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2日目

2025年 2月6日 木曜日

南インド & ウッタラーカンド州 編


人々はどこへ?

もっと寝ていたかったのに、時差ぼけでほんの数時間で目が覚めてしまったので、温かいバケツ風呂に入り、敷地内の緑豊かな庭に繰り出した。人影はなかった。奇妙なことに10億人の人口を抱える国に来たというのに、そのうちの1人さえ見つけることができない。庭をぶらぶら歩いていると、柔らかい歌声が耳に入った。早朝のミサが行われていたのだ。すぐに、私はその歌声の源にたどり着き、小さな礼拝堂にそっと入って腰を下ろした。と同時に反対側へと席をずらした。女性側の席にいることに気づいたからだ。

礼拝が終わると、人々が一気に散り始めた。再び1人にはなるまいと必死になって、私は一緒に座っていた2人の男性の後を追った。二人とも神父で、簡単な自己紹介の後、ドーサに2種類の素敵なカレーを添えた朝食に招待してくれた。食事が始まると、「どこから来たのか」という自然な質問から、アジア学院についての本格的な説明へと移行した。サーバント・リーダーシップについて話すと、会話が弾んだ! 私はアジア学院のドキュメンタリーを見せるためにパソコンまで引っ張り出した。この場を借りて、彼らについても紹介しよう。今しがた、朝の礼拝を執り行っていたダス神父と、この先の旅を手助けしてくれることになるフランシス神父、サムエル神父、そして私のここでの滞在をアレンジしてくれたアジア学院の卒業生の友人であるサヴァリ神父だ。

“オート”で巡る、ベンガルール

ケララ行きのバスは夜遅くまでなかったので、丸一日をベンガルールで過ごすことになったが、どうすればいいのかわからなかった。親切にもフランシス神父が、市内を回るためのトゥクトゥクを手配してくれた。ただ、ここではこれをトゥクトゥクとは呼ばない。オートリキシャ、または略して“オート”と呼ぶ。
さて、私はロバート・ケネディという運転手と共に“オート”に乗りこみ、混沌とした、しかし不思議なほど効率的な交通の流れを、身の毛もよだつような正確さで縫うように走った。念のため言っておくが、トラック、自転車、バス、数十台のバイク、そして他の“オート”車など、周囲を疾走するあらゆる車との間隔は5センチが許容範囲だ。思わず手を伸ばして、ほんの数センチ先にある巨大なバスの汚れた部分に自分のイニシャルを書きたくなるような瞬間もあったほどだ!ちなみに、本来のリキシャ、つまり人が手で引く車は、インドのほとんど地域で禁止されている。自転車のリキシャも見かけなかったが、農村地域にはまだあるかもしれない。

最初に立ち寄ったのは両替所だった。そうとも、空港では高額なタクシー代を払えるだけのお金を両替しただけで、全財産を両替するほど間抜けじゃない。町では、良いレートで両替することができた。この両替所を見つける目印としては、セント・パトリック教会という、とっても古くて、とっても美しい教会があり、幸せな結婚式が行われてにぎやかな様子だった。それからラールバーグ公園へ散歩に出かけた。
待てよ、これは一体?もしかして? 静か? クラクションもエンジン音も聞こえない?自分の心の声すら聞こえるような場所?そうなのだ。ベンガルールの喧噪から大いに解放された。大きな木の枝がバラの花園を覆い、無数の熱帯の花々が見事に咲き乱れている。犬が邪魔されずに眠れるほど平和な場所だ。私は「寝た犬を起こすな」ということで、距離を置いていたが、草むらに座って犬に餌をやっている女性がいた。ロバート・ケネディ(私の運転手)が、なぜそんなことをしているのかと尋ねていたから、よほど珍しいことのようだった。彼女は答える代わりに少しだけほほ笑んで見せた。

ベジか、ノンベジか

さて、お昼時になり、我々は徹底的なベジタリアン食をいただいた。インドはベジタリアンにとって天国だ。実際、肉料理を出すレストランの多くが「ノンベジ」だと宣伝しており、「ベジ」のほうがスタンダードなのかもしれないと思わせる。カマット・ホテルというレストランでは、チャパティ、ライス、3種類のカレー、それに野菜のサイドメニューと2種類の甘いデザートが出された。ゆっくりとこれらの食べ物の名前を覚えていく必要があるが、現地の発音は聞き取りにくい。私はまだ “インド耳 “を開発中なのだ。

ツアーの最後は有名なISKCONヒンドゥー教寺院に行く予定だったが、今日は閉まっていたので、通りを下って、猿の頭を持つ神、アンジャネーヤの寺院に向かった。 靴を預かってくれる人に靴を預け、階段を上って黒とオレンジのドラマチックなアンジャネーヤの像をまじまじと見て、ヒンドゥー教の慣習に従い、像の周りを一周し、靴を預けたところに戻った。 彼は恥ずかしがり屋なのだろう。写真撮影は禁じられていた。

文化的な衝撃

午後はまだ時間があったので、ロバート・ケネディが、インドの国会議事堂を見に行こうと言い出した。私は、彼のアイデアが尽きたのかと思ったが、実は人気スポットだった。人々は歩道に列をなし、壮大な建物と、馬に乗ったインドの英雄たちの像の前に集い、自撮りをしていた。 インド国旗のすぐ下に刻まれた “GOVERNMENT WORK IS GOD’S WORK(政府の事業は神の御業なり) “という文字が私の目を引いた。私は二度見し、さらに二度見し(四度見)、頭の中が疑問でいっぱいになった。学校で厳しく教え込まれた政教分離はどうなっているのだろう。それは我が国の建国の父たちが掲げた主要な信条ではなかったか。しかし、インドは私の祖国ではない。インドはインドであり、自分の育った環境だけで決めつけることはできない。これは、鋭い旅行者なら誰もが一度は遭遇する類の出来事であり、我々を震撼させ、挑みかけ、自らの文化的レンズを通して物事を早急に判断したくなる誘惑に駆り立てられる出来事の一つだった。私にとっては、深刻な内省を促すものだった。全国民が見ることができるように大胆に掲げられたこのフレーズが本当に伝えたいことは何なのか?
だが、ちょっと待てよ。アメリカの通貨には例外なく、”In God We Trust(我らは神を信頼す) “と刻印されている。その理由をインド人に尋ねられたら、私は何と答えるだろう?この件についてはよく考える必要がある。インド人の友人たちにも尋ねるつもりだ。 地元の人々の見解を知らなければなるまい!

ロバート・ケネディと私は、数枚の自撮り写真を撮り、帰路についた。この日のツアーを締めくくりに、いくつかの興味深い街角での様子を記録しておく。

・信号待ちで不自然に接近した状態で、バイクに乗った人々が我が運転手ロバート・ケネディに道を尋ねようと、大声で話しかけるのは珍しいことではなかっ
た。彼はいつも快く応じていた。

・工事現場脇の小さなバリケードには、”Don’t drink and stand “と書かれた看板があった。 立ち上がれなくなるくらい飲んだらダメだという意味だろうか…?

・ある信号で、ヘルメットをかぶった男がバイクの間を歩き、自分の行きたい方向に行くモーターバイクのドライバーを探していた。1人目は「ノー」と首を
横に振った。2人目も同じだった。しかし3人目は、この文化圏では「イエス」を示す慣習で、頭をぶんぶん振ったので、男はそのままその後ろに飛び乗っ
た!

・上記の出来事に関連して、この国では、非言語的な肯定の正しい方法は、上下にうなずくのではなく、横に頭を振ることであることを覚えておいてほしい。
あなたも、できるかどうか試してみるといい!

ウーバーの冒険

インド社会研修所に戻ると、フランシス神父がお茶とワダと呼ばれるスパイシーなビスケットをご一緒しましょうと誘ってくれた。彼は、私の夕食と、バスターミナルまでのタクシーの手配もしてくれた。すべてがうまくいっていた…午後7時になるまでは。

この時間に、私はタクシーに乗らなければならなかったが、ウーバーを呼んでくれるはずの神父は見当たらなかった。手短に言うと、こうだ。疲れ果てたスティーブンが夜の渋滞で身動きも取れないウーバーの車内でパニック状態になり、運転手のダッシュボードに設置されたスマホを1分おきに確認する姿を想像してほしい。バス乗り場への到着予定時刻が8時45分から8時50分の間で変動し続けるのを目にしているが、バスの出発時刻は8時45分だった。幸運なことに、研修所の人がもう一人、同じ目的地に行くために一緒にウーバーに乗り込んでいたので(彼のバスはもっと後だった)、彼は運転手に直接電話して私が必ず来ると伝えてくれた。運転手は私の窮状に同情的だったが、予定時刻にいなければバスは出発してしまうと言った。

ようやく到着すると、我々はタクシーから飛び降り、道路沿いに停まっている何十台ものバスの中から私の乗るハムサ・ツアーズの大型バスを見つけるべく走った。結局、私は5分遅れてしまったが、運転手は先ほどの警告にもかかわらず、快く待っていてくれた。私は無事にバスに乗り込み、ベッドに倒れ込んで感謝のため息をついた。は~!そう、聞き間違いではない。私はベッドで、体を伸ばして眠ることができたのだ。これは寝台バスで、それまで見たこともない素晴らしい発明のおかげで、その後の12時間は横になって快適に過ごした。