8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
様々な困難があっても、人々はたくましく生きています。
「これがアフリカさ!」と言いたくなる場面が盛り沢山の8日目です。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】
北部の旅の続き
朝6時に出発したが、すぐに重量測定所の前でトラックの渋滞に出くわした。幸い、私たちはそれを迂回し、先へ進むことができた。前述したように、トラックは銅を積んでいるので重い。暑い季節はアスファルトが軟らかくなり、轍に溜まるので、運転するのが危険な状態になる。ジョンは終始、スピードを落として走行した。
コンゴ共和国との国境に近づいていたため、向こう側で売るための家畜や農産物を積んだトラックがたくさんいた。ジュディによれば、数時間で売り切って、高収入を得ることができるそうだ。コンゴの人たちは”働くのが嫌い”で、歌やダンス、ビールが大好き。鉱山のおかげでお金にも困らないそうだ。
のちに私はアジア学院で、コンゴ共和国から来た勤勉そうな学生にその真偽について聞いてみた。彼はこう答えた。「そうだね、そういう人もいるよ。特にダンスや歌が上手い人は!」
あるトラックが家畜を3段に積んで、私たちの横を通り過ぎていった。ブレーメンの音楽隊のように、一番下には豚、2段目にはヤギ、一番上には鶏が乗っていた。
起業家たち
通過する各地域の道端では、それぞれ独自の商品が売られていた。ある区間には、水を入れるためのひょうたんの容器が何百と並んでいた。とても素敵だったが、本気で買いたいと思った時には、もう見つけることができなかった。ジュディは、ミュンブを見つけると喜んで立ち寄った。キャッサバに似ているが、生で食べられる。生のジャガイモのような味で、信じられないかもしれないが私は好きだ!水を入れる容器で売られている地場産のハチミツも人気のようだった。だが、ガソリンと間違えないように注意してほしい。こちらも同様の容器に入れられて、道の反対側で売られている。
時折、少年たちがトラックを停め、タンクから直接燃料を取り出して売ってもらう。要するに、トラック運転手は会社の燃料をこっそり盗んで利益を得て、少年たちはそれを高値で旅行者に売る。ジォフリーなら、また「これがアフリカさ!」と言うかもしれない。木炭は全行程の至るところで目にした。重大な森林破壊を招いているが、農産物が不作になり、多くの人にとっての唯一の収入源になっていると言うから、どうすることもできない。
中国人がこの道路と並行して2本目の道路を建設しているので、4車線に分断された高速道路ができるというわけだ。中国人はアフリカのほぼ全ての道路を建設している。中国人労働者のための巨大な複合施設があちこちに見られ、住居、店舗、バスケットボールコートなどが完備されている。
ある時、中国人が道路の向こう側にいる地元の労働者に大声で怒鳴り散らしているのを見た。彼らはどうやってコミュニケーションをとっているのだろうかと不思議に思った。ザンビア人のなかには、中国に留学して言葉を学び、通訳の役割を果たす者もいる。地元の労働者を雇用することは経済にとって素晴らしい一歩であり、喜ばしいことだが、中国人のエンジニアたちが頭を抱えて帰宅する夜もあるに違いない!
「どこに連れて行かれようと、私たちは楽園を作ってみせる!」
9時頃、我々はよく整備された、ヌドラの町に到着した。ゲトルード(2013年アジア学院卒)に電話をして、彼女の教会まで案内してもらった。彼女は、2年前にこの地域に赴任し、チフフ(我々が訪ねたところ)とチフルクスというところにある2つの教会で奉仕をしている。教会員は250名いる。ゲトルードは中央アフリカ長老教会の、9名いる女性牧師のうちの一人だ。男性牧師が71名いるというから、男女50:50の比率になるには、まだまだほど遠い。
彼女は、教会の敷地内にある畑を簡単に案内してくれた。鶏糞を肥料として使い、浅井戸の水をまいている。井戸は乾期になると枯れてしまうので、深い穴を掘りたいと切に願っているのだが、それにはお金がかかる。彼女が先頭に立って始めた畑だったが、のちに4名の女性が加わった。この小さなグループはウェシワチュタと呼ばれ、神の恵み、という意味だという。生産物の一部は家庭に持ち帰り、その他は近くの道端で売るのだが、いつも午前10時には売り切れてしまう。10㎞離れた彼女の故郷ルワンシャには10ヘクタールの農場があり、家族でジャガイモやホワイトコーン、ポップコーンを育てている。
アジア学院に来た時、彼女はルンダジというところにある教会で働いており、良い農業プログラムを行っていた。しかし彼女の上司が、そのプログラムに使われるはずだったお金を不正に処理し、彼女を異動させた。「若い牧師が先輩牧師を差し置いて成功することは許されないの。」と彼女は説明した。彼らは嫉妬したのだ。この手の教会における指導者の集中攻撃は、アフリカではよくある話で、どこでも起こりうる。
教会にこのような農業プログラムがあるのは稀なので、彼女は異動させられるたびに一から新しく始めなければならなかった。しかし彼女はそれを冷静に受け止めてこう言う。「どこに連れて行かれようと、私たちは楽園を作ってみせる!」
それからゲトルードは、遅い朝食と、家族に会わせるために、我々を彼女の家に連れて行った。彼女の夫も同じく牧師をしている。
ヌドラで、我々はジュディの姉に会うため、大きなカトリック教会に立ち寄った。彼女は77歳だが、今も現役で教育部門の奉仕を続けている。
謙虚な牧師の偉大な足跡
キトウェに向かう車中で、ジョンは、1980年代に北西地区で、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のアンゴラ難民にかかわる仕事をしていた時のことを話してくれた。ザンビア全土の我々が訪れた先々で、ジョンは自分が仕事をしたり、牧師として奉仕したりしていた場所を挙げた。ジョンが足を運んで人々に仕えてきた、その長い経歴に関わらない場所を見つける方が難しいのではないかと思うくらいだった。アジア学院について話す時、彼はいつも自分が初めてのザンビア人であったことを誇りに思っているようだった。
我々は、アフリカの教会の厳しい階層構造についても話をした。アジア学院が下位の指導者の育成を目指している事実は、アフリカの教会制度に挑戦状を叩きつけている。ジュディは、学生に、母国で直面している課題を理解させる必要があると言った。また、卒業生は送り出し団体を説得することから始めるのではなく、新しいアイデアをどんどん実践すべきだと話した。「まずは始めて、送り出し団体に見せたら良いのよ。とはいえ、さっき話したような階層構造の中で、それがどう働くかは分からないけどね!」
キトウェに到着
午後の2時頃にキトウェに着き、すぐに我々は、これから数日間滞在するミンドロ・エキュメニカル財団(MEF)に向かった。広大な敷地を持っており、その一部を他団体に貸し出している。
ポール・サンバ(2004年アジア学院卒)が我々を待っていた!ポールは現在、ザンビア合同教会大学の学長を務めており、この大学もMEFの敷地内にある。アジア学院に来た時、彼はまだチペンビ農業大学(同じザンビア合同教会の傘下 Vol.6参照)の校長をしていた。
学校はすでに休みに入り、約40名の学生がザンビア中の教会で働くために外に出ていたが、キャンパス内には少ないながらも、まだ学生が残っていた。ポールは我々を礼拝堂に案内した。扉や窓越しに歌声が聞こえてきた。これは公式の歓迎の場であり、中に入り、歌ったのち、ポールや他の学長たちが我々に短く挨拶を述べ、我々も学生たちを前に簡単な挨拶をした。
すみません、美味しいものの話はやめられない!
その後すぐに、地元のレストランで豪華な食事をごちそうになった。ザ・ハットという伝統的な藁葺き屋根のレストランだ。メニューには、色々な種類の動物の巨大な肉が並んでいた。私はポークリブ、カイは子羊のリブを選んだ。忘れられないごちそうだった!
料理を待つ約1時間の間、店内のあちこちに設置されたテレビの画面は、オリンピック女子のウェイトリフティングで埋め尽くされていたが、やがて、男子400mで銅メダルを獲得したザンビアの選手や、男子10000mでオリンピック記録を樹立したウガンダの選手のインタビューへと変わった。
ザンビア合同教会大学との公式会合
施設に戻ると、我々は会議室に案内された。ザンビア合同教会大学との運営会議があり、とても仰々しい形で、きちんとタイプされた議題が用意されていた。
副学長は、神学部と宗教学部があり、宣教、社会参加、初等・中等学校の教職のための研修を行なっていることを説明した。別の場所には看護大学もあり、前述のチペンビ農業大学では農業教育を行っている。需要が高いため、公衆衛生・環境衛生学部を復活させる計画があり、そのための施設を新しくする予定だという。
ポールは、大学が学位を取りたい学生に対する教育だけでなく、“若者が生き抜く術を身に着けることを後押しする”、短期的な技術研修も行っていることを強調した。運転、レストランでの調理、仕立て、IT、大工、溶接などの職業訓練を受けるために、7年生、9年生、12年生から編入することもできるという。「若者には居場所が必要なんだ。」「彼らは社会に出て優秀に働いている。」とポールは話した。
ジュディが、自身の組織であるEDFとアジア学院についての説明を加えた。ジョンは自分がザンビア初の卒業生であることを話した。
「聖職に就く者は、人々に仕えるしもべです。私は今日に至るまで、農村の人々のために働き続けています。アジア学院は、人々をサーバント・リーダーとして働くことができるように訓練し、変容させます。」
キッチンに立つアフリカの男性?
MEFは、親切にも我々に泊まる場所と食事を無料で提供してくれた。その日の晩にいただいたビーフシチューは素晴らしかった。
アジア学院のキッチンでは男性も調理に加わると話したら、夕食の話題は、男性が料理をすることについての話になった。アフリカの文化では、女性は夫を台所に入れない、という返答があった。同席していた男性は、ルバレという部族の出身だが、男が調理することは禁止されているそうだ。彼らは男性が調理をすると結婚が遅くなると信じている。
また、伝統的な仮面をつけて踊る、男子のための儀式があり、林に入っていって割礼を行うのだが、調理をしたことがあるかと尋ねられ、該当する経験があれば、はい、と答えなくてはならず、恥をかくという。
話題は変わり、大学の男子学生たちは料理ができないという話になった。だから彼らはロールパンと卵しか食べない。エネルギー補給のために、コップ半分の砂糖に水を入れ、かき混ぜながら飲むのが流行っていて、これをジゴロと呼ぶそうだ!
おやすみなさい。
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.7 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】<== 今ここ!
Vol.8 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 9日目】To Be Continued …