8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
6日目はルサカにて、アジア学院の農村指導者研修に見合う人材探しに大忙し!
ザンビアの日本大使館にもお邪魔しますよ。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】
EDF農場 ミニ見学ツアー
今朝は、ジォフリーが農場を案内してくれた。まずは堆肥場から。ここは最もスタート地点にふさわしい。良い農業は健康な土から始まる。発酵途中のボカシの山が二つあった。彼の父、ジョンは長年ボカシを使ってきたが、現在は作り方を変えたとのこと。…どう違うのかは聞かなかったが。
豚小屋には一頭の若い雄豚を含む数頭しかいなく、静かだった。飼料の価格が高騰したので、最近、200頭売ったばかりだという。これもまた干ばつの影響の一つだ。通常、家畜のえさになるトウモロコシのふすまを人間が食べている。いつもは自分たちで飼料を挽いていたが電気もトウモロコシもないので、売ってしまう以外に方法はなかったのだ。だから、彼らは売り払い、また一から始めることにしたわけで、経済的に賢い決断だと感じた。
肥育用の部屋がいくつもあり、分娩舎には生まれたばかりの子豚が踏み潰されないように避難するために、角には小さなスペースが設けられていた。全てが順調にいっていた時には、豚の飼料のほとんどを農場でまかなうことができていたが、前述した問題に加えて、トウモロコシの脱穀機は修理が必要な状態にある。トウモロコシの脱穀が済んだら、人間の食べるシマを作るために粉に挽かれ、ふすまはブタと鶏のエサになるのだった。
鶏舎にはブロイラーと地元の品種の鶏がおり、孵卵器も設置されていた。ここは、村人たちに開放されているので、いつでも卵を持ってきて、ヒナにかえすことができる。
また搾油も、良い収入源となっている(干ばつと停電がなければ)。通常ならば、ひまわり油と大豆油、そしてピーナッツ油だって作れる。様々なところから人がやってきて、この機械を使っている。
加えて、彼らはヤギを飼い、栄養価の高いアマランサスの葉といった植物を育てる農場を有している。ジュディは特に、彼女の育てるオレンジ畑を自慢に思っている。「なぜってオレンジが好きだからね。」オレンジの横には、ジョンのバナナの木々が植わっている。
ルサカの賑わい
今日はルサカで何人かの個人や団体と会う、人材採用のための大事な日だ。これは今回の旅の重要な目的の一つであり、たくさんの人に会ってアジア学院のことを伝えられるのはとても嬉しいことだ。
カナカンタパの舗装されていない道路を進んでいる時、ジュディからいくつかの小話を聞いた。
この居住区は1988年に日本のODAによって計画、創設され、カナカンタパという名前は、ここを流れるカナカンタパ川にちなんで付けられたという。これは、ザンビア政府が都市部における若者の失業問題を緩和するために行った「故郷に帰ろう」構想の一環だった。移住者には土地と農機具が与えられ、農業研修が行われた。彼らは軍事訓練も受けていたので、自分たちで警備も行うことができ、犯罪率は低かった。元々の移住者も残っているが、多くは自分の区画を売り払ってしまった。それでも人口は増加し続け、今では2万人に達した。日本人はもはやここにはいないが、彼らの事務所は残っていて、地域の人々が使っている。その隣は診療所で、その数年後に建てられた。学校はまだない。
川を渡るとき、ジョンが、日本人が広大な農地を灌漑するために建設したポンプ場を指さした。けれども、本質的には失敗した、というよくある話が続いた。うまく稼働していた時があったのかは不明だが、今は稼働しておらず、ポンプは盗まれた。その泥棒集団は、学校からコンピューターを盗み、教会から音響機器を盗んだ挙句、逮捕された。今は刑務所に入っており、ポンプも直ったが、誰も稼働させようとする人はいない。皆がこれは政府の仕事だと考えているのだ。それから話は政府の話題に移った。政府は汚職まみれで、“口だけ達者で実行には移さない!”
ザンビアを横断する長旅に耐えるため、車を整備しなければならなかったので、ジョンとベルビンが整備工場に向かい、カイとジュディと私は町外れで下車した。ジュディが手早くタクシーを手配し、我々は再び走り出した。この辺りでタクシーと言えばミニバンで、運転手と口笛を吹いて、お客を呼び込む助手が同乗している。
我々はウォーターフォールズ・モールに降り立った。そこはとても高級で清潔感があり、まるで「豊かな」国に来たようだった。おそらくザンビアの全国民が望む、発展と消費主義のモデルなのだろう。短い買い物の後、この日最初の約束のため、別のタクシーで大使館通りにあるレストランに向かった。
そこで、トマト栽培で成功をおさめ、友人たちからミスター・トマトと呼ばれる人物に話を聞いた。彼は農家と仕事をするとき、収益性を重視し、より商業的な農業技術を奨励している。彼がアジア学院を面白いと思うのか、あるいはそうでもないのか分からなかったが、農家がきちんと生計を立てられるようにすべきだという彼の意見には強く賛同する。
日本大使との懇談
午後の2時からは日本大使との面会を控えていた。ジュディは大使館、殊に日本大使館は遅刻を許さないと考え、間違いなく時間通りに行きたがった。セキュリティチェックを済ませた我々を、森氏とザンビア人の女性が出迎えてくださった。会議室に案内され、いくつかの質問を受けた後、竹内一之大使と面会した。彼は大ベテランだったが、アジア学院について日本語で説明するカイに、優しく耳を傾けてくれた。私に話しかける時には英語で話してくれたので、とてもありがたかった。
彼の質問はすべてザンビアの開発に関するものだったが、アジア学院の草の根へのアプローチを問うものもあった。それは、ザンビアでは人口の70%が農業に従事しているが、GDPに占める農業の割合はわずか10%であり、どうすればこの国が発展できるかという質問だった。口下手ながら私はこう答えた。人々が飢えに苦しまず、必要を満たす基本的な食べ物が手に入れば、次のステップに進むことができると。
その午後、我々が何か世界の問題を解決できたわけではなかったが、つながりを構築する良い機会となった。アジア学院は学生たちのビザを取得するために、世界中の日本大使館と連携しており、このような対面での関係構築は、それらを円滑に進める上で大いに役立つ。
我々はまた、ジュディのEDFへの助成金の要請を後押しした。日本大使館は地元の取り組みに少額の資金を提供しており、EDFは研修生用の住居を建設するという提案で第2段階まで進んだ。ジュディは、2、3週間の研修といった、複数日にわたるワークショップをやりたいと考えており、そのために宿泊施設が必要であることを説明した。
彼らの研修は地域のニーズに沿っていて、有機農業や畜産飼育、衛生や健康、洋裁、食品加工、機械や車両の整備など多岐にわたる。
さらなるアジア学院の人材探し…
大使館の後は、ザンビアのメソジスト教会の代表と話し合いの時を持ち、良い関係性を築けそうなスタートを切ることができた。
最後の会合は、ある教会の女性親睦会のグループと行う予定だったが、教会の総会議長に、その機会を奪われてしまった。
彼とその秘書は、私たちにありとあらゆる儀礼的、官僚的な質問を浴びせかけた。アジア学院に対する興味はほとんどないようだった。それと同時に、女性たちに発言の機会が与えられなかったため、彼女たちの活動に関する情報は一切得られなかった。彼女たちは文字通り黙って座っていた。女性が意思決定の場に加えられないという話を、よくアジア学院で耳にするが、これほど露骨にそれが行われているのを目の当たりにして衝撃を受けた。ジュディは、彼女たちがとても活動的でエネルギーに満ちあふれているので、アジア学院の研修に参加すれば多くの恩恵を受けるだろうと言い、私達に会わせたいと願っていた。彼女は会議の様子を見て、何が起きているのかを正確に理解し、あとで私たちに、あの男が女性たちを抑えつけているのだと言った。
アジア学院では毎年、学生の50%を女性にすることを目標としているが、今日のようなメンタリティとの闘いが、採用担当者にとっての大きな課題だ。実際、目標とするその比率を達成したのは今までたったの一度しかない。あと一歩のところまでは何度も行ったが、我々は常に50/50…あるいはそれ以上を目指している!
ザンビアの人々の優しさ
やれやれ!今日予定していたすべての計画を終え、我々はウォーターフォールズ・モールに戻るバスに乗るために、徒歩でバス停に向かった。そこにはたくさんの人が待っていたが、バスは一台も見当たらなかった。そして、ジュディはどこへ行ってしまったのだろうか…と思ったら、古いBMWに乗っている誰かと話している彼女を発見した。おや、彼女が手を振り、こっちに来いと合図している。その人が乗せてくれるというのだ!これがルサカ式のウーバーなのか?それとも、ジュディが物事を進める天才という例の一つというべきか。
スーザンというしんせつな運転手は、我々をモールまで送ってくれた。そこで、ジョンとベルビンと再会し、直したてのランドローバーを受け取って帰宅した。今日は本当に実験味にあふれた移動を体験した一日だった!
帰ると家は真っ暗で、水も出なかった。計画停電と、誰かが農場の蛇口を閉め忘れてタンクの水が空っぽになったせいだった。
けれども、ルルは炭ストーブで、地元の人がクワレと呼ぶ、“ブッシュ・チキン”(その名の通り、野生の鳥)を美味しく調理してくれた。炭を使用しないことが、いかに難しいかお分かりだろう。もし家に電気も通っていなかったら、と想像してみてほしい。あなたならどうやって調理するだろうか?
二つのバッテリーランプの明かりのもと、我々は食事を楽しんだ。ジョンとジュディはアジア学院のように、EDFでも毎年、収穫感謝祭を行っていることを話してくれた。地域のすべての人を招き、食事を分かち合い、皆で踊ったり歌ったりするという!
水がないので食器も洗えない。だから、朝までそのままにしておくことにした。それまでには電気が復旧することを願って。
おやすみなさい!
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】<== 今ここ!
Vol.6 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 7日目】To Be Continued …