはつねに話題に上ることだが、もし政府が灌漑支援をしていれば、この国は世界最貧国の一つにはならず、雨が降らないたびに(あるいは2023年のサイクロン・フレディ襲来の時のように、雨が降りすぎるたびに!)食料の確保に苦労する国にはならなかっただろう。

人々は村の貯蓄貸付(VSL)グループも有しており、金利は20%で、2ヵ月以内に返済しなければならない。 毎年、年の終わりに積み立てた利子を集計し、メンバー間で分配する。私が出会ってきた他のVSLとはかなり違うので、詳細は間違っているかもしれないが、VSLの良いところは、グループのメンバーたちが自分たちのニーズに合わせて独自の規約や細則を作れるところにある。

ニャウとの踊り
私たちが話していると、何人かの子供たちが通り過ぎ、さらに多くの子供たち、そして太鼓や椅子などを担いだ人たちが集まってきた。それは村の集まりの準備であり、我々のために用意されたものだった。彼らは輪になって、太鼓を叩いて踊り始め、我々もそこに加わるように招いてくれた。ビデオを撮る絶好の機会だったので、いくつか撮っていると、彼らが私に、ある方向を見るように指差した。すると、建物の陰からニャウと呼ばれる、精巧な衣装をまとった2人の仮面をかぶった踊り手が出てきた。チェワ族伝統のグレ・ワムクルと呼ばれる踊りらしい。我々観光客だけでなく、村人にも大好評で、本当に衝撃的なアフリカ体験だった。

チャプウェテカ村の “監査”
あっという間に踊り手たちの姿は消え、村人たちも散っていった。
次に我々はチャプウェテカ村から来た別の村の貯蓄貸付(VSL)グループに会った。
会合は、まるで我々が監査役であるかのように、会計係が帳簿を開いて会計を読み上げるところから始まった。そのような透明性と信頼は、彼らが育みたかったもの、あるいはグループ内で育むように教えられてきたものなのだろう。
それは次のようなものだった。

2020年、16名のメンバーでグループを結成した。
12月の決算は以下の通り:
株式 – 500,000
緊急資金 – 320,000
利子 – 180,000
その他の何か(聞き取れなかった) – 40,000
合計 – 1,020,000(うーん、20,000足りないようだ。私が何か聞き逃したのかもしれない。 本当の監査役じゃなくてよかった!)
この時点で、資金はメンバー間で分配された。

2021年1月、我々は銀行を再開した。
2021年12月、我々は以下の口座を閉鎖した:
株式総額 – 320,000
緊急資金 – 150,000
利子 – 150,000
その他の何か – 120,000
合計 – 630,000

うーん、また腑に落ちない。もしかしたら、私が理解できなかった“その他の何か”が関係しているのかもしれない。しかし、怪しいビジネスが行われていたとは考えない方が良い。メンバー全員がこれらの口座の詳細を知り尽くしており、それこそがVSLの力なのだ。自分たちで管理して利益を得る。彼らは現在に至るまで会計報告を続け、サイクロンの年は貯蓄よりも家の修理にお金が回ったため、全体的に金額が減少したと説明した。

食べ物を分かち合う…
会合が終わると、皆で道端の店まで歩いて行った。そこには我々のために、郷土料理が用意されていた。ウシパと呼ばれる小さな干物(イワシのようなもの)、タカキビから作られたシマ(タカキビはトウモロコシよりも干ばつに強いので、これは良いアイデアだ)、トウモロコシのシマ、サツマイモの葉、スイート・ビールと呼ばれる発酵飲料のようなもの、そして2種類のケーキがあった。トウモロコシ、小麦粉、大豆、砂糖で作られたケーキと、バナナ入りのケーキだ。バナナが大好きな私は、バナナケーキを食べた。それはとても美味しかった。残念なことに、作り方や、粘土や土の窯で焼いたのかなどについて聞くのを忘れてしまった。すべての料理を試してみるよう、人々に勧められたので、私たちは喜んでそれを食べ、さまざまな味と食感を楽しんだ。混乱を避けるために言っておくが、シマはザンビアのシマと同じものである。発音が違うだけだ。村人が作った料理を、村人と一緒に食べられる貴重な機会を、私はとても有難いと感じる。味や香りなど、五感を使って彼らの文化を体験することができるし、アジア学院で高見先生がよく話していた“食べ物を分かち合うことはいのちを分かち合うことだ”という言葉を現実のものにしてくれる。

WOG の奉仕活動
その夜の宿泊先として、ジョンの弟のジェフリーが快く自宅を提供してくれた。ジョンは2013年のアジア学院の卒業生で、現在は彼が立ち上げたウィル・オブ・ゴッド・ミニストリーズ(WOG)という組織で兄とともに働いている。ジェフリーは私たちをもてなし、アジア学院とのつながりを持つことをとても楽しみにしてくれていた。ウィル・オブ・ゴッド・ミニストリーズ・インターナショナルは信仰に基づくNGOで、彼らのアプローチは「学び、実行し、教える」ことだ。聖書に出てくる人物、エズラに倣って、彼らは聖典を学び、それを理解し、適用し、そして外に出て、教え、伝道する。ご想像の通り、彼らは伝道に重きを置いているが、最近では社会経済開発の要素にも取り組み始めており、それでアジア学院(と彼の弟ジョン)の出番というわけだ。ジェフリーの職業は電気技師であり、彼の妻は南アフリカで健康増進の修士号と看護学の博士号を取得し、看護大学の校長をしている。1933年生まれの父親も同居している。彼が生まれてから31年間、この国はまだニャサランドと呼ばれるイギリスの植民地だった。91年の間に彼が見てきたものすべてについて、彼に尋ねることができればよかったのだが…。

家に着くと、リビングルームに通され、お菓子と会話で親切に迎えてもらったが、家具は屋外用のプラスチックの椅子だけだった。私は、それぞれの家庭に個性があるから、あまり気に留めていなかった。ところが1時間ほどしてトラックがやってきて、ソファや座り心地の良い椅子がいくつも運び込まれ、たちまち雰囲気が一変した。そしてトラックが去ったと思ったら、今度は私たちが寝るためのベッドを積んで戻ってきた。ジェフリーはすぐに、これらはすべて私たちが来る前に到着するはずだったと説明した。私は、この文化では、居間に快適なソファセットがあることが、繁栄と、もてなしの証であることを思い出した。

無駄にしている時間はない
ジョンは、そのゆっくりとした几帳面な話し方で、アジア学院での経験やその後のことを話してくれた。彼はその年の研修プログラムに参加した3人のマラウイ人のうちの1人だった。彼に最も深い印象を与えたのは、サーバント・リーダーシップ、有機農業、そして勤勉な日本の文化だった。「マラウイで、私たちは時間を無駄にしています。しかし、日本では、時間に無駄がありません!」
「広島や東京タワーのような、人生の中で訪ねることができるとは思ってもみなかった場所を訪れました。」とジョンは続けた。「学びのためにアジア学院に行きましたが、学院では、謙虚であること、自立することを学びました。他の国から来た人たちと一緒に生きる方法を学びました――共に生きるために、を。でも、主な学びは有機農業でした。」
帰国後、彼は父親の土地で有機農法を実践し始めた。化学肥料やハイブリッド種子を使用していたため、完全な有機農業ではなかったが、鶏糞、灰、トウモロコシのふすまから作るぼかし肥を導入した。また、「アジア学院でジルやアンクル・ティモから学んだように」、豚や鶏も飼育した。

当時、彼はまだ衛生管理プロジェクト(HVP)という送り出し団体に所属していた。この団体は、我々がエネトのところで見たようなエコサン・トイレの設置を支援している。このトイレから、畑の肥やしを得ることができる。残念ながら彼の契約は2019年に終了し、資金不足のため更新されなかった。安定した収入を得られず、彼は本当に苦労したが、それでも時々、HVPのボランティアをしていた。2021年からはWOGが彼をプログラム担当官として雇い、畑の世話を任せている。彼らは20ヘクタールもの土地を含む、多くの敷地を有しており、この土地を組織の収入とトレーニングを行うために開発したいと考え、ジョンとアジア学院の助けを必要としているという。
ジョンは、将来の計画はもっと進歩することだと言い、私との会話を締めくくった。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)


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