8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
4日目は、またまた長い旅の一日でした。
そして、やっとその日の目的地に到着!そこで待っていたのは…?
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】
ルサカ行きのバスに乗り込む
ルサカ行きのUBZバスの出発時刻は午前7時だった。
「このバスは定刻に出発する!」と何度も警告されたので、私たちはちゃんと午前7時前に到着していた。
通常のアフリカのバスの出発時間は…“バスが満員になった時”で、燃料節約の観点からすると、そのほうがずっと効率的なのだ。
バスに積み込まれるものを見るのは楽しかった。
たくさんのスーツケースの間には、チョコレートの箱、謎の金属ケース、そしてトラックのエンジン。それともこのバスのスペアなのだろうか?多分違うだろう。外も中もピカピカに磨き上げられた最新車両だったからだ。
相席のマイク・チョンウェ
カイとジォフリーが一緒に座り、私は、マイク・チョンウェという、元政府職員の方と隣同士になった。ワシントンDCのザンビア大使館で長年外交官として働き、40カ国以上を旅してきたという。6人の子供のうち5人はアメリカに住んでいるが、末っ子はザンビアのこの辺りにいるという。
引退後、彼は2つのNGOを立ち上げた。一つは、ザンビアで深刻な問題となっている、前立腺ガンの周知と予防を進めるためのものだ。前立腺ガンの死亡率は60%を超えており、彼は政府に対し、より良い治療施設を建設するよう提唱している。現状の設備は全く不十分で、本当に回復を望む人はインドまで行く必要があるという。「ザンビアで病気になるのはリスクが高い。」というのは、彼が実際に口にした言葉だった。来年にはキトウェに一つ、さらにその翌年にはリビングストンにもう一つの施設が完成する予定だと言うから活動は順調なようだ。
彼のもう一つのNGOは社会的弱者の子どもたちのためのもので、56人の子供たちの就学を支援しており、その数を100人に増やしたいと考えている。将来の活動としては、虐待を受けた家庭環境から来た子供たちが、学校に通いながら生活できる「移行施設」の建設を目指している。マイクは、貧困やアルコール中毒によるひどい虐待やネグレクトを目の当たりにしてきたという。さらに大きな夢は、学校も建てることだ。彼はアトランタにある息子の教会と協力して資金を集めている。
これらの活動に留まらず、彼は農場もいくつか所有し、地元の品種の鶏、牛、大豆、キャッサバ、落花生、サツマイモ、エンドウ豆などを育てている。もちろんトウモロコシも。
ご想像のとおり、私は彼にアジア学院のことをすべて話した。彼は有機農業を行っている点に興味を示し、最近、私達が口にする食品に含まれている添加物や化学物質が、いかにガンの原因になっているかを説明した。
私たちがルサカに入るとき、彼は自分のゴルフコースを指差し、雨不足で干上がっていると言った。
…バスで偶然出会った知らない人について、ちょっと語りすぎたかもしれない。
でも、これが旅というものだろう?
ザンビアについてのあれこれ
途中、長めの休憩を取った時に、ジォフリーがシャワルマという食べ物について教えてくれた。
肉やチップス、ピクルス、その他もろもろが、全て一つに包まれており、手に持って簡単に食べられるので、旅にはもってこいだ。あちこちにこぼしたって大丈夫。ナプキンももらったから!
後で調べたところ、これは中近東の食べ物で、アラブ人によって伝えられたようだ。移民を嫌う人もいるかもしれない。でも、私たちは皆、彼らの料理が大好きだ!
高速道路は1902年に建設された鉄道路線に沿って走行している。どうやら1911年製の貨車の一部はまだ現役のようだ!
ずっと茶色く乾燥した景色が続いていたが、雨季の最初の雨が降れば、たちまち緑色に変わるだろう。ルサカの近くでは、2万ヘクタールのサトウキビ農園を通り過ぎた。
アフリカのほぼすべての国と同じように、中国人がいたるところで高速道路を建設している。ザンビアでひとつ違うのは、政府が中国企業に現地の労働者を使うことを義務づけていることだ。通常、中国企業はエンジニアも設備も、労働者すらも(!)すべて自国で調達する。
混沌から天国へ
長い8時間の後、私たちはついにルサカのバスターミナルという狂乱の場所へと転がり込んだ。ドアが開くや否や、男たちがカギを片手に、バスの中に向かって「タクシー」と叫び始めた。恐らく、個人で所有する車なのだろう。
荷物は狭い場所に降ろされ、受け取るスペースはほとんどなかったが、私たちはなんとか荷物を取り、酸素の多い場所に抜け出した。それからジォフリーがアプリを使ってタクシーを呼んだので、超情熱的な「カギ男」たちの努力は全て無に帰した。
ドライバーは駅を出る途中、水を買うために一旦停車した。目の前で喧嘩している人たちがいたが、お構いなしだった。
次なる目的地は、ジォフリーの教会だ!
教会は、ジォフリーが車を置いてきた場所であり、チョンウェまではここから車で一時間半移動する必要があった。少女たちが輪になって歌の練習をしているのを見るのは、むき出しの人間味にあふれたどん底のバス停から天に昇っていくようで、なんと甘美なことだろう。ジォフリーはルサカのこの辺りで育ち、彼の娘がここに住んでいるので、挨拶に寄ったのだ。彼女の名前はジュディと言い、祖母と同じ名前だ。
ヤギ肉のバーベキューを軽食で頂いた後、この日の最終目的地であるチョンウェに向かった。
そしてついに、エキュメニカル開発基金(EDF)のジョン・ニョンド(1983年アジア学院卒)とジュディ・ニョンド・ダカ(2001年アジア学院卒)に会うことができた。
ジョンはアジア学院に来た最初のザンビア人で、ジュディは彼の妻である。二人はこの地域の村人のニーズに応えるためにEDFを立ち上げた。彼らの息子であるジォフェリーは昨年アジア学院に行き、両親の仕事を引き継いでいる。ベルビン(2016年アジア学院卒)も来て、私たちを歓迎してくれた。
ニョンドの家屋敷
その晩、私たちはジュディの孫娘、ルルことルヤンダが手際よく作ってくれた村産のチキンのトマトソースがけを夕食にいただいた。ちなみにルルは16歳で、大学2年生だ。
話したいことはたくさんあったが、長旅の後で頭がボーッとしていた。しかし、最も差し迫った話題のひとつは干ばつだった。この地域は特に影響を受け、飢餓が起きているが、政府は赤ん坊のいる母親に対してしか救済措置を取っていない。さらに、9月までに地下水も枯渇するとの予測がされており、人々は10月に雨が降ってくれることを祈っている!
ジォフリーのおかげで蚊帳が吊られ、私たちはようやくこの長い旅に終止符を打つことができたのだった。
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】<== 今ここ!
Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】To Be Continued …