2025年 2月7日 金曜日
南インド & ウッタラーカンド州 編
降りるべき停留所はどこだ?
翌朝、私はバスをどこで降りるべきか突き止めようと試み始めた。停留所はアナウンスされないため、人々は自分の携帯電話のGoogleマップを使い、どこでいつ降りるべきか分かるようだった。
インターネット接続がなかったため、その方法は私の選択肢にはなかった。そこで、次なる最善の方法を試みた—それは、私の降りる停留所であるテケマラまであとどれくらいか、何度も何度も尋ねて運転手を煩わせるという方法だった。「ここが私の降りる停留所ですか?」「違います」「ここが私の降りる停留所ですか?」「違います」「ここがテケマラですか?」「違います、あと2分です」。ついに彼は振り返って言った。「お客様、ここがあなたの降りる停留所です」。実際のところ、運転手は私にとても忍耐強く接してくれていた。その前の晩も、彼は私の個人的で必死な要求に応じて、トイレ休憩を取ってくれた。「ところで」と、運転手はフロントガラス越しに縁石のほうを眺めながら続けた。「あちらはあなたのご友人ですか?」そしてそこに、彼がいた。車にもたれて待っている、トーマス・マシュー(1988年 アジア学院卒業生)だ。その瞬間、私が世界で最も会いたかった人物がそこにいた。ついにたどり着いたのだ!


トーマス+マシュー
そこからの三日間、私はトーマス・マシューという人物を知るという光栄な機会を得ることになる。彼の、生涯にわたる人々のための奉仕はあまりに多岐にわたるため、履歴書を添付する方が効率的だろうが、そうはしないつもりだ。私は夕食のテーブルで、車の中で、そしてマサラチャイを飲みながら交わした会話を共有することで、すべての物語を一つの大きな絵に織り込むよう最善を尽くし、私が彼について知ったのと同じやり方で、あなたにも知ってもらいたいと思っている。
まず最初に、私はトーマス・マシューのことをつねに「トーマス・マシュー」と呼ぶことにする。トーマス、トム、トミー、あるいはマットではない。彼がトーマス・マシュー以外の呼び名で呼ばれているのを一度も聞いたことがないので、他の呼び方には抵抗があるのだ。彼を知る人々は、「博士」という敬称を付け加えるべきだと言うかもしれないが、私は彼がその敬称を、立場の弱い人々のために上の立場の人間と交渉する際、少しでも影響力を加える必要がある時だけ使うのを好んでいるように感じる。すぐに分かったことだが、インドでは二つの名前を使うことは珍しくなく、トーマス・マシューが私を人々に「スティーブン・サミュエル」と紹介し始めた時、私がそれをとても格好良く感じたことは素直に認めなければなるまい。

インドに牛肉はない(ようなものだ)
彼の家へ向かう途中に立ち寄った場所が、最初のエピソードのきっかけとなった。それは秘密の肉屋(のようなもの)だった。
ご存知のように、インドでは牛肉が禁止対象(のようなもの)となっている。だが、この店は時折、新鮮な牛肉を売っていた。牛肉が手に入るとき、トーマス・マシューは友人からこっそり情報を得るのだった。
ヒンドゥー教徒、特に上流階級だと自負する人々が牛肉を食べないことは、すでにご存知だろう。しかし、インドの誰もがヒンドゥー教徒というわけではない。ケララ州では、人口のほぼ半分が非ヒンドゥー教徒であり、時折、牛肉のカレーを楽しむことがある。この州の人口の45%はキリスト教徒とイスラム教徒である。かつてはキリスト教徒がイスラム教徒をわずかに上回っていたが、イスラム教徒の方が子供を多く持つため、この比率は逆転している。現在のインド政府はヒンドゥー教徒であるため、牛肉には(ある種)「だめだ」と言う。
私は「kind of(のようなもの、ある種)」という言葉が、インドで物事を理解するのに便利な言い回しだと気づいた。絶対的なものは存在しない。この国はあまりにも巨大で多様性に富んでいるため、「インドではこうなっている」と言おうとすれば、そうではない場所が必ず見つかってしまうのだ。だから、インドの多くの地域で牛肉が違法であるように見える一方で、特にヒンドゥー教徒が少ない州などでは、完全に合法、あるいはある種合法である場所もまだ存在する。さらに、世界中に輸出するために大量の牛が飼育され、解体されているという事実もあるが、それらの牛については声をひそめて話される。

木々とともに暮らす
ケララ州に対する私の第一印象は木々だった。どこもかしこも巨大な木だらけだった。建物と森が一体となって溶け込んでいる。「ケララの人たちは木を切るのを好まない。」というのが、トーマス・マシューのシンプルな説明だった。シンプルで素晴らしい。世界中でそうしようではないか!
ずっと昔、トーマス・マシューの父親は、彼自身も自分の父親からそうしてもらったように、彼の4人の息子のためにチークの木々を植えた。これは子どもたちへの投資の方法だ。チークは成熟するまでに40年かかり、非常に価値が高い。子どもたちを育てる傍ら、チークも一緒に育てれば、子どもたちが自分の家族のために必要になったとき、お金を得ることができる。トーマス・マシューも、彼の子どもたちのためにチークを植えた。大企業が短期的な利益のためにチークの森を伐採したという話をよく聞くが、これを見てほしい。我々は今一度、森と家族、両方の長きにわたる伝統から持続可能性を学びとることができるのだ。


ジャングルの涼しい木々の天蓋の下を数分進むと、トーマス・マシューの家に到着した。そこで、彼の妻、サリーに迎えられた。彼女は、カレーとドーサ、そして副菜として、庭で採れた、茹でたプランテン、小さな甘いバナナ、パパイヤを添えた素晴らしい朝食を用意してくれていた。
ここで、私は最初の言葉のレッスンを受けた。インドのこの地域では、ヒンディー語は話さない。インドの多様性について私が言ったことを覚えておいてほしい。そう、ケララ州ではマラヤーラム語を話す。マラヤーラム(Malayalam)という単語を逆から読んでみてほしい(ヒント:回文だ)。
マラヤーラム語レッスン
Nan’ni(ナンニ)– ありがとう
Namaskaram(ナマスカーラム)– 挨拶
これは少しフォーマルだ。たいていの人は「ハロー」と言う。
Pokan(ポカン)– 行こう!


インドには言語がいくつあるのか?
私は、ヒンディー語が国語だと考えていたため、ケララ州でどのように彼らの言語が保護されているのかに興味を持った。これは間違いだった!ヒンディー語と英語は公的な目的で使用されるが、憲法は「指定言語」と呼ばれる22の地域言語を認めており、マラヤーラム語はその一つだ。だが、話はそこで終わらない。インド全体では、121の異なる言語、あるいは720言語か、あるいは19,500言語が話されていると言われている。これは、言語をどう定義するかという問題であり、あなたが思っているよりも複雑だ。ほとんどの人は、19,500という数字が言語ではなく方言を指していることに同意しているが、言語と方言の違いにおいても議論の余地がある。おそらく、この状況を最もよく要約する方法は、「インドでは(ある種)121の言語が話されている」と言っておいて、読者の皆さんに気のすむまで、異議を唱えてもらうことだろう。
ケララ州では、子どもたちはマラヤーラム語で学校教育を開始する。英語とヒンディー語はそれぞれ小学3年生と5年生になってから加わる。この「3言語システム」は、生徒たちに地域、国内、国際レベルでのコミュニケーション能力を身につけさせることを意図している。これがどう作用すると思われるだろうか。私に言わせれば、素晴らしいことだ!11、12年生になると、生徒はマラヤーラム語またはヒンディー語で授業を受けることを選択でき、大学ではすべて英語になる。ただし、これが性に合わないと思えば、主に私立だが、最初から英語のみを使用する特定の学校も存在する。細かい部分に立ち入りすぎたことをお詫びする。ケララの人々がどのように地域言語を維持しているかという前述の疑問に焦点を当てたかっただけであり、短く答えるとすれば「教育システムがそれをサポートしている」ということだ。これは当然のことと見なされるべきではない。世界の多くの地域では、公教育は国語や支配的な言語で行われ、地方の言葉は家庭内でしか生き残らない。これはインドのマイナーな言語にとってもおそらく事実だろう。今や、私が言語愛好家であることはお分かりいただけたと思うが、私は自分の出会うそれぞれの言語に深い美しさを感じてきた。なぜなら、それぞれの言語が、その人々が世界をどのように見て体験するかを言い表す、微細に異なる表現を持っているからだ。
高見先生がここに滞在した
トーマス・マシューは私を二階の部屋に案内し、かつて髙見先生(アジア学院の創立者の一人)が二度滞在した部屋だと説明した。彼は私のスーツケースを上まで運ぶと言って譲らなかったため、私はそうすることが彼にとって重要なのだと理解し、お願いすることにした。
髙見先生の訪問は、トーマス・マシューにとって非常に大きな意味を持っていた。実際、髙見先生の訪問を受けた卒業生は皆、それが自分たちにとってどれほど重要で名誉なことであったかを、わざわざ話題にするほどだった。

