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3日目 その3

2025年 2月7日 金曜日

南インド & ウッタラーカンド州 編


この薬は食事と一緒に服用すること

次に、我々はやまのしたさんの活動を見学した。やまのしたさんは長年にわたる日本からのボランティアで、2000年頃からSEEDSに来ている。新型コロナウイルスや時折発生するビザの問題で不在のこともあるが、ここは20年もの間、彼がホームと呼ぶ場所であり続けている。

彼は、ゆっくりと、そして几帳面に、パンとバナナが入ったそれぞれのフードバッグを準備していた。パンは地元のパン屋から仕入れた高品質なもので、SEEDSが特別に追加料金を支払って購入している。バナナはトーマス・マシューの農場からのものか、近隣の農家から寄付されたものだ。
「それで、このフードバッグは何のためのもの?」とあなたは疑問に思っているだろう。これらは、政府が運営する近隣地区の病院の患者に届けるためのものだ。毎日100袋、これは入院患者の約半数に相当する。「でも、なぜ?」と私は尋ねた。「なぜこのサービスが必要なのですか?」(あなたにきっと尋ねられると思ったので、代わりに尋ねたのだ!)実は、ここは政府の病院だから食事の提供がない。主に低所得層の人々が利用しており、その家族は遠方に住んでいる場合があるため、毎日食事を運んでくるのが難しい。さらに、この病院はガンと結核を専門としており、処方される強力な薬は食事と一緒に服用することが前提とされている。トーマス・マシューは、彼の性格通り、ただニーズを見て取り、それに応えることを決めた。口先だけでなく、行動するのだ。

やまのしたさんの話に戻るが、トーマス・マシューは彼をボランティアスタッフと呼んでいる。部屋と食事、Wi-Fiは提供されているが、給料はない。彼はこの取り決めに非常に満足している。日本社会になんとなく自分の居場所がないと感じている彼は、ケララに住むことを好んでいる。彼はマラヤーラム語を話したり、書くことができ、日本の物語をいくつか翻訳している。彼はかつて人気を博した日・マラヤーラム語の辞書と教科書も作成した。やまのしたさんはかつてよくアジア学院を訪れていたことがあり、そこでトーマス・マシューとSEEDSインディアを知ったのだった。

すでに得られているSEEDSの成果

SEEDSは15年間、孤児院を運営していた。新型コロナウイルスが流行していた時に運営を停止し、資金不足のために再開はしていないが、この話の良い点は、そこに暮らしていた21人の少女全員が無事、健康に育ったことだ。

彼らはまた、横浜にあるフェリス女学院大学からの日本人学生グループを受け入れていた。2002年から2018年にかけて、年に二度、女子学生たちが南インドのNGOで生活し、働くことを体験するプログラムを実施していた。一部の学生が長期ボランティアとして自費で戻ってくるほどに、この経験は彼女たちに大きな影響を与えた。ちなみに、この大学が、前述した数千枚の手描きのクリスマスカードを購入していた大学だ。

そして、木々の話

木々を見ることなしに、ツアーを終えることはできない。そこにはマホガニー、マンゴー、そして“毛むくじゃら“の果実を持つランブータンがあった。また、間違いなく、私の最も好きな果物の一つであるジャックフルーツ、そして、勇気ある者のための果実、ドリアン、ロブスタ種とアラビカ種のコーヒーもあった。しかし、最も自慢の的となっているのは、トーマス・マシューが植えた沈香(ウード)の木で、この木は、ケララ州で最初のものだった。別名アガーウッドとしても知られ、香水、お香、アーユルヴェーダの薬に使われる。その木材は非常に高価で珍重されているが、彼はそこから採れる苗木を無料で配っている。始め、私は彼が「ウッドツリー(木の木)」と呼んでいるのかと思い、「全部そうじゃないか?」と困惑していた。

さて、SEEDS インディアに関するツアーはこれで全てだと思う。しかし、トーマス・マシューの仕事のすべてが語られたとは思わないでほしい。まだ続きがあるのだ。どうやったら一人の人間が一生のうちにこれほど多くのことができるのか、私には正直理解できない!私の取り留めのない文章に疲れたら、これらのことがきれいに整理され、掲載されているSEEDSインディアのウェブサイトを見てほしい。
https://seedsindia.net/(Syncable掲載 日本語:SEEDSインディア JAPAN https://syncable.biz/associate/SEEDS-IndiaJapan/vision#associate-tabs

シスター・クンジュンジャンマ

その日の夕方、我々は近くの街ティルヴァッルールに向かい、シスター・サミュエル、より正確にはシスター・クンジュンジャンマ・サミュエル(2005年アジア学院卒業生)に会った。アジア学院では皆、シスター・サミュエルと呼んでいたが、私はシスター・クンジュンジャンマという響きが好きだ。ちなみに、私は彼女の担当教員だったのだが、今思い返すと笑ってしまう。人生経験が20年近くも長い、賢明で献身的な修道女を、当時30代の私が指導していたのだから。彼女は、自身の仕事、学院での学び、そして将来の夢をまとめた一種の論文である、リフレクション・ペーパーの執筆における私の助けに感謝していると話した。

シスター・サミュエル(短いので、こちらで通すことにする)は、Mar Thoma Suvisesha Sevika Sanghomの一員だ。おおまかに訳すと「マル・トーマ教会 女性ボランティア協会」となるが、完全な意味を捉えているとは思えない。以前、マル・トーマ教会について説明しておいて良かった。なぜなら、アジア学院の多くの卒業生がこの教会と関わっているからだ。明日、私たちはまた別の卒業生とも会う予定だ。 

我々が到着すると、シスター・サミュエルが正面玄関から出てきて、まばゆい笑顔で歓迎してくれた。彼女が最初に言ったのは、「私はアジア学院を決して忘れません。20年を経て、あなたが来てくれて本当に嬉しい。アジア学院は私の人生を完全に変えました。」という言葉だった。そして彼女はすぐにトーマス・マシューと私を中に招き入れ、他の人たちに紹介してくれた。ここは「老宣教師」(彼女たちがそう言ったのであり、私の言葉ではない)のための休息所であり、「他の人たち」とは、皆80代に入った老宣教師の女性たちだった。「引退した」という言葉を使うのはためらわれる。というのも、主に仕える仕事に定年はないと思うからだ。シスター・サミュエルは70代で、かつてのエネルギーはないと言いながらも、このホームを運営している。ここに滞在している七人の女性のうち四人が私たちに会いに来てくれたが、彼女たちは本当に賑やかだった。次から次へと私に質問を浴びせかけ、その後、私が聞き取れないことを言い、笑いが起こった。私は彼女たちを心から好ましく思った。

シスター・サミュエルは緑茶と自家製のお菓子を出してくれた。おしゃべりが途切れるたびに、彼女は自分の人生についてほんの少し話をした。アジア学院を卒業した後、教会は彼女を様々な部署に配属した。その一つが、明日訪れる予定の、近くにあるアシュラムでの勤務で、そこで彼女は畑のために、バーミ・コンポスト(ミミズを使ったコンポスト)を導入した。私は、シスター・サミュエルのような教会の奉仕者が、場所から場所へと移動させられることに対応する方法にいつも感銘を受ける。彼女たちはあまり心配せず、むしろそれぞれの任務を受け入れるのだ。彼女が「私は今ここにいる。神さまが理由を持って、私をここに置かれたのだ。私にできる良いことを見つけよう。」と言っている姿が目に浮かぶ。

全て”の入居者との面会

シスター・サミュエルがこの施設で働き始めたのがいつかは分からないが、すでに三人の入居者を看取ったという。隣のホールには、約100年前に遡る、ここで最期の時を過ごしたすべての宣教師たちの写真が飾られていた。彼女は、寝たきりの女性たちにも会うようにと強く勧めた。特に一人の女性はつねに不快感があるようで、頻繁に体勢を変えていた。シスター・サミュエルたちは昼夜を問わずその女性の世話をしている。これらの修道女たちは人生をかけて他者に奉仕してきた。その彼女たちが最も必要とする時に、同様の愛情のこもったケアを受けられる場所があるのを知り、心が安らいだ。

午後6時頃、四人のにぎやかな女性たちは礼拝堂へ、祈りを捧げに行った。彼女たちの肉体的な強さは衰えているが、精神的な強さはこれまでと変わらず強いのだ。彼女たちは皆、一日に三回祈る時間を持っており、シスター・サミュエルはいつもアジア学院のために祈っていると私に話してくれた。また、彼女たちは月に一度、自由に参加できる聖餐式を執り行っている。実は、男性の訪問者であるトーマス・マシューと私は6時には退出しなければならなかったが、特別に許可を得て7時まで滞在することができた!シスター・サミュエルがアジア学院のために祈ってくれていると聞いて、私は胸を打たれた。彼女や、他の多くの卒業生たちが祈りの内にアジア学院を覚えていていることを知るのは、本当に意義深いことだ。それは私を勇気づけ、大変な時でも学院とその使命のために懸命に働き続ける力を与えてくれる。


パン屋にて

帰り道、我々はパン屋に立ち寄ってお茶を飲んだ。この地方ではお茶といえば大抵マサラティー、別名チャイのことを指す。ここはトーマス・マシューが病院に持っていくパンを買い求める店である。確かに質が良く、安物より大きく味が良い。私の妻の好物であるカシューナッツも売っていることに気づき、たくさん購入した。

お茶を飲みながら、我々は再びインドについて話し合った。トーマス・マシューは、一つのインド、つまり均質なインドという考えを好まない。イギリスが入植する前には、何百もの王国や公国が存在した。国民の80%はヒンドゥー教徒だが、イスラム教徒、シク教徒、キリスト教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒、バハーイー教徒、アニミストなど、そうではない人々も非常に多い。さらに、あらゆる言語と地域的な慣習が存在する。そう、インドはインドであるべきであり、多様であるべきだ。なぜなら、それこそが真のインドだからだ。

家に帰ると、親切にもサリーが、ジャックフルーツ、バナナ、パパイヤの軽い夕食を用意してくれていた。腹時計がまだ時差について来ておらず、この食事が最適だったので、私は心から感謝した。ちなみに、ジャックフルーツには約100通りの調理法があることをご存じだろうか。私はトーマス・マシューの家でそのうちのいくつかを食べさせてもらった。種まで食べられる。どれもナラ・ルチ(とても美味しい)だが、私のお気に入りは何といっても生のままの甘い果実だ。

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