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「食べものからの平和」卒業生の食卓から ②

2袋の食べもの

新鮮な野菜がぎっしり詰まった大きな袋が一つ。もう一つの袋には小麦粉、穀物、塩、砂糖、スパイスが詰まっている。ずっしりとしたその量があれば、1、2週間は充分もつだろう。毎月、35家族がSEEDSインディアの施設に集まり、この食料の寄付を受け取るだけでなく、互いに挨拶を交わし、お茶やお菓子を片手に歓談する。子どもたちが笑ったり、遊んだりしていて、とても賑やかな雰囲気だ。

SEEDSインディアはアジア学院の卒業生、トーマス・マシューが立ち上げた地元のNGOだ。困難な状況に置かれている人々を支援するために、多くのプログラムを行っている。とは言え、SEEDSの最も素晴らしいところは、その支援だけでなく、人々を高める方法にある。
トーマス・マシューは誰に対しても最大限の敬意を払うことで、言葉にせずとも、「あなたは貧しいかもしれない、病気かもしれない、耳が聞こえないかもしれない、でもあなたは重要な存在であり、必要とされているんだ。」と伝えている。

毎月、第2土曜日は祝日だから、人々が集まるには良い機会だ。しかし、その家族とは誰なのか?一体どこから来たのだろうか?
彼らは教育支援を受けている、子どもたちの家族で、全部で35人いる。つねに35人だ。子どもが18歳になると卒業し、また別の子どもがグループに加わる。このプログラムはかれこれ、25年間続いているという。

SEEDSは、子どもたちに学費を支払って終わり、とはしない。彼らは、家族の全員と長期的な関係を築き、本や制服、さらには少年少女が家で勉強するための机まで提供する。必要であれば、家族の住居やトイレのことも手助けする。また、病気や事故などの問題が発生すれば、SEEDSが一貫して支援する。卒業後も、SEEDSは人々がちゃんとやっていけているかどうか、見守り続ける。それは一回きりの支援ではなく、包括的なかかわりを通じた、長期的で愛情に満ちたケアなのだ。

トーマス・マシューはすべての家族、そしてその家族を構成するすべての人を熟知している。彼はその名前と一人一人の近況を、あなたに話してくれるだろう。
たとえば、ある男性には障がいのある息子がいて、父親は彼を、なるべくこの会合に連れてくるようにしている。また、SEEDSの孤児院で育った女性もいる。彼女は結婚して3人の子供がいるが、夫が出て行ったため、今は苦労が絶えない。トーマス・マシューはこれらの人々のためにしているすべてのことを通じて、大いに尊敬されているが、本人は賞賛を望まない。感謝を表したいのなら、他の人たちにも同じことをしてあげるのが一番だと彼は言う。「私より上手くやってくれ!」

これらの家族のほとんどは、トーマス・マシューが言うところの「良い地位」に上り詰める。人々は自立し、独立する。皆、社会の最下層に位置するダリット(不可触民)の出身で、多大な差別に直面しているが、このような環境では、そのことを意識することはない。全員が尊厳をもって扱われ、受け入れられている。

この日の集まりが終わると、家族たちは一つずつ袋を受け取った。二人がかりで運ぶ様子も珍しくなかった。袋は重かったが、これから数日間、何を食べなければならないかという心配の重荷からは解消された。
皆、大通りまで談笑を続け、ある者は徒歩で、ある者はミニキャブに分乗して帰宅した。その後、トーマス・マシューは個人的に、来ることのできなかった盲目の女性に、食料の山を一つ届けた。

薄明かりの中で繰り広げられるこの光景を目にすれば、食べものによって生み出される平和を見出すのは、さほど難しくないだろう。


文、写真・スティーブン・カッティング(アジア学院 卒業生アウトリーチ・コーディネーター)


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【「食べものからの平和」卒業生の食卓から ① — 序章】

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