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農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 3

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。

4日目は、またまた長い旅の一日でした。
そして、やっとその日の目的地に到着!そこで待っていたのは…?
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

ルサカ行きのバスに乗り込む
ルサカ行きのUBZバスの出発時刻は午前7時だった。
「このバスは定刻に出発する!」と何度も警告されたので、私たちはちゃんと午前7時前に到着していた。
通常のアフリカのバスの出発時間は…“バスが満員になった時”で、燃料節約の観点からすると、そのほうがずっと効率的なのだ。

バスに積み込まれるものを見るのは楽しかった。
たくさんのスーツケースの間には、チョコレートの箱、謎の金属ケース、そしてトラックのエンジン。それともこのバスのスペアなのだろうか?多分違うだろう。外も中もピカピカに磨き上げられた最新車両だったからだ。

相席のマイク・チョンウェ
カイとジォフリーが一緒に座り、私は、マイク・チョンウェという、元政府職員の方と隣同士になった。ワシントンDCのザンビア大使館で長年外交官として働き、40カ国以上を旅してきたという。6人の子供のうち5人はアメリカに住んでいるが、末っ子はザンビアのこの辺りにいるという。

引退後、彼は2つのNGOを立ち上げた。一つは、ザンビアで深刻な問題となっている、前立腺ガンの周知と予防を進めるためのものだ。前立腺ガンの死亡率は60%を超えており、彼は政府に対し、より良い治療施設を建設するよう提唱している。現状の設備は全く不十分で、本当に回復を望む人はインドまで行く必要があるという。「ザンビアで病気になるのはリスクが高い。」というのは、彼が実際に口にした言葉だった。来年にはキトウェに一つ、さらにその翌年にはリビングストンにもう一つの施設が完成する予定だと言うから活動は順調なようだ。

彼のもう一つのNGOは社会的弱者の子どもたちのためのもので、56人の子供たちの就学を支援しており、その数を100人に増やしたいと考えている。将来の活動としては、虐待を受けた家庭環境から来た子供たちが、学校に通いながら生活できる「移行施設」の建設を目指している。マイクは、貧困やアルコール中毒によるひどい虐待やネグレクトを目の当たりにしてきたという。さらに大きな夢は、学校も建てることだ。彼はアトランタにある息子の教会と協力して資金を集めている。

これらの活動に留まらず、彼は農場もいくつか所有し、地元の品種の鶏、牛、大豆、キャッサバ、落花生、サツマイモ、エンドウ豆などを育てている。もちろんトウモロコシも。

ご想像のとおり、私は彼にアジア学院のことをすべて話した。彼は有機農業を行っている点に興味を示し、最近、私達が口にする食品に含まれている添加物や化学物質が、いかにガンの原因になっているかを説明した。

私たちがルサカに入るとき、彼は自分のゴルフコースを指差し、雨不足で干上がっていると言った。
…バスで偶然出会った知らない人について、ちょっと語りすぎたかもしれない。
でも、これが旅というものだろう?

ザンビアについてのあれこれ
途中、長めの休憩を取った時に、ジォフリーがシャワルマという食べ物について教えてくれた。
肉やチップス、ピクルス、その他もろもろが、全て一つに包まれており、手に持って簡単に食べられるので、旅にはもってこいだ。あちこちにこぼしたって大丈夫。ナプキンももらったから!
後で調べたところ、これは中近東の食べ物で、アラブ人によって伝えられたようだ。移民を嫌う人もいるかもしれない。でも、私たちは皆、彼らの料理が大好きだ!

高速道路は1902年に建設された鉄道路線に沿って走行している。どうやら1911年製の貨車の一部はまだ現役のようだ!
ずっと茶色く乾燥した景色が続いていたが、雨季の最初の雨が降れば、たちまち緑色に変わるだろう。ルサカの近くでは、2万ヘクタールのサトウキビ農園を通り過ぎた。
アフリカのほぼすべての国と同じように、中国人がいたるところで高速道路を建設している。ザンビアでひとつ違うのは、政府が中国企業に現地の労働者を使うことを義務づけていることだ。通常、中国企業はエンジニアも設備も、労働者すらも(!)すべて自国で調達する。

混沌から天国へ
長い8時間の後、私たちはついにルサカのバスターミナルという狂乱の場所へと転がり込んだ。ドアが開くや否や、男たちがカギを片手に、バスの中に向かって「タクシー」と叫び始めた。恐らく、個人で所有する車なのだろう。
荷物は狭い場所に降ろされ、受け取るスペースはほとんどなかったが、私たちはなんとか荷物を取り、酸素の多い場所に抜け出した。それからジォフリーがアプリを使ってタクシーを呼んだので、超情熱的な「カギ男」たちの努力は全て無に帰した。

ドライバーは駅を出る途中、水を買うために一旦停車した。目の前で喧嘩している人たちがいたが、お構いなしだった。
次なる目的地は、ジォフリーの教会だ!

教会は、ジォフリーが車を置いてきた場所であり、チョンウェまではここから車で一時間半移動する必要があった。少女たちが輪になって歌の練習をしているのを見るのは、むき出しの人間味にあふれたどん底のバス停から天に昇っていくようで、なんと甘美なことだろう。ジォフリーはルサカのこの辺りで育ち、彼の娘がここに住んでいるので、挨拶に寄ったのだ。彼女の名前はジュディと言い、祖母と同じ名前だ。
ヤギ肉のバーベキューを軽食で頂いた後、この日の最終目的地であるチョンウェに向かった。

そしてついに、エキュメニカル開発基金(EDF)のジョン・ニョンド(1983年アジア学院卒)とジュディ・ニョンド・ダカ(2001年アジア学院卒)に会うことができた。
ジョンはアジア学院に来た最初のザンビア人で、ジュディは彼の妻である。二人はこの地域の村人のニーズに応えるためにEDFを立ち上げた。彼らの息子であるジォフェリーは昨年アジア学院に行き、両親の仕事を引き継いでいる。ベルビン(2016年アジア学院卒)も来て、私たちを歓迎してくれた。

ニョンドの家屋敷
その晩、私たちはジュディの孫娘、ルルことルヤンダが手際よく作ってくれた村産のチキンのトマトソースがけを夕食にいただいた。ちなみにルルは16歳で、大学2年生だ。

話したいことはたくさんあったが、長旅の後で頭がボーッとしていた。しかし、最も差し迫った話題のひとつは干ばつだった。この地域は特に影響を受け、飢餓が起きているが、政府は赤ん坊のいる母親に対してしか救済措置を取っていない。さらに、9月までに地下水も枯渇するとの予測がされており、人々は10月に雨が降ってくれることを祈っている!

ジォフリーのおかげで蚊帳が吊られ、私たちはようやくこの長い旅に終止符を打つことができたのだった。


文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

シリーズ記事はこちら

Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】<== 今ここ!

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】


日本人卒業生ってどんな人? その④

秋も深まり、アジア学院では来年度の日本人学生の募集が本格的にスタートしました。

来る11月30日(土)には入学希望者を対象とした、体験入学イベントを開催します (詳細については記事の末尾に掲載)。

前回に引き続き、今回も、卒業生の“今”をお伝え致します。

【小松原 啓加さん 2020年度 卒業生】

Q1:何故、アジア学院の学生になったのか?

農業の実践的な知識・技術を身につけたかったのと、国際開発に興味があったからです。

入学前に何回か滞在してみて、アジア学院の雰囲気が自分に合っていたのも後押しになりました。

Q2:一番の学びは?

世界中から集まった仲間たちが、自分とは全く違う人生を生きてきていたこと。

数え上げればきりがないほど沢山の違いばかりだったけど、どんなに違っても、私たちは「同じ人間」だということ。

当たり前かもしれませんが、共に生活する中で、一番肌で実感した学びでした。

Q3:現在のライフワークや暮らしについて

アジア学院を卒業後、栃木県の塩谷町で地域おこし協力隊になり、まちの人について発信するインタビューライターとして活動しています。

インスタをやっていますので、フォローよろしくお願いします!

地域おこし協力隊の個人アカウント: @hiroka_408

Q4:学生になることを考えている人へのメッセージ

私たちが今後生きる未来は、どうなるのか全く予想がつきません。

明日、大地震が来るかもしれないし、来月、宝くじが当たるかもしれないし、1年後に病にかかるかもしれない。

そのように、もし自分の人生が大きく変わる出来事が起こったとしても、変わらない自分の核のようなものを互いに育てていくのが「アジア学院」というところだと、個人的には感じています。

少なくとも私は、しなやかな核を持った人たちと学び多く豊かな日々を過ごすことができました。

とりあえず気になったら一度訪れてみてくださいね!応援しています!

☆「国際交流 × 農業 × コミュニティ開発」を体感しながら学べるアジア学院に入学しませんか?

アジア学院の日本人学生がどんな学びが得られるのか、どんな日常を送るのか、知ってもらうための体験入学イベントを開催します!

入学希望の方は是非お越しください!

日時:11月30日(土)10:30-14:00

参加費:2000円(お支払いは当日アジア学院にて現金精算になります。)

申込方法

申込フォーム https://ari.ac.jp/entry-form-open-campus2024?ari=news

もしくは[email protected]までご連絡下さい。

どうかこの機会をお見逃しなく!

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 2

今年の8月、アジア学院の職員が、アフリカのザンビア、マラウイを旅して、計23名の卒業生を訪ねました。
そこで、スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。

3日目は、ザンビアの観光をたっぷりと…いえいえ、決して遊びに来たわけではないですよ…!
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

ちょっとしたリビングストン観光
今朝は時差ぼけで午前3時に起こされそうになったが、何とか5時まで寝ることに成功した。
それから素晴らしい朝食を待つこと、たったの2時間。時差ぼけは腹時計も狂わせるので、カイと私はお腹がペコペコだった!

この日は観光三昧の一日となった。我々がただ楽しんでいるだけで、冒頭で述べた”卒業生に会う”という使命を真剣に遂行していないと思うかもしれない。しかし、最初に休息日を設けるのは最善の選択だった。
この後のスケジュールはぎっしり詰まっている。そのため、この”ソフト・ランディング”は、長旅の疲れを癒し、アフリカの生活、特に現地時間に適応するチャンスとなる。同時に、観光はザンビアの経済の大部分を占めており、国民は世界的に有名なビクトリアの滝、広大なサファリパーク、国中の素晴らしい自然を誇りに思っている。ザンビアの友人いわく、これらの場所は必見だそうで、もし私たちがこれらをスキップしたら、彼らは許してくれるだろうか…?
さらに、私たちはジォフリーと丸一日過ごすことができ、彼はリビングストンとザンビアについて知っておくべきことや興味深い話をたくさん教えてくれた。

今朝の目標は”ビッグ5”と呼ばれる野生動物を見ることだった。サイ、カバ、ゾウ、ライオン、バッファロー、ハイエナ、チーター、そしてたぶんトラ。具体的にどの動物が “ビッグ5”なのかと尋ねると、このような答えが返ってきた。どうやら諸説あるようだ。
何にせよ、いくつか見られたら素晴らしいと思ったが、サファリに行ってみると…驚くほど高額だった!最大の売りは、その”仰天”するような値段で、ライオンやトラと一緒に歩けることだ。カイと私はあまり興味がなかったので、代わりにジップライン体験をすることにした。こっちの方が私好みだ。

私たちは車で、乾いた渓谷(私が期待していたザンベジ川ではない)に行った。そこには複数のアクティビティが用意されており、崖の横から飛び降りて渓谷の上をスイングする「渓谷ブランコ」などがあったが、私には…少々ハードルが高すぎた。ジップラインを体験するというだけでも緊張していた。
驚いたことに、ジォフリーはすぐに飛び込んで、従業員の男の子と一緒に最初のジップラインに乗った。そしてカイがストラップを締め、飛び出した後を…私も追いかけた!
最初の一歩は胃がキリキリしたが、その後はアドレナリン全開の楽しさだった。
彼らは2回目も私たちを無料で乗せてくれた。”ムササビ”の体勢で、後ろからフックをかけられ、スーパーマンのように飛ぶことができるのだ。運転手のメビンも一緒になって楽しんだ。彼はリビングストン出身だが、ジップライン体験はこれが初めてで、顔を輝かせて喜んだ。

ザンビアのあれこれ
町に戻る途中、遠くの方を象が歩き回っているのが見えた。世の中の、大半の人が住む地域ではまず見られない光景だろう。
ゾウが町を歩き回り、シマウマが道端で草を食み、カイと同じくらいの背丈のヒヒが両手を広げてカイのすぐそばまで歩いてきて、ミニッツメイドのマンゴージュースをひったくろうとしている。野生動物に興奮しつつも、少しビビっている我々を眺めていたジォフリーを見て、私は、日本で一番衝撃的だった、あるいは驚いた体験は何かと尋ねた。彼の答えは地下鉄で、全てが複雑で完璧なリズムでつながり、流れていて、全ての電車が分刻みで時刻通りに走っているのを目の当たりにしたことだった。

さらに、道すがら得た知識をいくつかランダムに。
ムクニという地域の首長はザンビアで最も裕福だ。彼はリビングストンにたくさんの高級ホテルや観光名所、広い土地など色々持っているようだ。というのも、街角には彼の巨大な看板があり、所有するコロナウイルスワクチンの予防接種を勧めていたからだ。
巨大な箱を荷台に載せた自転車の少年たちともすれ違った。どうやらジンバブエから帰ってくる途中のようだった。彼らは国境を越えて野菜を運び、アメリカドルで売って収入を得て、パスタのような乾物を安く買って持ち帰るのだ。ちなみに、ジンバブエの経済はハイパーインフレに見舞われて崩壊した。アメリカドルが使われているのは、そのような理由からだ。

最後に、車はガソリンスタンドに到着した。メビンが一度に100クワチャ(4ドル)のガソリンしか入れないので、我々は数えきれないほどガソリンスタンドに立ち寄った。なぜ彼がそんなことをしたのか、誰も分からなかった。店員のほとんどが若い女の子だから…?かもしれない。

ホロホロ鳥とチテンゲ
昼食、カイはホロホロ鳥を選んだ。柔らかくてジューシーだった。私はTボーンステーキを選んだが、硬くてパサパサだった。教訓…カイと同じものを選ぶのが吉!

さあ、次は買い物だ。まずはスパーという大きなスーパーマーケットへ。ジォフリーは以前、ここに商品を卸す会社に勤めており、彼のおすすめのグアバジュースはとても美味しかった!
それから、厚手の服を買うために服屋に向かった。ザンビアは南半球にあるため、季節が正反対であることを忘れていたのだ。日本が夏ならザンビアは冬である。アフリカなので、極端に寒くなることはないが、早朝はかなり肌寒い。日本のうだるような夏から解放されるのは喜ばしいが、前もって地理を勉強しておくべきだった。
天気の話題と言えば、ここでは誰もが10月か11月に来る雨期を待ち望んでいる。昨年春の干ばつは壊滅的で、いくつかの地域に飢餓を招いた。問題は、雨が降るかどうかは誰にも予測ができないと言うことだ。これは非常に神経を使う、生死に関わる問題だ。

最後に、カイの母親にサンドレス、キャシー(アジア学院の職員)に、女性の伝統的な巻き布、チテンゲを買うために、土産物屋に立ち寄った。
カイは地元のかわいいチテンゲを夢中で探している。販売員たちは自己主張が強かったが、攻撃的ではなかった。それでも、あまり買い物を楽しめない。
何か一つのものに一瞬でも目をやると、即座に誰かが押しかけてくる。「あの頭にカゴを載せた背の高い人たちの絵は何だと思う?」「それ気に入った?」「お名前は?」「どこから来たの?」「近づいてよく見てみて」「いくらなら買うかい?」等々。恐らく、この”ゲーム”を学ばないといけないのだろう。地元の人たちにとってはごく普通のことなのだ。
この日一番の収穫は、販売員の一人が描いた、ガモーラ(マーベル・コミックの世界)をイメージした緑色の肌を持つ女性の絵だった。

最後の最後に、明日のチケットを買うためにバスターミナルに立ち寄り、しばしの休憩と記録のためにホテルへと戻った。
夕食は、勧められるままに、ジォフリーとZestレストランという店に行き、そこで、驚愕のメニューを目にした。
私たちは狩猟肉を試すべく、インパラとワニを選び、ジォフリーはモパネワームという毛虫 (カリカリして美味しい)を使ったザンビア料理「ヴィンクバラ」を注文した。残念ながらクーズー(カモシカの一種で大きな角を持つ)の肉はなかった。普段、動物園で目にする動物を食べるのはどうかと思ったが、正直言って美味しかった!


文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

シリーズ記事はこちら

Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】<== 今ここ!

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

“今日の校長”希望と謝罪の証: 和解に尽力する恵子ホームズさんの歩み.

“今日の校長”
旧日本軍により英兵捕虜となった人たちやその家族と日本人の和解に尽力してきた英国在住の恵子ホームズさんをお迎えして、彼女の30年に亘る和解の旅路についての話を聞きました。恵子さんの来校は今年が3回目ですが、戦争によって固く閉ざされた多くの人の心が、神様と共に歩む恵子さんの歩み寄りによって癒され、憎悪や憎しみから解き放たれて、人生が大きく変わっていくという証(あかし)は、何度聞いても、奇跡は起こるという希望を私たちに示してくれます。
恵子さんの活動は英兵捕虜に関係する人々だけに留まらず、インド、シンガポール、インドネシア、フィリピンなど、旧日本軍の侵攻や支配によって影響を受けたアジアの多地域に及んでいます。アジア学院にはそういった地域からの学生が多いので、恵子さんの話の最後にはいつも、そのアジア地域の人々に対する心からの「謝罪」の時が持たれます。今年も私を含む日本人のメンバーが心からの謝罪の気持を示すことができたことに感謝をしています。恵子さんは、毎年秋に3ヶ月ほど日本で証をするツアーを行っています。関心のある方は次の連絡先にお問い合わせください。アガペワールド日本事務局 
藤田宏二郎(フジタ コウジロウ)[email protected] TEL: 080-5016-4687

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 1

今年の8月、アジア学院の職員が、アフリカのザンビア、マラウイを旅して、計23名の卒業生を訪ねました。
そこで、スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。

いよいよ今回から本編に突入です。ザンビアに着くまでの長い長い道のりを、二人と一緒に辿ってみましょう。
それでは早速、アフリカの旅に出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】

ザンビアへの道のり
この最初の旅行記では2日間のことをまとめて記そうと思う。というのも、この2日間が長い1日のように思えたからだ。
4回のフライトで複数のタイムゾーンを横断し、時間と空間はまるで分厚い毛布のようにぎゅっと圧縮された感じだった。

私は羽田空港で、心強い旅のパートナー、カイと合流し、アジア学院のみんなからアフリカの卒業生へと託された、様々なお土産の重量を確認した。
コロナ禍に空っぽだった空港とはうって変わり、セキュリティと入国審査には長蛇の列ができていた。
実は私の、大分からの最初のフライトが遅れていたため、私たちがゲートに到着した時には、すでに人々は搭乗を始めていた。

我々は、まず香港を経由し、トランジットに十分な時間があったので、カイの友人に勧められた素晴らしい牛肉の麺料理を堪能した。
食べてみたいと思った人のために記しておくが、「Masatoレストラン」のメニュー701番だ。

それから次の飛行機に飛び乗り、ヨハネスブルグまで12時間のフライト(ちなみに、その前のフライトは3時間半だった)。同じ列に座ったのは中国から来た若い女性だった。広州の南方大学で英語と異文化コミュニケーションを教えているという。
カイは彼女にアジア学院のことを話し始めた。彼女は非常に興味を持ってくれて、ボランティアとして参加したいとまで言ってくれた!

幸運なことに、ヨハネスブルグでの地域航空会社エアリンクへの乗り換えはスムーズで、お腹を空かせた二人の旅人は、ブライという地元の肉料理に、クロック・マダムというフランス生まれのお洒落なトーストを添えた豪勢なランチにありつくことができた。

乾燥したボツワナを1時間半かけて横断した後、私たちはついに目的地であるザンビア・リビングストンに到着し、満面の笑みを浮かべた2023年の卒業生ジォフリーの出迎えを受けた。
広々として清潔なこの町は、ザンビアの人々にとって魅力的な観光地で、大金が動く町として珍重されている。最大の魅力は、轟音を響かせるビクトリアの滝で、偉大なるザンベジ川が断崖絶壁を越えて流れ落ちる1,500mにわたる急流のカーテンだ…というのが私の期待だったが、これについてはまた後ほど。

リビングストンとビクトリアの滝
私たちはまず、傾斜のある藁葺き屋根を持ち、アフリカン・アートで彩られたンゴマ・ザンガ・ロッジに到着した。
それから、マラリアの薬やSIMカードなどの必需品を買いに出かけた。良くあることだが、私の携帯電話ではそのSIMカードが使用できなかった。しかし、これもデジタルデトックスの良い機会だと受け取った。

ジォフリーがドライバーを手配してくれた。彼の名前はメビンと言い、トンガ語とロジ語の2つの現地語を話す。ザンビアには72の部族があり、それぞれが独自の言語と伝統を持っているので、2,3言語しか話せない人を見つける方が難しい。
メビンは、この町がいかに観光業に依存しているか、そして観光客がいかに地元の人々よりも優遇されているかについて話してくれた。例えば、プロのドライバーの立場で、もし誤って白人を轢いてしまったら、最高で25年の刑に処される。相手が黒人なら罰則は10年で、交渉も可能である!
ザンビアについてもう少し述べておく。ほとんどのゴミは、住民がそれぞれの家の近くで燃やすか埋める。市は市場のゴミは回収するが、その能力は街全体のゴミの量をカバーするには十分ではない。カイがこのことを訪ねたのは、責任あるゴミ管理は世界的にも大きな課題だからだ。
ザンビアは今年、深刻な干ばつに見舞われ、これまでに一種類の穀物が全滅し、いくつかの地域で飢餓が発生している。ザンビアの主な電力源は水力発電だが、最近の河川の水位はタービンを動かすのに十分ではなく、ロードシェディングと呼ばれる、電力会社が電力供給を一時的に遮断することによる停電が発生している。
この干ばつは、一般的にエルニーニョ現象の影響だと言われているが、そのせいで壮大なビクトリアの滝も大人しい。そのとどろきが遠くまで聞こえることはなく、レインコートが必要なほど濃い霧もないので、当分の間は立って眺めていられる。有名な水の「カーテン」は狭い滝に幾筋にも分かれ、その間にむき出しの岩が見られる。しかし、それでも目を見張る光景である。私は、この滝が再び輝きを取り戻す日を想像した。
この辺りではアドベンチャー・ツーリズムも盛んだ。世界でも有数の高さを誇るバンジージャンプや、ジップライン、渓谷ブランコ、カヤック、滝のすぐ間際にあるデビルズプールでの水泳などを体験したいなら、ここはうってつけの場所だ。

暗赤色の太陽がアフリカの大地にゆっくりと沈み、夕闇が訪れた。
時差ぼけの影響もあり、私たちは早めにホテルに戻ることにした――アフリカ式に手で食べるザンビア料理の店に立ち寄ってからの話だが。

様々な肉や野菜が、トウモロコシの粉から作られた「シマ」(フフやウガリなどアフリカ全土で様々な名前で知られる)と共に出された。この辺りではホワイトコーンが主な材料だが、キャッサバやタカキビなど他の種類の粉で作ることもある。
この説明でこの料理が何なのか全く理解できない人は、写真を見てほしい。でも、一番のおすすめは実際に行って食べてみることだ!

さて、今日残る仕事は地ビールをぐいっと飲んで、ふかふかの枕とデートすることだけだ。
おやすみなさい。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

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持続可能なエネルギーを探求:アジア学院でのバイオガス・ワークショップ

10月28日と29日、アジア学院(ARI)で学生たちに向けたバイオガス・ワークショップが開催され、埼玉県小川町のエンジニア兼有機農家である桑原さんが講師を務めました。
このワークショップは、学生たちが6月に桑原さんの農場を訪問し、バイオガス技術について学んだことを踏まえたフォローアップのセッションでした。
ワークショップ中、学生たちは家畜の糞を処理して再生可能エネルギーを生成する方法を学び、持続可能なエネルギーの代替手段としての可能性が示されました。
桑原さんは、プラスチック製のバイオガス・チャンバーの使用方法を実演し、このプロセスが土壌の健康を促進する有機液体肥料を生産すると同時に、クリーンエネルギーを提供する仕組みを説明しました。学生たちは実践的な知識とバイオガス技術の体験に感動し、ワークショップを楽しんでいました。

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 0

8月1日から26日にかけて、アジア学院の職員であるスティーブンとカイが、アフリカのザンビア、マラウイを旅して、計23名の卒業生を訪ねました。
そこでスティーブンが書いた旅行記を、シリーズで皆様にお届けしたいと思います。
文章を通して、アフリカの空気や匂い、味、人々の息づかいを感じ、現地で生き、活動するアジア学院の卒業生達の姿を、より深く知って頂けたらと思います!
第一回目は、旅の目的や概要についてお伝えします。


【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

8月1日~18日:アジア学院の卒業生に会うことを目的としたザンビア、マラウイの旅

8月19日~24日:アジア学院の卒業生による地域会議

マラウイ・ムポネラにてECHO東アフリカ主催の農業会議と同時開催(後援:AFARI- アジア学院北米後援会)


これはアジア学院の勇敢な職員2名が、現地に生きるアジア学院の卒業生に会うことを目的として、3週間以上かけてザンビアとマラウイ全土を旅した記録である。

卒業生の働くコミュニティの美しさも苦悩もこの目で見て、より正しく理解すべく、我々は現地に赴いた。アジア学院の卒業生たちがどのように人々と関わり、どのように学びを国で生かしているのかを知るために。

これは、当校の教育内容を草の根の農村指導者のニーズに合ったものに保ち、コミュニティに奉仕する指導者を育成するという我々の使命を果たすために、必要不可欠なことである。
皆さんもご存知のように、人々や文化の奥深いところまで知るためには、そこに身を置いて、ヤギの煮込み料理を食べながら、あるいはアフリカを横断する長い車の旅の道すがら、会話を交わすことが一番だ。

このような個人的な交流は、アジア学院と卒業生の関係を強め、地域の卒業生間のネットワークも強固なものにする。さらには、「卒業後」の姿を知ることは私たちの仕事に活力を与え、モチベーションを高めてくれる。

この旅行記を読んでいるあなたも、我々と同じ立場で、アジア学院がこの世界でやっていることは本当に意味のあることなのだという興奮を味わってほしいと願っている。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)


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Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】 <== 今ここ!

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】


“今日の校長”アジア学院校長が新エッセイで創造と環境について考察

“今日の校長”
季刊「礼拝と音楽」第203号(日本キリスト教出版局 2024年10月発行)に「神と土と人の交わるところ」と題した私の文章が掲載されました。今号は「創造と環境」特集ということで、現場からのエッセイをとの依頼でした。アジア学院は神と土と人が交わる唯一無二の「環境」だと紹介し、その独特の環境の中で、「私たちは「人間同士ともに生きるための努力」を惜しまず、変革と創造とが豊かにのびやかに自由に行われていくことを願います」と結びました。多くの衝突、混乱、対立が同時多発的に起きているこの世の中で、このことを本当に切に願っています。

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