大阪から乗船したフェリーで11月17日の朝、九州の門司港に到着し、そこからバスで水俣へ向けて移動しました。水俣病については、アジア学院で事前学習をしていますが、実際に水俣を訪れての学習は、学生へのインパクトが大きく異なります。
水俣到着後、まずは元水俣市役所職員の松木さんからお話を伺うことができました。松木さんは市長と共に、分断されたコミュニティの再構築に取り組んでこられました。水俣の住民には多くの課題があり、その一つが、直接的な被害者と、チッソ水俣工場を通じて直接的・間接的に生計を立てていた人々との間の不信感でした。複雑な課題は山積みですが、行政関係者からの話は学生たちにとって興味深いものでした。質問内容からは、学生たちが政府は何もしない、あるいは不十分だと感じている様子が窺えました。しかし、様々な視点を考慮せねばならないリーダーとしての立場では、政府の役割を考察することも大切です。
その後、学生たちは民間の資料館である相思社 水俣病歴史考証館を訪れました。相思社は水俣病被害者がチッソや政府に対して声を上げるのを支援してきた団体です。ガイドの吉永さんは、被害者とその支援者の立場から、この病気についてさらに詳しく語ってくださいました。どんな方が影響を受けたのか、なぜ病気が拡大したのか、そして偏見がどのように様々な形で続いてきたのか。彼は、学生に「自ら学び、自らの目で現実を見ようとする、人々の良きリーダーとなってください」という訴えをもって、話を締めくくりました。
夜は14家族のホストファミリーのお家に、それぞれ宿泊させていただきました。
2日目はボランティアガイドの梅田さんのご案内で水俣市内を視察しました。学生たちは水俣の人々の勇気と正義を求めるその闘志について多くを学びました。梅田さんがご自身の体験談を語ってくださり、これはスタッフにとっても新しい学びでした。梅田さんは水俣病の三つの大きな原因について語られました。一次的な原因は汚染物質としてのメチル水銀の存在です。二次的な原因は、汚染された魚を通じて水銀が濃縮・拡散されたこと。そして最終的かつ最大の原因は、危険性を認識しながらも30年以上にわたり水質汚染を継続したという事実でした。これは人間のエゴ、つまり影響を一方向からしか見ない姿勢の表れです。梅田さんは学生全員に、物事の背景や理由を考察し、コミュニティの現実も含めた全体像を把握した上で決断をしなければならないことを強く訴えかけました。
その後、坂本しのぶさんの証言を伺いました。彼女は胎児性水俣病患者です。自身の生涯と、公式に水俣病患者と認められていない方々を含む、多くの患者たちの声を代弁するまでの道のりを語りました。学校や、様々な場所を訪れ、自らの経験を伝えるという彼女の決意に、聴衆は深く心を動かされ、全員にとって、貴重な学びの機会となりました。
最後に、学生たちは、水俣病患者を助けて無農薬栽培の柑橘類を栽培・販売している「からたち」を訪れ、アジア学院の水俣プログラムの主催者である大澤 菜穂子さんから話を伺いました。大澤さんは、アジア学院との交流が45年間続いてきた経緯や、水俣の人々を支える二世代目となり(からたちは菜穂子さんのご両親が始めた活動)、さらにアジア学院と水俣をつなぐ役割を担えていることを、どれほど幸いに思っているかについて語ってくださいました。
その日は、すべてのホストファミリーが参加する交流会で締めくくられました。音楽とダンス、そして美味しい料理を楽しみました!皆、人々の温かい歓迎と心遣いに心から感謝しました。





