8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
日曜日、長旅から帰って来た一行は、つかの間の休日を過ごしました。
とは言え、素晴らしい人々との出会いと停電は休日でも待ったなし!
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】
農村リーダー、シマンバ
予定だと、今日からザンビア東部への長い旅に出るはずだった。だけど、別の旅を終えた直後で日曜日だったこともあり、今日は休むことにした。
驚いたことに、我々は2005年のアジア学院卒業生、シマンバに会う機会を得た。彼の活動地は、ここから1,000㎞ほど離れた西部州のモングーだが、私たちに会うためと、それ以外の理由もあって、はるばるルサカまで車でやってきたのだ。モングーで、彼はアメリカ平和部隊(Peace Corps)と働いているが、最近世界銀行と、別のカシューナッツ農家に関連するプロジェクトを始めた。私はカシューナッツが大好きだが、妻のミキはもっと好きなので、彼がくれた包みは日本へのお土産にした。
シマンバをアジア学院に送り出したのは、ジョンとジュディの団体、エキュメニカル開発基金(EDF)だった。だけど帰国後、彼はここでの仕事を辞める決断をした。経営管理者として雇われていたシマンバに、ジョンたちは大きな期待を寄せていたが、彼には別の計画があったのだ。
彼は政府の漁業局で働き始め、その後は協同組合で働くようになった。同時に高等教育を受け、最終的には修士号と博士号を取得した。2018年には世界銀行で村の貯蓄と融資のプロジェクトを行い、続けてルサカで国連のプロジェクトを担った。そして、前述のアメリカ平和部隊での活動などを経て、現在に至る。
インタビューで彼は、アジア学院での研修経験について、特にリーダーシップや人々との協力関係について、良い話をたくさんしてくれた。彼は権威を重んじる人間だと思っていたので、これには驚いた。アジア学院にいる時、彼は、食器洗いなど、自分にふさわしくないと感じる仕事は避ける人間の一人だった。彼に苛立ちを覚えたクラスメイトが、いつかザンビアの大統領になると予言するほどだった。
私は、彼についての理解が全て間違っていたわけではないが、全て正しかったわけでもないと感じた。アジア学院から19年間を経て、色々な意味で変わったのだろう。「私がアジア学院に行った時は、まだほんの若者だった。」彼は当時の態度を謝罪するかのような口調でこう話した。
私は今までにもシマンバのような卒業生に会ったことがある。権力のある高い地位に就きながらも、アジア学院のサーバント・リーダーシップの要素を心のうちに抱き続けている人々に。我々の期待や、アジア学院の校長レベルには及ばないかもしれないが、それは確かに存在し、彼らの指導スタイルに影響を与えている。アジア学院は、シマンバの心のどこかに深く浸透し、今も彼と共にあるのだと思う!
EDFについても、帰国後の残念な過去はあったが、彼は今回の再訪で「ここが自分のホームだ!」と言ったのだった。
もう一つだけ彼のことを…。当時、西日本研修旅行で学生たちをトヨタの工場見学に連れていっていた。シマンバは村人たちと働く時、よくその経験を引き合いに出すのだという。一つの車は、何百という異なるパーツからできていて、全部が一緒になって協働することで一つの車になる。コミュニティも同じで、お互いの協力なしには一つのコミュニティにはなれない、と。
カナカンタパ改革派教会でのパワフルな説教
ジュディは我々が、帰り際の人々に挨拶だけでもできたらと考え、地元の教会へと連れて行った。というのも、礼拝の開始時間はとうに過ぎていた。我々が到着した時、礼拝はまだ続いており、特別なお客に上等な椅子を用意しなければ、と大騒ぎになった。
牧師はただ淡々と、英語と現地語であるニャンジャ語を巧みに織り交ぜながら、情熱にあふれる説教を続けた。「ニニウェ」と彼が繰り返し叫ぶと、会衆も「ニニウェ」と返す。あなたと共に、という意味だそうだ。「神があなたを通して、何をなされるのか?」「あなたを器として用いられるのはどなただろうか?」
私は、この説教は素晴らしいと思った。第一に、この牧師は人々にどのように語りかけるべきか、よく理解している。話をゆっくりと進め、重要な点は繰り返す。そしてまた話を先に進めるのだ。ある時には、教区の住民なら誰でも使っているツルハシを手に取り、小道具として長いこと握っていた。「このツルハシ」、彼は問うた。「これが仕事をするのか?」「いや、その所有者が仕事をするのであって、神が所有者なのだ。私たちは神の手に握られた道具であり、神がその道具を振るわれる。あなたがたは神の手の中にある器なのだ。『私を道具として使っていただけませんか』と神に尋ねられるほどの謙虚さを持っているだろうか。」
しかしその後、彼は我々全員に、用心しなさい、自分の背後に誰がいるのか注意深く知りなさいと警告した。神があなたを道具として使っているのか、それとも悪魔が使っているのか。もし、道具であるあなたの準備ができていなければ、操られてしまうかもしれない!
私がこの説教を素晴らしいと思った第二の理由は、”私を用いて下さい”というシンプルな祈りにあった。これは私がよく祈る祈り、特に進むべき方角を見失った時の祈りでもある。“私を用いて下さい”というのは、説教全体の中心的テーマだった。
牧師の説教が終わると、我々は教会の皆の前で自己紹介をするように招かれた。そして礼拝は、輝かしい歌と踊りで締めくくられた。
コミュニティの努力により、2年ほど前にこの教会が開かれたのだという。彼らは何とか教会建設のための資金を集めたが、牧師の住居は建設中だという。以前は、チョンウェまで行かなくてはならず、何キロもある長い道のりを歩いて行く人もいた。この新しい教会にはとても良い牧師が就任してくれたが、いつまでこんな片田舎に彼を留めておけるのかは分からない。だから、彼の住居を完成させるために尽力しているそうだ。
カイと私は、写真やビデオの整理、そして旅行記の遅れを取り戻すために、その日の午後の時間を費やした。
シマンバとベルビンも加わり、真っ暗な中で(理由はお分かりだろう)、鶏肉とヤギ肉の夕食をいただいた。ザンビアで暮らすには、停電時の食事の用意の仕方といったことに万能でなければならない。残念ながら、それは木炭を使って料理することを意味し、これは森林破壊につながり、干ばつを引き起こし、水力発電をするための十分な水が確保できなくなった結果、電力不足が引き起こされる。
このような問題は…アフリカだから?いや、すべての人類の文明が該当しているのではないだろうか?
私たちが”発展”すればするほど、どこにいるかにかかわらず、解き明かさなければならない謎が増えていく。
私にとっての大きな疑問は…発展とは前進なのか?それとも前進することもなく、辺りをさまよっているだけなのか?
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】<== 今ここ!
Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】To Be Continued …