子どもたちの未来のために
ニラーニは、スリランカでも草分けのソーシャルワーカーだ。貧しい家庭に生まれ育ったが、奨学金を得て、スリランカで初めて創設された社会福祉学校で学び、母校やその他の教育機関で教鞭をとった後、セーブ・ザ・チルドレンでの仕事を通して、幅広い人々と関わってきた。
2004年12月26日、彼女の人生を大きく変える出来事が起きた。出張を兼ねて、沿岸地域に家族と滞在していた折、スマトラ地震による大津波に遭遇。5歳の息子を亡くした。
言い表せない深い悲しみの中、彼女が立ち上げたのが、シッダールタ子供開発基金 (SCDF)だった。子どもたちが安心できる環境で育てられ、個々の潜在能力を余すところなく発揮し、喜びに満ちて生きることを目指して始められたこの活動は、今年20周年を迎えた。
ニラーニが、今、最も心を砕き、3カ月に一度訪れる活動地がある。中部州のハサラカ・ガンゲーヤヤにあるその村に行くには、バスとオート三輪を乗り継ぎ、さらにそこから5㎞歩かなくてはならない。合わせて、片道8時間の道のりだ。
オート三輪の運転手が断るような、悪路の先にあるこの村へのアクセスの悪さは、村人の生活を大いに困窮させている。
ほとんどの家庭において、母親は中東に、父親や男兄弟は軍隊に出稼ぎに行っている。残された祖父母だけでは、十分に子どもの教育ができず、高学年になると、多くの子どもたちが学校を中退してしまうという。
村でできる数少ない仕事の一つにレンガ作りがあるが、支払われる賃金はごくわずかだ。さらには、業者が地域の人々の土地を借り上げて、レンガの材料の土の採掘を行うため、豊かな表土が失われ、返還される頃には、農業も満足にできない土地と化してしまう。
もう一つのコミュニティの問題は、ゾウ被害だ。村に隣接するジャングルに生息するゾウたちは、家の近くに実る果物や水を求めて、しばしば居住区に現れる。家の中にお米があることが分かれば、家屋は破壊され、ひどいと家族が亡くなることもある。
ニラーニがこの村に関わり続ける理由の一つに、彼女が実の娘のように気遣う、SCDFのボランティアワーカー、チャンドラの存在がある。彼女の家族は村で一番貧しい。でも彼女は美しい心を持ち、自分の問題を差し置いて、人々のために奔走している。
7月にもニラーニは、その村を訪れ、1週間ほど滞在し、子どもたちやお年寄りのためのプログラムや家庭訪問を行った。
彼女が来ると、話を聞いてもらおうと、多くの村人が集まってくる。人懐っこく友だちのようにすり寄ってくる少女には、発達の遅れがあったが、チャンドラたちの介入により、今では読み書きができるようになり、よく話す。雨不足の影響を視察するニラーニに、自宅のカボチャ畑を誇らしげに見せてくれた。
2018年にアジア学院を卒業してから、子どものプログラムに農業を積極的に取り入れるようになったニラーニは、この村でも、10月の雨期に向けて、9月から子どもたちと一緒にコンポストを作ったり苗を育てたりするプロジェクトを始め、個々のキッチンガーデンの計画を進める予定だ。
ニラーニの最近の楽しみは、2階にある自宅で、植物を育てることだ。限られたスペースでも活用できることを子どもたちに教えたい、と始めたが、どんどん愛情が沸き、病気になったり枯れたりすると悲しいといった、子どもの時の素直な気持ちを思い出している。
大切な仕事を終えて家に帰ると、体は疲れても、心は不思議と元気になるという。
ニラーニにとって食べものは何か聞いてみた。その答えは、「あらゆる生きものにとって最も大切なもの」。これは仏教の教えでもあるという。
彼女はいつも、チーフ・シアトルの言葉を用いて、子どもたちにこう話す。
「先祖代々受け継いできたこの大地が傷つけば、人間も生きていくことができない。だからこの大地を大切にしなければならない」と。



文・阿部 真希子
写真提供・ニラーニ・ウェラゴダ(2018年卒業生)
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【「食べものからの平和」卒業生の食卓から ① — 序章】
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