8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
一行は、新たに東への旅を始めます。次なる目的地はマラウイ!
道すがら目にしたザンビアの人々の日常が生き生きとしていて、胸にせまります。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】
ザンビアを縦断する偉大なるイースト・ロード
ザンビアは幅のある国だが、今日の計画はその大きなかたまりを東に縦断し、マラウイ国境まで抜けるというものだった。道すがら、2名の卒業生の活動地を訪ねたいと考えている。2名ともカトリック教会のシスターだ。
我々は、早い時間に出発するべく努力した。特に朝の苦手なカイは。
午前4:00の出発を目指し、4:50に家を出た。私は、数百キロにわたる運転を引き受けてくれたジュディとジョンに、心から感謝している。彼らは、旅行が大好きだから、この旅を楽しんでいると言ってくれたが、正直な話、彼らの助けなしではこんな旅はできなかった。ジョン、ジュディ、ありがとう。本当に良い旅だった。
道中の思い出深い体験といえば、道路の脇で火だるまになったトラック(何が起きたのか皆目見当がつかない)や、ガソリンスタンドで走り回る鶏を見たこと、そして、目の前の道路から昇ってきた燃えるようなアフリカの赤い太陽。
我々は、写真を撮るために、地元の人がムブユツリーと呼ぶ、荘厳な“幸運の木”があるところに立ち寄った。多分バオバブの木だったと思うが、今まで見た他のバオバブとは少し違って見えた。とても古い木だったのかもしれない。東部州に入る橋を渡る手前で、地元の“マサウ”フルーツを買うために停車した。ここは、旅行客に人気の休憩スポットで、たくさんの忙しそうな露店が立ち並んでいた。編んだカゴを売っている店が目に留まったので、そこでも少し買い物をした。
車に戻ると、ジュディがこんな話をしてくれた。彼女はカナカンタパに住んで20年以上になるが、昨日初めてその名前の意味を知ったのだという。この入植地はこの一帯を流れる小さな川にちなんで名づけられたが、昔この川にはワニがいた。カナカンタパは現地語で「赤ちゃんワニ」という意味だ。今では何も棲んでいないが、母親たちが子供たちに、ワニに気を付けなさいと警告していた時代があり、この名前が付いたということだ。
ニンバ教区のシスター・プリシラ
橋を渡ってしばらくして、私たちはニンバの町で幹線道路を降り、ファティマの聖母ローマ・カトリック教会へ向かった。ここで私たちは、良き羊飼いの修道会の修道女であるシスター・プリシラ(2018年アジア学院卒)に会った。彼女が最初に私たちに見せてくれたのは、サル除けのために、屋根と鍵付きのドア、そしてフェンスで完全に囲まれた庭だった。そこにはトマトやその他の野菜がぎっちりと並んでおり、節水のため、これらはすべて袋に植えられていた。信じられないことに、彼女がこの庭を始めたのはほんの5ヶ月ほど前だという。今年の3月頃、彼女は前任地のチパタからここに赴任した。チパタは、彼女がアジア学院に行った時に働いていた場所で、彼女はそこで信徒たちと始めた生計プロジェクトについて語ってくれた。その一つが、女性20名と男性数名からなる園芸グループで、収穫したものは各自で持ち帰り、互いに売り合って、コミュニティ内でお金を循環させた。そのグループは、プリシラがいなくても続いており、これは彼女が優れた指導者であった証だと言えるだろう。
教区のシスターとして、彼女は週6日働いており、休みは月曜日だけで、合間の時間を使って庭の手入れをしている。その他にも、病人を見舞ったり、結婚式やその他の行事の話し合いのために来る信徒の対応をしたり、日曜日のミサの準備のために教区外に出向いたり、日常的な事務仕事をしたりと、様々な責任を担っている。
常駐している3名の神父のうちの1名、タウンゲ神父にだけ会うことができた。プリシラの指導の下、彼も化学肥料を使わない広い農園を営んでいる。肥料は、豚、牛、ヤギの糞を大きな布に包み、ドラム缶に入れた水に1週間浸したもので、その水を植物に与えるのだ。地元品種の黒い鶏と鳩も見た。鳩は平和の象徴としてここにいると聞いたが、いつかは料理用の鍋に入れられて生涯を終えそうだ。堆肥の生産者もどこかにいるはずだが、見かけなかった。教会は、地元の市場でパン屋も開いているという。ああ、それからセメントタオルで作った植木鉢についても触れておかなければ。最高に良いと思ったが、説明の必要もなさそうだから写真を見てほしい!
干ばつはニンバ地域も直撃した。雨が降り始めても、トウモロコシに肥料を施した直後に止んでしまったので、そのままトウモロコシは干上がってしまった。正直なところ、私は飢餓の兆候を見たわけではないのだが、それは村の零細農家の間で起きているのだろう。あるいは、私がどこをどう見ればいいのかわ分かっていないだけかもしれない。ニンバ教会の炊事場は順調に稼働しているようだった。心のこもった昼食が提供され、シスター全員も集まり、共に食卓を囲んだ。
シスターや神父、そしてアジア学院を通して私が出会ったほとんどの聖職者や教会関係者にとって、3~5年ごとに異動することは当然のことなのだ。シスター・プリシラからは、前任地を離れることを悲しむより、新しいことを始める機会に胸をふくらませているような印象を受けた。彼女はチパタで、生き生きとした庭と、それを成長させ続ける生き生きとしたグループを残した。ニンバに到着してすぐ、彼女はまた植えることに忙しくなった。まず庭を作り、続いて新しいグループを作った。私は、彼女の生きた庭と結びついた生きた信仰が、その神への終わりのなき奉仕の中で共に働いていることを感じた。
暴走する牛車
一つ言い忘れたのは、このイースト・ロードは、キトウェに向かうノース・ロードよりもずっと状態が良いということだ。大型トラックによる破壊が(まだ)なく、最近舗装し直されたところもあるので、本当にスピードが出る!
ある村を通り過ぎたとき、ジョンが「そこの村長は服を着るのを嫌がるんだ」と適当なことを言った。数時間でチウォコ変電所(変電所が何を意味するのかはよく分からない)に到着した。ここを目印に、我々はチクング伝道所まで、約30キロの舗装されていない道路に入った。
夕暮れ時に村々を通り抜け、行き交う人々や、草原でサッカーに興じる子供たちのチームを次から次へと目にするのは、なんと素晴らしいことだろう。マンゴーの木は、文字通りどこにでもあった。神のマンゴーとジュディは呼ぶが、それは誰も意図的に植えていないからだ。木々はただ勝手に成長し、マンゴーの季節には誰も飢えずにすむ。マンゴーが熟すと、人々は一日中マンゴーを食べ続け、その甘い果汁に飽きることはない。私も多分、新鮮なマンゴーを2、3ヶ月食べ続けることに何の問題も感じないと思う!欠点は、トウモロコシの収穫前にマンゴーの季節が終わってしまい、飢餓の期間が生じてしまうことだ。「先人たちのようにマンゴーを保存していれば…」という嘆きをよく耳にしたが、なぜ彼らはそうしないのだろうと思った。
ジョンとジュディはこの場所に来るのが初めてだったので、道すがら、自分たちの方向が正しいかどうか、絶えず人々に確認していた。このナビゲーション戦略における不用心な助っ人の1組が、牛車を運転していた2人の少年だった。彼らは二人とも荷車から飛び降り、私たちを助けている間、運転手のいない荷車を走らせ続けた。この状況がどうなるのか興味津々だったのだが、結果的には何の問題もなく、少年たちは道案内をした後、まだ動いている荷車のところまで走って戻り、再び荷車に飛び乗っただけで、牛たちも気にしていないようだった。
チクング伝道所は大きな施設で、私たち全員に専用のゲストルームと湯浴み用の温かいお湯で満たされた大きな容器が用意されていた。長旅のあとのバケツシャワーは(暗闇の中で浴びた。ご存知、お決まりの停電だ!)最高だった。
シャワーは暗闇の中だったが、客室はそうでもなかった。ソーラーの復旧システムが装備されており、数時間後には電気が戻ったのだ。ソーラーパネルは、多くのコミュニティが望むものの一つだ。これがあれば、絶え間ない停電の影響を軽減できる。送電網にさえ接続されていない場所では、携帯電話を充電したり、夜間に明かりをつけたりするための唯一の電力源となる。もし、そういったことがあまり不便そうではないと思うなら、2、3日ブレーカーを落として、どんな生活になるか経験してみるといい!
ここチクング伝道所で、私たちはシスター・エスター(2018年アジア学院卒)に会った。彼女とシスター・プリシラは共に、良き羊飼いの修道会に所属しており、同じ年にアジア学院に来た。もう夜も遅かったので、彼女が私たちのために計画した唯一の夜の予定は、素晴らしいニンジンのクリームスープと、ローストされたものと、揚げたもの、2種類のチキンという温かい食事だった!
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】<== 今ここ!
Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】To Be Continued …