
〒329-2703
栃木県那須塩原市
槻沢442-1
アジア学院では、自給自足の持続可能な農業を実践している。つまり、食堂で提供する食材の90%以上は、キャンパス内で栽培・飼育されたものです。これには、大豆、鶏肉、豚肉など、ほぼすべてのタンパク質が含まれます。
私たちは単に家畜を育てているのではなく、他の多くの生命を支える生命を育てているのです。最近では、キャンパスで子豚という新しい命が誕生した!この子豚たちは1年間私たちと一緒に育ちますが、今はそのかわいらしさを楽しむことができます!
8月にアフリカ南部を訪れた、アジア学院の職員スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ)の旅行記のウェブ連載がついに完結しました。3週間以上にわたる滞在を通して、23名の卒業生が現地で熱心に働く様子や、その土地の食や習慣などの文化を、ユーモアと美しい写真を交えながら描いており、まるで一緒に旅をしているかのような気持ちにさせられるシリーズとなっています。
新年度のアジア学院の学生たちにつながるエピソードも多く、学院を訪ねれば、この人があの…!と、嬉しくなること間違いなしです(笑)
冬ごもりのこの時期、温かい部屋でコーヒーでも飲みながら、アフリカに思いをはせるのはいかがでしょうか?
ブログはこちらから: https://ari.ac.jp/africa-graduate-journey-vol-0-prologue?ari=news
冬は楽しさと冒険の季節!アジア学院のコミュニティは、先日「コミュニティイベント – スノーシュー体験」を行いました。私たちは福島の美しい雪山へ出かけ、スノーシューをレンタルして、白銀の世界を歩きました。
真っ白な雪景色の中、新鮮な冬の空気を感じながら、雪を踏みしめる音を楽しみました。途中でお菓子を食べたり、雪合戦をしたり、自然の中での楽しいひとときを満喫しました。
アジア学院では、農作業や学びの場だけでなく、こうした共有の体験や笑いを通して、コミュニティを深めていくことも大切にしています。今回のスノーシュー体験は、仲間と一緒に自然を楽しみ、つながりを感じる素晴らしい時間となりました。
アジア学院での日々に戻った今も、この冬の冒険の思い出が私たちの心を温めてくれます。寒い季節こそ、心が温まる瞬間が生まれます!
8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
3週間以上にわたる旅も、ついに終わりを迎えました。ここまで読んでくださった皆さまに、心から感謝申し上げます。
それでは早速、最後のアフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 24-26日目】
家路につく
ついに!アフリカでの3週間以上の滞在を終え、カイと私は日本に帰国する。「あっと言う間」という日本語が頭に浮かぶ。文字通り、「あっ」と言う間という意味だが、「瞬きする間」と訳した方がしっくりくる。しかし、なぜかその瞬きの間に、長い人生のエピソードを歩んできたように感じる。この旅行記では、この短い滞在の間にザンビアとマラウイの大地や人々について、私の目と耳と味覚が学んだことを、できる限り描写しようと努めた。特に、卒業生の「公式の仕事」だけでなく、彼らの日常生活からも、彼らが人々と共にいる、別の言い方をすれば、彼らが人々を愛している、些細で目に留まりにくい姿を引き出したいと思った。私が大切にしてきたこれらの物語を、皆さんにも楽しんで読んでいただければ幸いだ。
とは言え、まだ帰宅したわけではない。もう少し話は続く。”ここまで来る”旅と同じように、帰るまでの日数もまた、しわくちゃになった毛布のように、一つの流れに圧縮されているようだった。
マクドナルドの好意で、ヴェーと共に空港まで送ってもらい、そこでもう一人の卒業生に会った!マーティン(2013年アジア学院卒)は、マラウイのはるか北部、確かムズズの北の方で、働いており、とても今回の旅程には入れられなかった。仕事の関係で我々のいる地域まで来てくれたのだが、スケジュール的に30分ほどしか会う時間がなく、彼はこのためだけに空港まで出てきてくれた。要するに、今、彼が大きな農業関係の会社に勤めていることがわかっただけだ。もう少し詳しく聞くべきだったかもしれないが、いかんせん時間がなかった。
カイと私は、ここ数日間、高貴なもてなしをしてくれたマクドナルドと、ラジオに出演していないときもアニメのようなキャラクターを持つヴェーに別れを告げた!セキュリティチェックを通過した後、私たちは最後のフルティカーナ(Vol.8参照)2本でささやかな乾杯をし、両替できなかったクワチャの残りを「空港価格」の土産物に費やした。実を言うと、私もカイもスーツケースにフルティカーナのボトルを何本も詰め込んでいた。置いていくにはあまりにもったいない。ターミナルで、会議に参加していた2人に出くわした。その人たちは我々と同じ便で南アフリカを経由して、ジンバブエに帰るところだった。
私たちはヨハネスブルグで一泊しなければならなかったが、南アフリカ観光は空港と直結するホテルに限られていた。ヨハネスブルグは危険だという評判があり、南アフリカの友人から、同伴者なしで街に出てはいけないと忠告されていた。それでも我々は、めげずにターミナル内のレストランに向かい、食欲をそそる肉たっぷりの、最後のアフリカ料理を堪能した。私はポークにしたが、カイが選んだ素晴らしいステーキの記憶をどうにかして奪いたい。どうやら私は「カイと同じものを注文するのが吉!」という教訓をまだ学んでいなかったようだ。
翌日の朝食は、南アフリカの人気チェーン店「ウィンピー・バーガー」で食べた。いつかまた、南アフリカをちゃんと見に行きたい。空港での数時間が私の食欲を刺激した。この殺風景な金属の壁の向こうには、また別の冒険が待っていると感じた。
キャセイパシフィック航空の飛行機に乗り込み、数本の映画を観た後、香港に到着した。残念ながら、東京行きの飛行機までに、メニュー701番の麺料理を食べる時間はなかった。
羽田空港は出発時よりもさらに混雑していた。パスポートゲートは入国観光客で溢れかえっていた。日本にとってはいいことだ!ここで私とカイは別れた。長旅の後、旅のパートナーと別れるのはとても妙な気分だ。一緒に過ごした時間と経験の絆は、別々の方向に向かって歩いていくというだけで解消するはずがないと感じるからだ。しかし、カイはアジア学院に戻り、私は家族のいる大分の家に帰るため、次の便に乗った。
正面のドアから家に入り、ソファに横になったとき、時間が8月26日の月曜日の午後にワープしていることに気が付いた。
読んでくれてありがとう。
また次の冒険まで…
謝意
行く先々で、アジア学院の卒業生たちに温かく迎え入れてもらった。彼らは、自分たちの働くコミュニティに我々を紹介し、熱心に活動の様子を見せてくれた。我々はアジア学院の大きな家族の一員として、本当に大切にされていると感じた。特にニョンド夫妻に感謝したい。彼らは数日にわたり、我々を自宅兼事務所に滞在させ、ザンビア全土を車で案内し、ガイドブックに載っていないような名所を教えてくれた。また、我々を自宅に泊め、病気になったときも気遣い、心強いトヨタの車でマラウイ中の卒業生のところへ連れて行ってくれたマクドナルドにも感謝したい!
この旅は、卒業生たちの協力と惜しみない時間の提供なしには成功しなかっただろう!
また、アジア学院北米後援会(AFARI)の皆さんには、卒業生の地域会議を企画して頂き、カイの海外出張のスポンサーにもなっていただいた。勤勉な卒業生たちとの分かち合い、学び合い、連帯に溢れた豊かな旅だった。
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.19 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その1】
Vol.20 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その2】
Vol.21 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 24-26日目】<== 今ここ!
アジア学院は、2024年12月初旬に「Euodoō – 土に生きる未来学」第7号を発行しました。このジャーナルは、ARIの使命と共鳴する深い洞察と考察を共有する伝統を引き継いでいます。
この第7号は、ARI創立50周年記念に合わせて発行された特別版であり、持続可能な農業、コミュニティづくり、奉仕のリーダーシップに焦点を当てたエッセイや考察のコレクションが掲載されています。寄稿者たちは、それぞれの学びや経験を通じて、回復力があり公平な「農村の未来」を築く旅へのインスピレーションを読者に提供しています。
2024年版のハイライトは以下の通りです:
これらの寄稿は、アジア学院の活動の核心にあるテーマを探求し、農村コミュニティがどのように意図的なリーダーシップ、持続可能な実践、共有された価値観を通じて繁栄できるかについて考えさせられる視点を提供しています。また、ARIの豊かな歴史を振り返り、半世紀にわたる世界中の人々への力づけを祝っています。
アジア学院の卒業生、支援者、または持続可能な実践がリーダーシップやコミュニティづくりとどのように交わるのかに関心のある方々にとって、この特別号は行動へのインスピレーションを与える貴重な洞察を提供します。価格は800円で、日本全国どこでも430円の送料で購入できます。書籍の購入は、こちらのページから。
1月25日、アジア学院でフレンズデー x 大日向マルシェ冬の文化祭が開催されました。今年のテーマは「森に触れよう・人と出会おう」。多くのサポーターや地域の方々が集まり、自然の中で学びや交流を楽しみました。
フレンズマルシェでは、新鮮な有機野菜や手作り雑貨、おいしい地元の食べ物が並び、大盛況!売上の一部は能登半島地震の支援活動に寄付されます。
フォレスト体験では、ツリークライミングやオリエンテーリングが行われ、参加者は自然を五感で楽しみました。また、2014年度卒業生のThi Thi Winさんによるミャンマーの農業支援の話や、君島佳弘さんの食育についての講演も、多くの人の関心を集めました。
この日、さまざまな出会いや発見が生まれ、参加者は自然と人とのつながりを深めました。フレンズデーは、今年も心温まる特別な時間となりました。
8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今回は、会議に集まった、卒業生たちの活動についてお伝えします。語られた偉業の裏に、その何十倍もの苦労が隠されているとは思いますが、確かに、学院での学びがコミュニティの人々の生活向上に貢献していることを感じます。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その2】
アジア学院 卒業生会議
アジア学院北米後援会(AFARI)は、アジア学院の卒業生を招いての会議を開催した。こうすることで、卒業生たちはシンポジウムの恩恵を受けることができるし、互いに学び、分かち合い、親睦を深めることができる。AFARIのタール・フェローシップ・プログラムの参加者の3名、サイダティ・”サイラブ“・ムロルンクウェレ (2020年卒、ルワンダ)、パトリック・クリエ(2019年卒、リベリア)、マンブッ・サマイ(2018年卒、シエラレオネ)は飛行機で駆けつけた。
周辺地域の卒業生も歓迎され、AFARIが会議の参加費、宿泊費、食費を負担し、交通費は各自で負担した。ザンビアからは、ジョン・ニョンド(1983年卒/1993年研究科生)とジュディ・ダカ(2001年卒)の2名が参加した。つい1週間前、親切にも、車で国のあちこち縦断して我々を案内してくれた夫婦だ。マラウイからは、ヴェニタ・カドゥヤ(ヴェー、2018年卒)、セシリア・ンピンガ(2016年卒)、アーネスト・マガンガ(2014年卒)、エネト・ンカスィクワ(2013年卒)、ジョン・チンカータ(2013年卒)、ンジャラ・バンダ(マクドナルド)神父(2010年卒/2016年研究科生)の6名が参加した。コンゴ民主共和国出身(モザンビークで活動中)のジョン・ンダイ(2010年)も申し込みをしていたが、ビザの遅れで参加できなかった。アフリカ外からは、シェリー・デレオン(AFARIスタッフ)、ベブ・アブマ(AFARI理事)、そしてスティーブンとカイ(アジア学院)が参加した。総勢13名だった。ややこしい名前ばかりで申し訳ないが、テストには出ないのでご心配なく。
日中は会議のイベントに参加し、夜は皆で集まり、ディスカッションをした。 これはAFARIにとって2回目(だったと思う)の卒業生会議であり、私は初めての参加だった。この集まりの雰囲気は、私が卒業生アウトリーチ部門で目指す、“アジア学院ファミリーを一つにする”、“グローバルな学びのコミュニティを作る”という目標とぴったり合っていて、本当に有難く感じた。
卒業生たちの簡単な近況報告
ここでは、何人かの卒業生からの言葉を少しだけ紹介しよう。これは決して彼らの仕事についての完全な説明ではないし、一部はこれまでの繰り返しである。彼らの人生を覗き見るための小さな窓だと思ってほしい。もっと知りたければ、ビデオインタビューも撮ったのでご心配なく! 彼らの素晴らしいストーリーは共有するに値するので、皆さんのために、私がきっちり編集したいと考えている!
マラウイのセシリア
「ヤギを飼っていると、お金持ちだと思われますから!」これを書き留めておいたのは、この言葉が、なぜ彼女がヤギのプロジェクトを始めることにしたのかをよく表していると感じたからだ。村の水準からすれば、これは経済的に前進するための具体的な行動だと言える。
マラウイのアーネスト
アーネストは衛生管理プロジェクト(HVP)でプログラム・オフィサーとして働いており、アジア学院での研修後に昇進した。残念ながらブランタイヤ行きをキャンセルしたため、彼の仕事を直接見ることはできなかった。名前からもわかるように、この組織は「皆が永続的に」をモットーに、水の衛生設備や公衆衛生に焦点を当てている。
彼らはエコサン・トイレを紹介し、その辺の茂みをトイレとして使わないことが、いかに衛生的に重要かということを人々に教えている。この地域の様々な場所で「ここは野外排泄禁止区域です。」と書かれた看板を見かけたが、アーネストによると、これはHVPが設置したものだという。彼らはまた、人々が清潔な水を利用できるようにするための井戸も掘っている。多くの人々はまだ川から直接水を汲んでおり、それがあらゆる健康問題を引き起こしている。マラウイの国家構想によれば、2030年までに清潔な水と教育への一般的なアクセスが可能になり、2063年までに全てのマラウイ人が中流階級の生活水準を獲得することになっている。アーネストは気候変動、特にマラウイ全土で起こっている砂漠化の問題についても触れた。「自然は今、反撃しています」と彼は述べ、サイクロン・フレディによる大規模な破壊を引き合いに出した。
「私は模範を示して人々を率います。突っ立っているだけではありません。自らかかわってく必要があります。」アーネストはこの言葉で、アジア学院で受けたリーダーシップ研修の重要性を強調した。アジア学院に入る前、彼は村に行き、ニーズに基づいた評価を行った。基本的には、村に行って何をするべきか指示していたのだ。今は、村人と一緒に座って問題を分析し、彼らの考えを聞き、一緒に計画を立てる。この方法によって、人々はプロジェクトに対してより主体性を持つことができる。これは、彼が朋子さん(学院の校長)のクラスで学んだPLA(参加型学習行動法)のアプローチである。
「指導を受ける人々と自分とのギャップが縮まりました。」とアーネストは続けた。「私が決断し、命令し、結果を集めるだけでは、人々はプロジェクトを自分のものにはできません。アジア学院のリーダーシップ・アプローチは、計画を立てて共に働くことで、達成の一体感をもたらします。私は経営陣にこのようなリーダーシップをとるよう働きかけており、徐々に浸透しつつあります。」
マラウイのエネト
アジア学院の後、エネトは夫を始めとする家族全員に支えられながら、専業農家になった。 農業を通じて、彼女は家族を養い、自分の知識をコミュニティに広めている。
ザンビアのジュディ
ジュディは、結核に感染した地域住民に結核治療薬を投与する“訪問保健ワーカー”を養成した。 薬をもらっても飲まないことが多いからだ。このようなボランティアの保健ワーカーたちの活動のおかげで、今ではコミュニティの結核患者は一人もいない!
マラウイのジョン
ジュディの結核の偉業を聞いて、ジョンも自らの経験を熱く語った。彼がまだ衛生管理プロジェクトに所属していた頃、マラウイ湖の近くにあるコレラ患者の多い地域に行った。そこで彼らと協力して簡易トイレを建設し、井戸を掘ったところ、新たなコレラ患者は一人も出なかった。彼は78の村を抱える別の地域でも同じシナリオを繰り返した!
シエラレオネのマンブッ
マンブッの松葉杖で農作業をするプログラムは、国中から集まった350名の下肢切断者を受け入れている。最近では、60名の下肢切断者の農民を対象に包括的なトレーニングセッションを行った。彼が約20年前に始めた下肢切断者スポーツ協会(SLASA)という名のサッカーチームは、アフリカ全土で最初の下肢切断者のサッカーチームである!彼らは国際大会に出場し、2024年のパリ・オリンピックの展示イベントにも招待された。
ルワンダのサイラブ
サイラブは、「1家族に1頭の牛」という国のプログラムに倣った、「1人の子供に1羽の鶏」プロジェクトについて話をしてくれた。彼女は子供たちのために何かしたいと考えた。というのも、「私の子供時代はあまり良くなかった」。ジェノサイドによる大量殺戮の最中に孤児となった彼女はそれ以降、トラウマのため、笑顔を見せることも、話すこともほとんどなかったという。今の彼女を見ていると、そのような一面を想像することは難しい。今の彼女は笑顔ではない時のほうが珍しいからだ。
子どもたちにはそれぞれ責任を持って世話をする鶏とアボカドの木が与えられ、将来のリーダーを育てることを目的としている。宗教や部族に関係なく、どんな子供でも参加できる。「差別はありません」とサイラブは強調する。これまでに100名の子供たちに鶏とアボカドの木が提供された。このアイデアはすべてサイラブのもので、彼女の団体はこれを全面的に支援している。
土曜日には500名の子供たちが集まり、農業や図画工作を学んだり、聖書の勉強をしたりしている。彼女自身はイスラム教徒だが、団体はキリスト教を基盤としている。このプログラムは、子供たち、特に女の子たちが学校に通い続けられるように助け、早婚を防ぐことを目的としている。
「アジア学院から戻ったとき、私は壮大なことを考え始めました。目が開かれたんです。」サイラブは、再利用可能な生理用ナプキン・プロジェクトも始めた。バナナの繊維を用いて、洗濯可能な生理用ナプキンを作るのだが、市販の使い捨てナプキンよりはるかに安く、2年間使用することができるという。このアイデアはアジア学院での生理用ナプキンの授業から生まれた。
彼女はまた、有機農業を始めて、同僚やコミュニティに堆肥の作り方を教えたいと、興奮気味に語った。「私が有機農家になれたのは、アジア学院のおかげです。」
リベリアのパトリック
アジア学院に行く前は教室にとどまるだけの教師だったが、帰国後は外に出て実践的に子供たちに教えるようになったと、パトリックは話す。彼の最初のプロジェクトは “教育のための農業 “と呼ばれるもので、学費を捻出するための小さな庭の作り方を子どもたちに教えた。これが後に、彼が発表した上げ床花壇の苗床を作るきっかけとなった。
タール・フェローシップからの資金で、彼は女性のための職業訓練を開始し、すでに持っていた3台のミシンに加えて、さらに6台のミシンを購入することができた。また、キャッサバや野菜の生産についても教えている。
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
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Vol.19 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その1】
Vol.20 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その2】<== 今ここ!
Vol.21 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 24-26日目】To Be Continued …
8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
旅のフィナーレを飾るのは、ECHO東アフリカ会議!前半では、その会議の様子や興味深かったトピックやアイデアについてお伝えします。それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その1】
ECHO東アフリカ会議
さて、我々は、東、中央、南アフリカ全土から集まった人々が、自分たちや地域の農家の直面している問題や、その問題に取り組むための創造的な方法について話す会議へとやってきた。正式名称は「持続可能な農業と適正技術の有益な取り組みに関する、ECHO東アフリカとカナダ食糧穀物銀行の共同シンポジウム」。 私はあまりメモを取りすぎず、ただ話を聞き、物事を受け止めようと心掛けたので、この記事はあまり長くなりそうもない! ふぅー!
カイと私がここにいる大きな理由の一つは、アジア学院のネットワーク作りと認知で、カイが、アクティブ・リクルートメントと呼んでいるものだ。その中で、思いがけず出会ったうちの一人が、アーウィンだった。アーウィンはECHOの創設者で、結果、彼はタンザニアのアルーシャに30年以上住んでいる。彼はとても物腰が柔らかく、のんびりしているが、文化的、アフリカの文脈的、小規模農家的(本当の農家ではないが、私の言いたいことはわかるだろう)にあらゆることに精通している。
多くの有能で賢いコミュニティ・リーダーたちに出会えたことも驚きだった。この人たちはアフリカにやってきて、アフリカ人のやっていることは間違っていて、どうすればうまくいくかについて語るような「第三者」ではない。「第一人者」であり、現地や、コミュニティに身を置き、「この人たちは自分の仲間だ」という人たちなのだ。この人たちが、自分たちの人々、問題、そして生活を改善するための自身のアプローチについて雄弁に語るのを聞くことは、とても有意義だった。アジア学院はこういう人たちのためにあるのだ。食事の時間には、話をしてお互いのことを知ったり、アジア学院について分かち合ったりする機会があり、生き生きとした会話がなされた。
短い抜粋
ANAMED – 意識改革
ANAMEDは自然療法を推進する国際組織である。発表者のご夫妻は、長くマラウイで生活し、仕事をしてきた(30年くらい)。彼らの話の大前提は、持続可能な農業に関する「意識改革」で、彼らは農民たちと長期にわたって協働している。これは、外部の専門家がやってきて、村でプロジェクトを行い、去っていくというプロジェクト・アプローチとは全く対照的である。これでは結局、ほとんど変わらない。個人や集団の意識を変えるには、長期的な取り組みと献身が必要だ。アジア学院の卒業生たちは、意識改革は大きな挑戦であると同時に非常に重要なことだとよく話している!
ANAMEDという名前には聞き覚えがあったが、発表の最中、ようやくその理由を思い出した。カメルーンにいるアジア学院の卒業生が、ANAMEDと提携しているのだ。彼らはあらゆる種類の生薬を製造している。そこは農村変革センター(Rural Transformation Center)と呼ばれ、コリンズとベンという2人の卒業生がいる。
村の貯蓄貸付グループ(VSL)
このプレゼンテーションは、私が長い間抱いていた疑問に答えてくれるものだった。村の貯蓄貸付グループ(VSL)は、農村部の人々が自分たちのお金を貯めてプールし、それを互いに融通し合って小口の融資を受けられる素晴らしい方法である。今回の講演で私は、消費と投資という2つの主な借り入れのカテゴリーについて学んだ。消費ローンは、学費や医療費、家の購入など、出費のためにお金を借りることだ。この種のローンは、村人が前もって多額の資金を必要とする際に役立つが、現時点の収入で返済しなければならない。一方、投資ローンは、ビジネス目的で資金を借りるもので、その資金がより多くの収入をもたらすようになる!つまり、投資ローンのほうが、村の経済を成長させるのに、より適しているのだ。これは私にとって、銀行の入門授業になった。
上げ床花壇(Raised beds)
このプレゼンテーションは、アジア学院の卒業生であるリベリアのパトリック・クリエ(2019年卒)によるものだ。彼は上げ床花壇で苗を育てており、以下は私が書き留めた、いくつかのポイントだ。
・フレームは竹で作られている(まさに地域資源)。
・土は熱湯で消毒し、雑草の種を殺す。
・苗床を高くすることで、体の不自由な人でも苗を育てやすくしている。
・苗は簡単に庭に移植したり、地元の農家に販売したりすることができる。
松葉杖での農業
このセッションには、アジア学院の卒業生でシエラレオネ出身のマンブッ・サマイ(2018年卒)も登壇した。彼は20年以上続けている、下肢切断者との働きについて話した。すべては彼が下肢切断者スポーツ協会を結成したことから始まった。アジア学院の後、彼はメンバーに農業で生計を立てる方法を教えるパーマカルチャーの事業を始めた。 私は個人的に彼の話をよく知っているので、メモを取らなかったが、近いうちにもっと詳しく紹介したいと考えている。それまでは、2019年に制作されたこのビデオをご覧いただきたい。 私は撮影者と一緒にその場にいたが、カメラの邪魔にならないように全力を尽くした。
彼の発表で最も印象に残ったのは、“パーマカルチャー・カップル”の写真だった。マンブッは、この農場で働いて知り合った人たちの結婚式を、少なくとも2度執り行っている!
皆さんに話しただろうか?彼は牧師でもあるのだ。
食事中のふとした会話から得られた言葉
食事は楽しい時間の一つだった。美味しい料理を食べるのが好きだからというだけでなく、活気のある会話ができたからだ。以下は、ある人が農業大学の校長から言われた言葉である。申し訳ないが記憶力が悪いので、校長や大学の名前を挙げることはできないが、アジア学院の入学案内パンフレットにはぴったりだと思った。
「土に触れたくないなら、ここに来るな。」
「すでに充分知っていると思うなら、ここに来るな。」
チャヤ
これは、全体的に一番好きなプレゼンテーションだった。発表者の女性はとても情熱的で、明瞭で、誰でも思わず駆け出して、チャヤを育てて夕食にしたくなるような話だった。チャヤは灌木の一種で、その葉を食べることができる。様々な気候や土壌で育ち、ほうれん草よりも栄養価が高い。彼女はアフリカの国別の野菜消費量と平均寿命のグラフを見せた。 この2つには直接的な相関関係があり、「野菜を食べましょう」というのが彼女の強いメッセージだった。彼女たちはチャヤの挿し木もいくつか持ってきており、土に挿して水をあげれば育つのだという。でも、必ず正しい方向に植えないといけない。「どっちが上か分かる?私たちが教えます!」
彼女の話の中で最も印象深かったのは、レリッシュについての話だった。ここでいうレリッシュとはソースやスープのことで、アフリカの食事には必ずと言っていいほど登場する。伝統的に、「女性の価値はレリッシュで決まる」と彼女は説明した。「もし男性に5人の妻がいたとしても、一番おいしいレリッシュを作る妻と寝食を共にするのです!」遠回しに言えば、これはもっと野菜を食べること、特にチャヤを食べることにつながっているのだろう!
世界各国からの祈り
最終日の2日前の夜、ECHOは、世界の他の地域ではバーベキューとして知られている、食欲をそそるブライをメインとした盛大な夕食会を催した。続いて伝統舞踊が披露され、卒業生たちも参加した。最後に「世界各国からの祈り」があった。これは、その場にいるすべての言語話者の代表が招かれ、祈りを捧げるという感動的な体験だ。何らかの理由でカイが不在だったため、私は人生で2度目となる日本語の祈りを捧げた。他に日本語を話す人はいないので、私の間違いは誰にもわからないだろうし、どんなにひどい失敗をしても、神様にはその意味が伝わると確信している。だから、心配はいらない!少なくとも30名以上の代表者が一列に並び、一人ずつ祈っていった。もしECHOの大会に参加する機会があれば、ぜひこの機会をお見逃しなく!
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.19 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その1】<== 今ここ!
Vol.20 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 20-23日目 その2】To Be Continued …
〒329-2703
栃木県那須塩原市
槻沢442-1