8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今日の旅でも、多くの卒業生との再会がありました。
マラウイの興味深い文化や人々の考え方に、カルチャーショックも感じます。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!
【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】
ゾンバへ
今日はゾンバに向かう!ゾンビではなく、ゾンバである。この違いをはっきりさせることが肝要だ。マクドナルドと手短に話し合った結果、私たちは計画を変更し、南部のブランタイヤへの訪問を中止することにした。スケジュールがタイトすぎるし、休息と健康回復のための時間が必要だった。というわけで、私たちはゾンバに向かい、明日またここに戻ってくることになった。
“被造物への配慮”
道中、最初に立ち寄ったのは、聖公会と長老派の教会が運営するチレマ・レイ・トレーニング・センターだった。マクドナルドは、マリンディに行く前にここに駐在していた。ここは、前主教の破門とそれにまつわるすべてのドラマの後、わずか4ヶ月前に就任したばかりのウィリアム・ムチョンボ主教の住居でもある。彼はしんせつにも、短い歓談の時間を設けてくれて、我々は環境への配慮、つまり「被造物への配慮」が彼の教会の優先事項の上位にあることを知った。それは教区の4つの柱、(1)伝道、(2)典礼、(3)教区の持続可能性のための投資、(4)環境への配慮の中に含まれている。彼はアジア学院の活動をよく理解しているようで、少なくとも我々の働きを評価してくれている様子だったので、教区からより多くの研修生を派遣することについて話した。彼は自ら、アジア学院に女性を派遣することについても触れ、女性グループのコーディネーターはとても情熱的で行動的だと説明した。女性リーダーを採用するのはつねに大きな課題であるため、これは我々の耳に心地よく響いた。
会合の後、マクドナルドはアジア学院の後、教区の農場に配属され、そこで有機農法を始めたことを語った。手っ取り早く利益を得るためには肥料が必要だ、という人々の抵抗にあい、結局異動になったそうだ。この点については、今後の志願者を検討する際に、教会指導者たちともっと話し合うべきだが、有機農業に対する彼らの態度が変わりつつあることは、すでに実感していた。
ティトと裏話
次にティト(2012年アジア学院卒)の家に行った。まさかティトに会えるとは思っていなかった。というのも、彼は教会の大喧嘩の際、過去の主教側に強く味方し、結局破門されてしまったからだ。そのことについては後ほど詳しく説明するとして、順を追って話を聞こう。ティトがリビングルームで、庭で採れたポップコーンと落花生をごちそうしながら、我々に話をしてくれた順序で。ところで、このポップコーンは美味しかった。私は知らなかったのだが、ポップコーンは特別な品種のトウモロコシから作られていて、マラウイで広く栽培されているのだそうだ。ポップコーンが大好きだった父に、このことを教えてあげたかった!
2012年12月にアジア学院から帰国した彼は、マラウイ湖近くのンコペ(マンゴチ地区)という場所の教会に赴任した。土壌は砂地だったので、アジア学院で学んだ堆肥とぼかし肥の技術を使って土壌を作り上げた。耕作は不可能だと思っていた場所で作物が育っているのを見て人々は驚いたが、彼がやり方を示したのでそれに従うようになった。彼は自分の教会だけでなく、他の教会やイスラム教徒のコミュニティの女性や若者の指導も行った。また、盲人のための宣教も始め、盲目の少女や少年のための宿舎を設立した。
2017年、ティトは現在マクドナルドのいるマリンディに移され、農村部長の職を与えられた。彼はモリンガの木を植え、有機農園を始め、ぼかし肥や木酢液など、アジア学院からもたらされた技術を用いた。2年後、彼は再び主教の住むチレマに赴任した。そして2022年10月23日(この日付は彼の人生に永遠に刻まれることになる)、彼は主教と他の13名の司祭たちとともに破門された。詳細は語らなかったが、ただ主教を支持し、声を上げて抗議する人々には加わらなかった、とだけ言った。その日から彼は給料も俸給も一切もらえず、立ち退き命令も出された。幸いなことに、彼と彼の家族は敷地内に別の家と土地を持っていた。「生き残るために、私はこの土地を使ったのです。」彼は、家族の生きる糧となった庭を誇らしげに案内してくれた。そこはキャッサバと野菜で青々としていた。優れた有機農家の証に、鶏糞(30羽のニワトリがあちこちを走り回っていた)、トウモロコシのふすま、灰、もみ殻など、土づくりに使われるものが詰められた袋を見せてくれた。彼は棒で上手にパパイヤを2、3個木から叩き落とし、我々にくれた。
豆と乾燥キャッサバの昼食をとりながら、ティトはアジア学院にいたとき、自分の人生のピークは母親の死だったと振り返りレポートに書いていたと話した。しかし今、「自分の経験のピークは破門」だという。日本で学んだことを引き合いに出し、「あきらめるな。私はサーバント・リーダーだ!」と話す。
彼の教会での地位は現在、牧会委員会で審議されており、間もなく復職する可能性も十分にある。彼は最新の決定を待っており、来週中には聞けると期待している。
チンガレ・コミュニティ
昼前に、我々は2016年の卒業生であるトウェラに会いに出かけた。(新しい)主教のご厚意で、田舎道を移動するのに便利な車と運転手を用意してもらった。トウェラは、2007年に始まったチンガレ・ネノ復興開発プログラムという地元のNGOでプログラム担当官として働いている。アジア学院で研修中の学生、サイモンも同じ団体の出身だ。驚いたことに、彼は創設者兼、現所長の息子であることがわかった。お父さんも歳をとってきたようで、そろそろ引き継ぎを考えているようだがその話はしなかった。むしろ彼は、「あなた方の団体(アジア学院)が生み出した成果」を語り、「君が日本に行く前は、こんなではなかった。」とトウェラに言った。それに対して彼女は、「以前は怠け者でしたが、アジア学院に行ってからはとても働き者になりました。」と付け加えた。帰国後、彼女はプロジェクト・マネージャーからプログラム・マネージャーに昇格し、次期所長の座も射止めたようだ。サイモンは、私が考えていたような世襲の道はおそらくたどらないのだろう。
8名のスタッフが、食料安全保障(おそらく農業のことを指す)、家畜、村の貯蓄と融資、子どもの生存(おそらく幼い子どもたちの栄養管理の取り組みを指す)、心理社会(おそらくジェンダーに基づく暴力のケアのこと)、青少年のレクリエーション、障がい者(地域の障がい者を把握し、必要であればよりよいケアができる場所を紹介する)といった分野で働いている。あまり詳しく説明できなくて申し訳ない。とても短時間の会合だった。彼らの自慢の一つは、全従業員がすべての部門で働けることで、必要であれば互いにカバーし合う。所長いわく、「運転手だって現場に行けるんだ!」とのこと。
団体は2014年から2016年までGrowing Hope Globallyという組織から資金援助を受けており、アジア学院を紹介したのも彼らだった。現在は長老派の開発機関の援助を受けている。
羽根の生えた代理母
スタッフと養鶏について話す中で得た興味深い学びの一つに、卵を集めることができるということがある(もちろん話はこれだけじゃない!)。孵化させたい有精卵があれば、別の抱卵中の鶏たちに預ければ良いのだ。ここでは、地元品種の鶏たちの下に卵を置くのだが、彼女たちは赤ちゃんを無事に孵化するまでに必要な母性愛を、喜んで与えてくれる。農家なら誰でも知っていることだし、私も一度や二度は聞いたことがあったはずだが、改めて知ることができて良かった。
チェプトゥラ女性グループの集まり
次に我々は、彼らが働く300の村の一つに向かった。現地の素晴らしい習慣に従い、我々は歌と踊りの挨拶を受けた!こんな歓待を受けて、喜ばない人はまずいないだろう。チェプトゥラ村の女性グループのメンバー、10名によるもので、男性も数名含まれていた。
木陰の席に着き、数えたら10名以上いることに気付いたが、細かいことは聞かず、彼女たちの活動について教えてもらうことにした。トウェラが教えた、「贈り物の譲渡」ヤギプロジェクトもその一つだ。2頭のヤギが与えられ、最初に生まれた子ヤギは隣人に譲らなければならないが、その後生まれた子ヤギは自分の家で飼っても良いことになっている。各世帯が20頭のヤギを飼うことを目標としているが、今、村全体でヤギの頭数が減っている。食料を買うためにヤギを売っているからだ。本来であれば、自分たちの畑で日々の生活をまかなえるはずなのだが、干ばつがそれを許さないという。トウェラが所有するトウモロコシ畑は灌漑されているので、豊作を得ることができる。マラウイには、国土の大部分を流れるマラウイ湖のような良質な水源はたくさんあるが、灌漑されている農場はほとんどない。これはつねに話題に上ることだが、もし政府が灌漑支援をしていれば、この国は世界最貧国の一つにはならず、雨が降らないたびに(あるいは2023年のサイクロン・フレディ襲来の時のように、雨が降りすぎるたびに!)食料の確保に苦労する国にはならなかっただろう。
人々は村の貯蓄貸付(VSL)グループも有しており、金利は20%で、2ヵ月以内に返済しなければならない。 毎年、年の終わりに積み立てた利子を集計し、メンバー間で分配する。私が出会ってきた他のVSLとはかなり違うので、詳細は間違っているかもしれないが、VSLの良いところは、グループのメンバーたちが自分たちのニーズに合わせて独自の規約や細則を作れるところにある。
ニャウとの踊り
私たちが話していると、何人かの子供たちが通り過ぎ、さらに多くの子供たち、そして太鼓や椅子などを担いだ人たちが集まってきた。それは村の集まりの準備であり、我々のために用意されたものだった。彼らは輪になって、太鼓を叩いて踊り始め、我々もそこに加わるように招いてくれた。ビデオを撮る絶好の機会だったので、いくつか撮っていると、彼らが私に、ある方向を見るように指差した。すると、建物の陰からニャウと呼ばれる、精巧な衣装をまとった2人の仮面をかぶった踊り手が出てきた。チェワ族伝統のグレ・ワムクルと呼ばれる踊りらしい。我々観光客だけでなく、村人にも大好評で、本当に衝撃的なアフリカ体験だった。
チャプウェテカ村の “監査”
あっという間に踊り手たちの姿は消え、村人たちも散っていった。
次に我々はチャプウェテカ村から来た別の村の貯蓄貸付(VSL)グループに会った。
会合は、まるで我々が監査役であるかのように、会計係が帳簿を開いて会計を読み上げるところから始まった。そのような透明性と信頼は、彼らが育みたかったもの、あるいはグループ内で育むように教えられてきたものなのだろう。
それは次のようなものだった。
2020年、16名のメンバーでグループを結成した。
12月の決算は以下の通り:
株式 – 500,000
緊急資金 – 320,000
利子 – 180,000
その他の何か(聞き取れなかった) – 40,000
合計 – 1,020,000(うーん、20,000足りないようだ。私が何か聞き逃したのかもしれない。 本当の監査役じゃなくてよかった!)
この時点で、資金はメンバー間で分配された。
2021年1月、我々は銀行を再開した。
2021年12月、我々は以下の口座を閉鎖した:
株式総額 – 320,000
緊急資金 – 150,000
利子 – 150,000
その他の何か – 120,000
合計 – 630,000
うーん、また腑に落ちない。もしかしたら、私が理解できなかった“その他の何か”が関係しているのかもしれない。しかし、怪しいビジネスが行われていたとは考えない方が良い。メンバー全員がこれらの口座の詳細を知り尽くしており、それこそがVSLの力なのだ。自分たちで管理して利益を得る。彼らは現在に至るまで会計報告を続け、サイクロンの年は貯蓄よりも家の修理にお金が回ったため、全体的に金額が減少したと説明した。
食べ物を分かち合う…
会合が終わると、皆で道端の店まで歩いて行った。そこには我々のために、郷土料理が用意されていた。ウシパと呼ばれる小さな干物(イワシのようなもの)、タカキビから作られたシマ(タカキビはトウモロコシよりも干ばつに強いので、これは良いアイデアだ)、トウモロコシのシマ、サツマイモの葉、スイート・ビールと呼ばれる発酵飲料のようなもの、そして2種類のケーキがあった。トウモロコシ、小麦粉、大豆、砂糖で作られたケーキと、バナナ入りのケーキだ。バナナが大好きな私は、バナナケーキを食べた。それはとても美味しかった。残念なことに、作り方や、粘土や土の窯で焼いたのかなどについて聞くのを忘れてしまった。すべての料理を試してみるよう、人々に勧められたので、私たちは喜んでそれを食べ、さまざまな味と食感を楽しんだ。混乱を避けるために言っておくが、シマはザンビアのシマと同じものである。発音が違うだけだ。村人が作った料理を、村人と一緒に食べられる貴重な機会を、私はとても有難いと感じる。味や香りなど、五感を使って彼らの文化を体験することができるし、アジア学院で高見先生がよく話していた“食べ物を分かち合うことはいのちを分かち合うことだ”という言葉を現実のものにしてくれる。
WOG の奉仕活動
その夜の宿泊先として、ジョンの弟のジェフリーが快く自宅を提供してくれた。ジョンは2013年のアジア学院の卒業生で、現在は彼が立ち上げたウィル・オブ・ゴッド・ミニストリーズ(WOG)という組織で兄とともに働いている。ジェフリーは私たちをもてなし、アジア学院とのつながりを持つことをとても楽しみにしてくれていた。ウィル・オブ・ゴッド・ミニストリーズ・インターナショナルは信仰に基づくNGOで、彼らのアプローチは「学び、実行し、教える」ことだ。聖書に出てくる人物、エズラに倣って、彼らは聖典を学び、それを理解し、適用し、そして外に出て、教え、伝道する。ご想像の通り、彼らは伝道に重きを置いているが、最近では社会経済開発の要素にも取り組み始めており、それでアジア学院(と彼の弟ジョン)の出番というわけだ。ジェフリーの職業は電気技師であり、彼の妻は南アフリカで健康増進の修士号と看護学の博士号を取得し、看護大学の校長をしている。1933年生まれの父親も同居している。彼が生まれてから31年間、この国はまだニャサランドと呼ばれるイギリスの植民地だった。91年の間に彼が見てきたものすべてについて、彼に尋ねることができればよかったのだが…。
家に着くと、リビングルームに通され、お菓子と会話で親切に迎えてもらったが、家具は屋外用のプラスチックの椅子だけだった。私は、それぞれの家庭に個性があるから、あまり気に留めていなかった。ところが1時間ほどしてトラックがやってきて、ソファや座り心地の良い椅子がいくつも運び込まれ、たちまち雰囲気が一変した。そしてトラックが去ったと思ったら、今度は私たちが寝るためのベッドを積んで戻ってきた。ジェフリーはすぐに、これらはすべて私たちが来る前に到着するはずだったと説明した。私は、この文化では、居間に快適なソファセットがあることが、繁栄と、もてなしの証であることを思い出した。
無駄にしている時間はない
ジョンは、そのゆっくりとした几帳面な話し方で、アジア学院での経験やその後のことを話してくれた。彼はその年の研修プログラムに参加した3人のマラウイ人のうちの1人だった。彼に最も深い印象を与えたのは、サーバント・リーダーシップ、有機農業、そして勤勉な日本の文化だった。「マラウイで、私たちは時間を無駄にしています。しかし、日本では、時間に無駄がありません!」
「広島や東京タワーのような、人生の中で訪ねることができるとは思ってもみなかった場所を訪れました。」とジョンは続けた。「学びのためにアジア学院に行きましたが、学院では、謙虚であること、自立することを学びました。他の国から来た人たちと一緒に生きる方法を学びました――共に生きるために、を。でも、主な学びは有機農業でした。」
帰国後、彼は父親の土地で有機農法を実践し始めた。化学肥料やハイブリッド種子を使用していたため、完全な有機農業ではなかったが、鶏糞、灰、トウモロコシのふすまから作るぼかし肥を導入した。また、「アジア学院でジルやアンクル・ティモから学んだように」、豚や鶏も飼育した。
当時、彼はまだ衛生管理プロジェクト(HVP)という送り出し団体に所属していた。この団体は、我々がエネトのところで見たようなエコサン・トイレの設置を支援している。このトイレから、畑の肥やしを得ることができる。残念ながら彼の契約は2019年に終了し、資金不足のため更新されなかった。安定した収入を得られず、彼は本当に苦労したが、それでも時々、HVPのボランティアをしていた。2021年からはWOGが彼をプログラム担当官として雇い、畑の世話を任せている。彼らは20ヘクタールもの土地を含む、多くの敷地を有しており、この土地を組織の収入とトレーニングを行うために開発したいと考え、ジョンとアジア学院の助けを必要としているという。
ジョンは、将来の計画はもっと進歩することだと言い、私との会話を締めくくった。
文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)
シリーズ記事はこちら
Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】<== 今ここ!
Vol.16 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】To Be Continued …










太鼓をたたく音が聞こえるだろうか?

かなり恐ろしい顔をしている

村の貯蓄貸付(VSL)グループ



