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南インド 3日目 その2

2025年 2月7日 金曜日


使徒の来訪

熱いシャワーを浴びた後、居間へ降りていくと、すぐにケララ州のキリスト教についての会話になった。これらの「トーマス・マシュー」の教えは、読み飛ばしてもらってもかまわない。ただ、私自身は興味深く思ったので、あなたもそう思うかもしれないと考えたのだ。また、私がこれらの話を、聞いたままに伝えているという点も心に留めておいてほしい。だから、ニュースやウィキペディア、あるいは他のインドの誰かから聞いたりする話とは、異なっているかもしれない。

18世紀にイギリス人がケララ州に来たとき、彼らはキリスト教を伝来させ、神の御言葉を広める準備ができていた。ただ一つ言えることは、御言葉はすでに何世紀も前に広まっていたということだった。すべての人に広まっていたわけではないだろうが、ケララ州にはすでに大きなキリスト教徒のコミュニティとキリスト教会が存在していた。これらは、他ならぬイエスの弟子の一人であるトマスによって、遡ること紀元52年に始められたのだった。トマスは、南インドの近隣のコーチンに住むユダヤ人商人や胡椒商人の集落に福音を分かち合うために旅をして、七つ半の教会を設立したそうだ(一つの教会は非常に小さかったため、半分と形容されている)。時が経つにつれて、彼はヒンドゥー教のバラモンに対しても説教を始め、チェンナイまで旅をしたが、そこで彼の教えと人生は槍によって突然終わりを告げた。殉教したのだ。今日、この地域には、マール・トマ(聖トマス)、より正確には、シリアン・マール・トマとして知られる、非常に発展した教会がある。この教会はケララ州を中心としているが、会員はインド全土および世界中におり、トーマス・マシューとその妻サリーが通っている教会でもある。

聖トマス(実際の写真ではない)

さらなる(退屈な)物語

植民地時代に話を戻すと、インドに来た最初のヨーロッパ人はポルトガル人だった。彼らはケララ州でキリスト教徒を見つけると、その人々をカトリックに改宗させ、シリアン・カトリックと名付けることを試みた。次にオランダ人がやってきたが、彼らは宗教よりも商業に強い関心を持っていた。そして、250年にもわたる植民地支配をすることになるイギリス人が到着したが、彼らはすでに確立されていた教会を変えようとする意図は特になかった。それどころか、イギリスの宣教師たちは、これらの教会が特に低位カーストの人々を助けるために学校や病院を設立するのを支援した。今日に至るまで、ほぼすべてのキリスト教会が学校を擁している。

当時、ケララ州ではカースト制度が非常に厳しかった。低位カーストの人々は公立の学校や病院に行くことができなかったが、イギリス人によって設立された新しいミッションスクールには通うことができた。これらの学校は当初、上位カーストの人々から軽視されていた。しかし、彼らはやがて、その教育の質が公立学校よりもはるかに高く、英語を話せることが非常に役に立つことを知るようになった。キリスト教徒はどのカーストにも属していないが、地元の人々からは上位カーストとして見なされていたという。

これが全部正しいのかどうかは分からないし、整理すべき細かい点は山ほどあると思うが、これはリビングでの会話だ。ぜひ事実確認をして、間違いがあれば遠慮なく訂正をしてほしい。ただ、この会話の中で私が最も興味深く感じたのは、インドで最初の手話の学校が約150年前にこの地域で始められたということだった。そして、我々がちょうどその話をしている最中に、二人の聴覚障がい者がトーマス・マシューの玄関先に現れた。彼らは、教会を通じて提出しなければならない政府の書類について、支援を必要としていた。トーマス・マシューは手話で彼らを迎え入れ、必要な支援を提供し、彼らは帰っていった。しかし、この話はこれで終わりではない。残りの話は日曜日の回にするので楽しみにしていてほしい。それは私が決して忘れることのない経験だ。

トーマス・マシューとサリーが通う、マール・トマ教会

私の隣人とは誰か 

 実際、つねに人々が助けを求めてトーマス・マシューの自宅の玄関先や事務所に現れたり、メールを送ってきたり、電話をかけてきたりする。彼は、依頼が困難を極めるものだったり、危険なものであっても、決してそれを断らない。数年前、彼は地元で唯一、車を所有していたので、昼夜を問わず人々を病院に急送するよう頼まれていた。海外で働きたい労働者が、パスポートの申請書作成を手伝ってくれるよう、依頼してきたこともあった。彼らは姓と名がどれかも分からず、自分の名前を記入するだけでも手こずっていた。彼はわずか28歳で地元の農業協同組合の組合長に選出され、それは当時、最年少の記録だった。規約で辞任が求められるまで、三期にわたって務めた。要するに、人々は彼を信頼している。その時、私にはまだ分からなかったが、その後の三日間、トーマス・マシューと過ごすことは、「私の隣人とは誰か?」という問いの生きた手本を私に示してくれることになる。

SEEDSインディア

暑い午後は休息のための時間で、お茶をいただいた後、今日はトーマス・マシューが1990年に設立したNGO、SEEDSインディアを訪れた。そこはケララ州の背の高い木々の下を歩いて行けるほどの距離だが、時間を節約するために彼の車で行った。通り過ぎた家のほとんどは、叔父や叔母、いとこたちのものだ。なぜなら、この土地すべてが、彼の曾々祖父の代にまでさかのぼる家族の先祖伝来の土地だからだ。SEEDS インディアは家族の土地の上に建てられたのだった!

私は長年アジア学院で過ごす間、ずっとSEEDSインディアについて聞いていたため、その門をくぐったとき、不思議なほどの親近感を覚えた。敷地はわずか半エーカーで、事務所と活動のための建物が三つある。当然のことながら、たくさんの木々があり、その多くはトーマス・マシューがSEEDS(種)を植えた(洒落だ)のと同時に植えたものだ。SEEDSを単語に展開すると、「Socio Economic Educational Development Service(社会経済教育開発サービス)」となるが、教育には大きな価値が置かれているとはいえ、彼らがそれ以外に遥かに多くのことを行っていることにすぐに気づくだろう。本質的に、彼らはニーズを見つけ次第、それに対処しているのだ。

次の段落のネタバレ写真

葉の絵付け

最初に入った部屋では、三人の女性がテーブルに座り、巧みに葉に絵を描いていた。彼女たちは静かに微笑んで私たちに挨拶して、繊細な作業に戻った。鮮やかな色彩と、彼女たちが葉に絵の具を塗る熟練した技術は魅力的だった。使われていたのは、優雅に湾曲した先端を持つ菩提樹の葉だ。この葉はもちろん、ブッダが悟りを開いた木である菩提樹から落ちたものだ。これは聴覚障がい者のコミュニティの仕事であり、彼女たちは30年以上にわたってこの作業を続けている。手描きされた葉はグリーティングカードに加工後、販売され、それが彼女たちの収入源となっている。

葉の絵付け

葉の絵付けの工程は3段階ある。(1) 葉を水に40日間浸してから乾燥させて準備する。多くが破れてしまうため、1,000枚あたり使えるのはおそらく200枚程度だ。とどのつまり、葉はとても脆いのだ。(2) スクリーンを使って葉に基本的な線画のデザインを施す。顧客の好みに合わせた一連の標準的なデザインがある。ほとんどが、販売の最盛期であるクリスマスをテーマにしたものだ。また、一部の顧客のために仏教のモチーフを描くこともある。(3) 油絵の具で巧みに色付けする。女性たちは、自宅でも、教会でも、あるいはここ(SEEDS)でも、絵付けをすることができるが、スクリーニング(線画の型押し)は必ずSEEDSで行われる。これは、この装置がここにあるからだ。

鮮やかなパレット

現在、絵付け師は21人おり、そのほとんどが聴覚障がいのある女性で、身体障がいを持つ男性も数人いる。興味深いことに、聴覚障がい者の男性たちは、主に家の塗装工として働くという!このように、全員が絵付けをしており、皆、ダリット(不可触民)の村人だ。ラダモニーという名の女性は、ここで30年間グリーティングカードの絵付けをしており、他者に教えている。彼女が最近トイレを建設したことについて、誇らしげにトーマス・マシューに手話で伝えると、彼は冗談交じりに、「普通の人はトイレを建てた話じゃなくて、高級車や家を買った話をするんだよ。」と手話で返した。彼女にとって、トイレは重要であり、ほとんど贅沢品と同じだった。なぜなら、村では通常、たった一つのトイレを共有しており、それがどのような状態であるか想像できるだろう。彼女は、自分の新しいトイレについて自慢することに、全くためらいがなかった!

菩提樹の葉

 葉の絵付けは、SEEDSの初期の活動の一つとして1990年に始まった。最初の指導者は、クリスマスのために葉に絵を描いていた聴覚障がいを持つ作家だった。訓練には6ヶ月かかり、絵の具の混ぜ方、葉の準備、そして絵付けの技術が含まれている。カードのほとんどは、クリスマスの時期に教会へと販売される。日本のとある大学がこのプロジェクトを知り、年間12,000枚のカードを定期的に注文し始めたそうだ。熟練した作家が一枚の絵付けに半日から丸一日かかることを考えると、それは大量のカードだ。その大学からの注文はその後、約4,000枚に減ったが、他にも多くの市場がある。女性たちは自分のカードを直接販売することもできる。すべての収入は絵付け師たちのものとなり、SEEDSは必要な材料を無料で提供しているそうだ。

デザイン・スクリーン

トーマス・マシューは自分の手話があまり上手ではないと主張しているが、部屋の笑い声と活気から判断するに、彼は上手にやっているようだった。彼に手話を教えたのは、他でもない、この人々だった。

絵柄が印刷され、色付けできる状態の葉
完成した葉

足の力

次の部屋では、(ほとんどの女性がそうであるように)サリーを着用した、四人のダリットの少女たちが、足踏み式ミシンの前に座っていた。ダリットのコミュニティには通常、電気が通っていないため、これらのミシンは電動式よりも実用的だ。今日、彼女たちは基本的な裁縫の技術を学んでおり、明日は刺繍について学ぶ予定だ。刺繍の仕事は良い収入を得られるが、デザインに含まれる何百ものステッチを扱うには、電動ミシンの方が向いている。

裁縫の授業

幼稚園

階下の部屋は幼稚園として使用されていた。今日は、登録されている十人のうち五人の子どもたちが来ていた。トーマス・マシューがお菓子を配ったから、この子たちはラッキーだった。ケララ州全体の人口が減少しているので、この幼稚園への登録者数も減っている印象を受けた。トーマス・マシューは、普段は子どもたちで溢れているイスラム教徒の家族でさえ、小規模になっていると話した。五人全員が一つのベンチに一列に座り、目の前の長いテーブルの上にノートを開いていた。子どもたちが英語を勉強しているのか、マラヤーラム語を勉強しているのかは分からなかったが、我々の存在が圧倒的に邪魔になっていたため、どちらでも大差はなかった。

先生は、子どもたちに私と一緒に英語を練習するように促し、この状況を最大限に活用した。四、五歳の子どもたちにとって、それは恐ろしくもあり、わくわくすることでもあった。先生はまた、侵入者である我々二人にも、ラギ(キビ)とジャグリー(サトウキビやパームヤシから作られる未精製の自然糖)、ココナッツでできた甘い球状のインドの軽食を出してくれた。子どもたちの前で食べるのは気が引けたが、彼らはちょうど同じ軽食を食べたばかりだと教えられた。これは子どもたちの栄養を強化するための、巧妙な計画の一部なのだろう。 

(おそらく)マラヤーラム文字の勉強をしているところ

ダリットの家族には、毎日食事をとるという贅沢が保証されていない。トーマス・マシューはこの事実と、それが子どもの成長に与え得る影響をよく認識しているのだ。だからこそ、SEEDSは妊娠中の母親に対し、産後5ヶ月間、毎月5袋の栄養価の高い食品(先ほど我々が食べたキビやジャグリー、そして小麦など)を提供している。念のため言っておくが、この5袋は家族全体のためではなく、母親専用だ。子どもたちと家族の残りのメンバーには、食料セットが毎月支給され、主食とたくさんの新鮮な野菜が入っている。これは、私が後ほど話そうと思っている、「家族スポンサーシッププログラム」とすべて繋がっている。

ちなみに、マラヤーラム語で「とても美味しい」は「ナラ・ルチ(nalla ruchi)」という。いただいた、この「ナラ・ルチ」な軽食のおかげで、すぐにこの言葉を習得できたのだった。

子どもたちの健康のため
ママたちの健康のため

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