西日本スタディーツアーは続きます!
7日目、私たちはフェリーでのワクワクする旅を終え、早朝に門司に到着しました。その後、水俣に向かい、長年ARIと交流のあるプログラム主催者と出会いました。
水俣プログラムは、水俣病患者の資料を多く所蔵する民間の水俣病資料館の訪問から始まりました(政府が運営する公的な資料館とは異なります)。この資料館では、水俣病がなぜ発生し、どのように悪化し、地域社会にどのような影響を与えたのかについて、学生が学ぶことができました。
資料館の訪問後、私たちはいくつかの重要な場所を巡りました。最初に訪れたのは、チッソ社が廃棄物を最初に排出した百間排水溝です。その後、現在は日本ニューチッソ(JNC)と呼ばれているチッソ工場を訪れました。また、水俣病の最初の公式認定患者が住んでいた海辺の地域や、先天性水俣病患者の家も訪れました。彼女の物語は、声を上げることのできない水俣病患者全体を代表しています。さらに、現在エコパークとして整備されている埋め立て地では、水俣事件で命を落とした魂に祈りを捧げました。これらの訪問を通じて、当時の人々の苦しみと葛藤、そして現在も複雑な社会関係がこの問題を困難にしていることを実感しました。
夜には、ホストファミリーと対面しました。新鮮な卵やARIからのお菓子を受け取ったホストファミリーはとても喜んでいました。学生たち皆がホストファミリーとの時間を楽しめたことを願っています。
8日目には、水俣プログラムを続け、みかんの有機栽培農家で活動する方を訪問しました。彼は、みかんの栽培方法や品種について説明し、ヘアリーベッチなどの生きたマルチを利用して生態系を支えていることを強調しました。この方法は、共生関係を深く理解した農業の実践を示しています。
次に、元市議会議員が「もやい直し」について話をしてくださいました。これは、分断された地域社会を一つにまとめ、未来を考えるための取り組みです。この活動は1990年代に始まり、水俣市のイメージを環境汚染の町から、環境保護と意識向上の町へと変える上で中心的な役割を果たしました。
昼食を公園で取った後、「希望未来みなまた」を訪問し、3名の先天性水俣病患者の方々の話を聞きました。彼らの強い意志と生きる力は、参加者に深い感銘を与えました。彼らは「ホットハウス」の歴史や、「働く」というシンプルな願いを叶えるための取り組みについて話しました。この団体は、水俣病の影響を受け続けている人々にとって、共に働き、声を上げる場所となることを目指しています。また、紙のエコバッグを作るワークショップも開催しており、プラスチック使用削減の重要性を意識させてくれました。この活動は、県内の小学校でも行われています。
その後、主催者から、からたちの活動と、彼女が父親の仕事を継続する理由について話を伺いました。彼女の父親は若い頃に水俣に移り住み、患者を支援する活動を始めました。現在、彼女は水俣のストーリーを若い世代を含む多くの人々に広めるため、地域コミュニティと密接に協力しています。
1日の終わりには、水俣のコミュニティやホストファミリーとのフェローシップ送別会が開催されました。会場はアフリカをテーマにした装飾が施され、音楽、ダンス、美味しい食事で賑わいました。アジア学院職員のファイヤーダンスは好評で、新たなファンを獲得しました。学生は冒頭と閉会の挨拶を担当し、心のこもったメッセージを共有しました。皆で温かく楽しい時間を過ごすことができ、忘れられない夜となりました。