8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
マラウイで最初に訪ねたのは、アジア学院での学びを実践し、人々に教え、隣人の生活や村の環境に変革をもたらしている“農民リーダー”、エネト(2013年卒)です。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】
さあ出発だ
今朝、我々はリロングウェからサリマに向けて、午前10時頃出発した。マラウイはザンビアほど広大ではなく、道路の状態は2種類に分かれているようだ ――すごく良いところと、すごく悪いところ。今日の道の大半はすごく良かったが、状態の悪いところも部分的にあった。カイの体調は良くなっていたが、まだ本調子ではなかった。彼は、リロングウェの病院はやめて、マックが住んでいるマリンディの病院に行くことにした。
駐車と洗車
街を出る前に、私たちは非公式の両替屋、駐車場にいる男性の元に立ち寄った。マクドナルドはWhatsAppで彼に連絡し、ここで会う約束をしていた。銀行のレートは1ドル=1,700マラウイ・クワチャだったが、路上レートは2,400だった。かなりの差だ。ちなみに駐車場は洗車場にもなる。スポンジとバケツに入った水を持った抜け目のない起業家たちが、買い物中に車を洗ってくれるのだ。フロアマットの掃除もしてくれる。この駐車場で、私たちはヴェー(2018年アジア学院卒)にも出会った。彼女はラジオ局での早朝勤務を終えたばかりで、のちにまた会う予定なのだが、ここを通過する我々に挨拶するために立ち寄ってくれたのだ。ヴェーとおしゃべりしながら、周囲を歩きながら行商をしている男性から、マラウイの村の風景を描いた絵を数枚買った。駐車場は賑やかだったから、こんなことをするのも悪くないと思ったのだ!
ようやく我々は出発したが、すぐに警察に止められた。何が違法なのか?駐車場から道路に右折するのが違法だ、というのが警官の説明だった。マックが“右折禁止”を示す標識がないことを指摘すると、警官は「しかしこれは法律であり、知らなかった、は言い訳にならない。」と言った。私の頭の中でたくさんの疑問符が浮かんだ。というのも考えてみてほしい。警官は何でも法律だからと言うが、そう言われたら、我々は何ができると言うのだろう。マックはこれを“政府の資金調達”と呼び、対処法を心得ていた。罰金は20,000クワチャだったが、どういうわけか10,000クワチャ(約4ドル)に“交渉”することができた。これはマラウイの人々が日々対処しなければならないことの、ほんの一例に過ぎない。
道路に関するとりとめのない話
マックから、道路はポルトガル人によって作られたと聞いて驚いた。私がこれまで訪れたアフリカのどの国でも道路を作っているのは中国人だったからだ。バイクや自転車のタクシーもあり、トラックの荷台に乗れるだけの人数を乗せて、行き先を大声で叫ぶ人もいる。意外なことに、この最後のバージョンのタクシーは、高齢の人々も含めて(乗り心地が悪いだろうに)、多くの人々に人気なようだ。値段がいいのか、それとも他に選択肢がないのか。
村に居ながらにして生活を向上させる
細長いこの国の狭い幅を、マックはわずか数時間でマラウイ湖に向かって縦断した。
サリマ地区でエネト(2013年アジア学院卒)に会った。エネトがアジア学院から戻ると、彼女の仕事はなくなっていた。アジア学院との契約はこのような形で結ばれるはずはなく、エネトにとっては間違いなく苦難の時だったが、彼女は立ち直り、農業で生計を立てている。
彼女の家に行くよりも前に、彼女が我々に最初に会わせたかったのは、“最初の農家”だった。エスター・ルバニという女性で、彼女の友人であり、アジア学院での学びを分かち合った最初の人である。エネトの指導の下、エスターはヤギを飼い始めた。ミルクと肉、そして堆肥を得るために。ヤギは床を高くした手製の小屋で飼育されている。高い床でヤギを飼う方が衛生的だし、糞を集めるのも簡単だ。農家が市販の肥料に頼るのをやめたかどうかは、家畜の糞尿をどれだけ大切にしているかですぐにわかる。エスターは現在45頭(かなりの数だ)のヤギを飼っており、その糞尿をトウモロコシ畑で使用している。この方法を始めた当初、彼女はすぐにその効果に気づいた。今年は干ばつにもかかわらず、2エーカーで92袋のトウモロコシを収穫した。彼女は誇らしげに、家の中に保管されているトウモロコシの袋を見せてくれた。近所の人たちも注目しており、どうすれば雨が少ない時でも豊作になるのか教わるために訪ねてくる。
彼女が農場で成功したことは、家計の収入を増やすことにつながり、それは有効に活用されている。彼女は、“とても役立つ”電動耕うん機を購入し、大学生1人を含む、子供たちの学費も難なく支払うことができている。また、冷蔵庫やソファーセット、その他多くの生活用品を購入した。我々には当たり前かもしれないが、平均的な村人には手の届かないものだ。
エスターは、エネトが「村に居ながらにして、生活を向上させてくれたこと」に深く感謝し、こう話した。「私たちはエネトのやり方を試すことを厭いません。彼女が自分の畑でも同じことをしていたからです。」
エスターのこの最後の発言は、“農民リーダー”がコミュニティでどれほどの影響力を持ちうるかを示してくれた。私の考える“農民リーダー”とは、生業として農業で身を立てることに成功しながらも、コミュニティ全体とつながり、人々に技術を教え、分かち合う農民のことだ。これは非常に力強いモデルである。
農民リーダー
我々はエネトの家に向かい、彼女が用意してくれた美味しいランチをいただいた。彼女の農園でも見るべきもの、学ぶべきものがたくさんあった。エネトの夫は私と同じくスティーブンと言い、彼は私たちを出迎えるなり、「エネトが僕を変えたんだ!」と言った。
彼女がアジア学院から戻った直後から、有機農業を始めたが、最初の年は収穫量が減ったので、2人の間で意見が対立することもあった。2年目には収穫量が増え、3年目には以前よりも多くの収穫量を得た。今では生粋の有機農家で、近隣住民もそれに続こうとしている。「このコミュニティでは、誰も糞尿をくれないんだ。でも以前は、どこからでも手に入れることができた。」とスティーブンは説明する。肥料を買わずにすむので、人々にとってかなりの節約になり、糞尿の販売も始めた。昨年は141袋の動物の糞を販売したそうだ!
スティーブンは近くの村の学校で教師をしているが、「それに頼っているわけではない」。つまり、それが彼の唯一の収入源ではない、ということだ。もしそうなら、収入は本当にわずかなものだった。彼らは農場で収益を上げているのだ。一家は家の近くのコラ(畜舎)で豚を飼育しており、現在そこには20頭ほどの豚がいる。以前は100頭いて、そのうちの35頭を売った時に車を買うだけのお金ができたが、不幸にも事故に遭ったので売ってしまった。今はロバの荷車に頼っているが、これも豚から得た利益で購入したものだ。そして、彼らの家でさえも、農業で成功した結果だという。
主な飼料はトウモロコシのふすまだが、干ばつで不足している。人々がふすまを食べるようになり、飼料として販売しなくなった結果、40頭の豚が飼料不足で死んでしまった。彼は自分で飼料を作れるように、脱穀機と製粉機を買う予定だ。また、ふすまをくれれば、隣人のトウモロコシをすべて無料で脱穀することを考えている。トウモロコシの脱穀は家族経営の農家にとってかなりの出費だから、これは良い取引だろう。豚の飼育には挫折もあったが、それでも年に2、3回は複数の子豚を産むというから、収益性は高いという。豚熱については何も触れなかったので、彼がそのような事態に陥らないこと、あるいはリスクを減らす方法を知っていることを願うばかりだ。
肥やし大好き!
昼食後、エネトとスティーブンは農場と学校を案内してくれた。まずは、家までの小道として植えられた美しい並木から。これらの木々は敷地を新鮮で清潔なものにしていた。私は、なぜ村人たちの家の周りには木が少ないのだろうと不思議に思った。エネトの家には唯一、たくさんの木が生えていた。村々がいかに荒廃して埃っぽいか、そしてなぜ卒業生たちが植樹を奨励し、実践しているのかよく理解できた。生活の質を向上させる、とてもシンプルな方法なのだ。次に、利便性のためにきちんとラベルが貼られた、さまざまな材料からなる堆肥の山を見学した。植物性の堆肥の山と、家畜の糞に、トウモロコシの殻、灰を混ぜた堆肥の山があり、21日間保管される。これは、彼らがンドマ・プーと呼ぶ現地の堆肥化技術だ。コラの横には、豚の糞が入った袋がいくつもあった。私は、農家の人たちが動物の糞を見せてくれる時に浮かべる満面の笑みが大好きだ。まるで何か深い秘密を共有しているかのようだ。最後の山にはエコサンと書かれていた。エコサンはエコロジカル・サニテーションの略で、この堆肥はエコサン・トイレの人糞から作られている。マラウイの他の卒業生たちが所属する、衛生管理プロジェクトという団体が、エコサン・トイレを推進しているが、エネトとスティーブンはそこから学んだのだろうか。このトイレはとてもシンプルなデザインで、水を必要としない。ただものすごく深い穴を掘るだけだ。一つの穴がいっぱいになるまで使い、別の穴に切り替える。使用後は毎回、臭いと細菌の発生を抑えるために、土と灰を入れておく。最初の穴がいっぱいになったら密閉し、半年待てば、ほら、農地1エーカー分の安全な堆肥のできあがりだ。彼らは我々にそれを見せてくれた ――例の“秘密の笑顔”で!
動物除けのフェンスに囲まれたエネトの菜園を見た後、我々は学校に向かった。この地域では、家畜ではなく野菜に柵をしているのが面白い。途中、斜めに生えている木の横を通り過ぎた。エネットはこの木を使って子供たちに植林について教えている。この木が曲がっているのは、あなたたち子供が登ってだめにしてしまったからだと彼女は言う。でも、木は痛みを感じることができる生き物だから、大切にするかどうかは私たち次第だと。
学校にはアカシアの森があり、生徒たちが植え、世話をしていた。これもスティーブンの取り組みのひとつだ。もうひとつはバナナ畑で、堆肥を入れた柔らかい土に植えられている。泥棒ヤギたちの襲撃から守るため、フェンスで囲っている途中だ。スティーブンは環境保護に対する意識が強く、その行動は生徒たちに多大な影響を与えている。よく他の学校に頼まれて、環境に対する意識を向上させる手始めとしての植樹の手伝いをするそうだ。
彼らは我々に、有機農業の歩みを継いでいる近隣の養豚農家に会わせたかったようだが、残念ながら時間が迫っており、我々にはまだ長旅が残っていた。我々はエネトを手伝って、彼女が町で開いている小さな店(彼女の数ある取り組みの一つ!)に車で商品を運んだ。
さらなるマラウイについての学び
我々が車を走らせていると、ある地点で、数人の子供たちが長い枝を振りながら道路に立っていた。我々にスピードを落とせ、あるいは止まれと言いたい様子だったが、一体何のために? マックは、彼らは短い区間の穴ぼこを土で埋めたので、その努力に対して寄付金を求めていると説明してくれた。私はアフリカの他の地域でもこのような活動を見たことがあり、賢い取り組みのように思えるが、地元の人たちはそれをあまりよく思っていない。彼らはむしろ、政府が、道路を良好な状態に保つための仕事をするべきだと考えているからだ。
マンゴチの町はマラウイ湖の南端に位置し、そこから広いシャイア川が流れ、“日本の人々”によって作られた美しい橋がかかっている。イスラム教徒が多く、実際、そのような装いをした人を多く見かけた。マックによれば、この地域は教育水準が低く、若い人たちは南アフリカで下働きをしているという。南アフリカは暴力犯罪の多い国だと考えられているので、マンゴチの住民は、若者がこの悪い文化をマラウイに持ち帰っていると主張している。
ンジャラ・リゾート
マンゴチからマリンディにあるマクドナルドの家までは、“すごく悪い”道をさらに一時間走った。その途中、我々はさらに2つの(絶対に日本人の手によるものではない)橋を渡った。私は対岸に着くたびに感謝の祈りを捧げた!
マラウイ湖のすぐほとりにあるマクドナルドの家に着いたときは、もう日が暮れていた。彼の奥さんと4人の子供のうちの2人が出迎えてくれた。13歳のノリコは、マクドナルドがアジア学院から戻った直後に生まれ、我々への最初の言葉は「コンニチハ」「ハジメマシテ」だった。ナンディ(2歳)は末っ子で、その誕生は全く思いがけないものだったという。彼女が家庭を牛耳っているのだろう。
カイの熱が上がったので、マックは教会が経営している地元の診療所に電話し、夜遅かったが、2名のスタッフが診察に来てくれた。そこは清潔で衛生的で、設備も整っていた。彼らはカイの血液を採取し、精巧そうな機械にかけた。診断の結果、マラリアやその他の大きな問題はないとのことだった。ただの風邪で、薬もその場で処方してもらえた。
マックの家に戻ると、ベランダに美味しい夕食が待っていた。湖面は穏やかだったが、漁師たちの叫び声が夜遅くまで響いていた。カイは、私が「ンジャラ・リゾート」と名付けたこの場所で、明日一日休むことができると知って、気持ちが楽になったようだった。ンジャラ・バンダはマクドナルドの本名、あるいは少なくともその一部である。
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】<== 今ここ!
Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】To Be Continued …