西日本スタディツアー 2023(後編)

アジア学院の学生たちは、普段の教室での授業を離れて、実際に西日本各地の人々と対面する研修旅行を無事終了しました。

5: 水俣

大阪での短い中休みの後、学生たちはフェリーに乗って水俣に向かい、水俣病の歴史と地域の人々に与えた痛ましい影響について学ぶために、水俣病資料館、チッソ旧社屋、百間排水跡地、水俣病慰霊碑のある埋立地に作られたエコパークなど、いくつもの場所を訪れました。

翌日は、最初の水俣病患者が発見された場所を訪れ、カラタチで水俣病患者でありながら、牡蠣やみかんを栽培し、地域で働きながら懸命に生きている男性の話を聞きました。訪問した元水俣市議からは、水俣市がいかにして地域の発展の道を変え、加害者と被害者の間を取り持ったかを聞きました。当時の吉井市長は、率先して水俣病患者を認め、謝罪した数少ない行政の人間でした。吉井市長が水俣病患者を認め、謝罪したことを学び、この時始まった水俣市の分断が回復していく過程を目の当たりにし、職員・学生ともに感銘を受けました。

その後、学生は先天性水俣病患者のための社会福祉施設「希望未来水俣」を訪問。先天性水俣病の患者本人から直接話を聞くことができました。彼らの地域に対する決意と温かい心、そしてすべての人が殺し合うことなく平和に暮らせる未来への希望に、みなが心を動かされました。また学生たちはカラタチともう一軒の有機オレンジ農家に会うことができ、水俣の物語と人々をつなげようとする家族の努力について聞くことができました。

水俣での滞在中、学生たちは15組のホストファミリーと生活を共にし、最終日の夜にはホストファミリー全員を招いて食事会を持ちました。水俣の食材を使ったビーガン料理がふるまわれ、参加者全員が舌鼓を打ち、歌やダンス、そして参加者の一人による素晴らしいスピーチで幕を閉じました。

6: 広島

広島までの長いドライブの間、学生たちはヨハン・ガルトゥングが理論化した3つの暴力を踏まえて、この枠組みを通して見聞きした問題について考えました。

広島原爆資料館では、原爆が広島とそこに住む人々に与えた影響について、レガシー・スピーカーから話を聞きました。広島平和記念公園、爆心地、平和の鐘、慰霊碑などを散策し、平和の意味を考える時となりました。また、それぞれの場所で、学生たちは母国語で祈りを捧げました。学生たちの間には、”このメッセージを自分たちのコミュニティに持ち帰り、平和のために努力したい “という共通の思いが感じられた。

その余韻を残したまま、学生たちは西日本に別れを告げ、栃木にあるアジア学院のキャンパスに戻るために身支度を整えました。学生たちは、キャンパス外での学習体験を満喫しただけでなく、日本のさまざまな人々や物語からインスピレーションを受け、自分たちの地域社会を変えるきっかけをつかんだようでした。

このツアーを可能にしてくれた西日本各地で支えてくださった多くの支援者の方々、キャンパスの活動を支えた職員・ボランティア、そして12日間を通して目的地から目的地へと精力的に運転してくれた責任感のあるドライバー・同行職員に、心から感謝します。