
〒329-2703
栃木県那須塩原市
槻沢442-1
週に1度の「Peace from Food – 食べものからの平和」特別企画として、アジア学院を応援してくださるサポーターの方々から、メッセージをいただいています。
第3回は、那須塩原市黒磯にあるパン屋 RAKUDAの 山下 三奈さんの「Food is …」メッセージをご紹介します。
「Food is … Circulation(循環)」
私にとって食べ物とは?と考えた時に真っ先に思い浮かぶのは、自分の身体を作っているもの。そして体外へ出たら自然へ還っていく。
自分の身体に入るものも、自然へ還っていくものも、気持ちのいいものを選びたい。
RAKUDAとは?
自家製天然酵母と国産小麦を中心にできる限りオーガニックな材料でパンを焼いています。
パン作りの時も、これが食べてくれる人たちの身体を作るんだ…と一生懸命やっております!
Facebook: https://www.facebook.com/rakuda.pan/
Instagram: https://www.instagram.com/rakuda.b/
「Peace from Food – 食べものからの平和」寄付キャンペーン
2025年8月1日(金)~9月20日(土)
▶ キャンペーンサイト:ari.ac.jp/donate/peace2025
8月中は毎日、InstagramやFacebookのストーリーで「わたしにとって食べものとは?」をテーマに、コミュニティメンバーやサポーターの声をお届けします。
これまでのストーリーはInstagramのハイライトからもご覧いただけます。
子どもたちの未来のために
ニラーニは、スリランカでも草分けのソーシャルワーカーだ。貧しい家庭に生まれ育ったが、奨学金を得て、スリランカで初めて創設された社会福祉学校で学び、母校やその他の教育機関で教鞭をとった後、セーブ・ザ・チルドレンでの仕事を通して、幅広い人々と関わってきた。
2004年12月26日、彼女の人生を大きく変える出来事が起きた。出張を兼ねて、沿岸地域に家族と滞在していた折、スマトラ地震による大津波に遭遇。5歳の息子を亡くした。
言い表せない深い悲しみの中、彼女が立ち上げたのが、シッダールタ子供開発基金 (SCDF)だった。子どもたちが安心できる環境で育てられ、個々の潜在能力を余すところなく発揮し、喜びに満ちて生きることを目指して始められたこの活動は、今年20周年を迎えた。
ニラーニが、今、最も心を砕き、3カ月に一度訪れる活動地がある。中部州のハサラカ・ガンゲーヤヤにあるその村に行くには、バスとオート三輪を乗り継ぎ、さらにそこから5㎞歩かなくてはならない。合わせて、片道8時間の道のりだ。
オート三輪の運転手が断るような、悪路の先にあるこの村へのアクセスの悪さは、村人の生活を大いに困窮させている。
ほとんどの家庭において、母親は中東に、父親や男兄弟は軍隊に出稼ぎに行っている。残された祖父母だけでは、十分に子どもの教育ができず、高学年になると、多くの子どもたちが学校を中退してしまうという。
村でできる数少ない仕事の一つにレンガ作りがあるが、支払われる賃金はごくわずかだ。さらには、業者が地域の人々の土地を借り上げて、レンガの材料の土の採掘を行うため、豊かな表土が失われ、返還される頃には、農業も満足にできない土地と化してしまう。
もう一つのコミュニティの問題は、ゾウ被害だ。村に隣接するジャングルに生息するゾウたちは、家の近くに実る果物や水を求めて、しばしば居住区に現れる。家の中にお米があることが分かれば、家屋は破壊され、ひどいと家族が亡くなることもある。
ニラーニがこの村に関わり続ける理由の一つに、彼女が実の娘のように気遣う、SCDFのボランティアワーカー、チャンドラの存在がある。彼女の家族は村で一番貧しい。でも彼女は美しい心を持ち、自分の問題を差し置いて、人々のために奔走している。
7月にもニラーニは、その村を訪れ、1週間ほど滞在し、子どもたちやお年寄りのためのプログラムや家庭訪問を行った。
彼女が来ると、話を聞いてもらおうと、多くの村人が集まってくる。人懐っこく友だちのようにすり寄ってくる少女には、発達の遅れがあったが、チャンドラたちの介入により、今では読み書きができるようになり、よく話す。雨不足の影響を視察するニラーニに、自宅のカボチャ畑を誇らしげに見せてくれた。
2018年にアジア学院を卒業してから、子どものプログラムに農業を積極的に取り入れるようになったニラーニは、この村でも、10月の雨期に向けて、9月から子どもたちと一緒にコンポストを作ったり苗を育てたりするプロジェクトを始め、個々のキッチンガーデンの計画を進める予定だ。
ニラーニの最近の楽しみは、2階にある自宅で、植物を育てることだ。限られたスペースでも活用できることを子どもたちに教えたい、と始めたが、どんどん愛情が沸き、病気になったり枯れたりすると悲しいといった、子どもの時の素直な気持ちを思い出している。
大切な仕事を終えて家に帰ると、体は疲れても、心は不思議と元気になるという。
ニラーニにとって食べものは何か聞いてみた。その答えは、「あらゆる生きものにとって最も大切なもの」。これは仏教の教えでもあるという。
彼女はいつも、チーフ・シアトルの言葉を用いて、子どもたちにこう話す。
「先祖代々受け継いできたこの大地が傷つけば、人間も生きていくことができない。だからこの大地を大切にしなければならない」と。
文・阿部 真希子
写真提供・ニラーニ・ウェラゴダ(2018年卒業生)
シリーズ記事はこちら
【「食べものからの平和」卒業生の食卓から ① — 序章】
【「食べものからの平和」卒業生の食卓から ⑤ 】← 今ここ
今回は番外編です。
本シリーズの第2回「2袋の食べもの」で取り上げたインドの卒業生、トーマス・マシューが、8月12日にアジア学院にて平和をテーマにした特別講演を行いました。
トーマス・マシューはほぼ毎年、8月6日の広島平和記念式典、8月9日の長崎平和祈念式典に参列するために来日します。彼にとって平和活動は、前回紹介した社会経済的支援と並んで2本柱ともいえる重要な活動です。
彼が平和活動に熱心に取り組むようになったのは1988年のアジア学院の研修がきっかけでした。西日本研修旅行で訪れた広島で原爆という歴史に触れ、被爆者の語りを聞いたことで、彼は母国インドの核保有について問題意識を持つようになりました。「核兵器は他の兵器と次元が違います。人類や自然を完全に一掃する力を持っているのです。」
帰国後、何とかしてインドの人々に被爆者の話を聞いてほしいと願い、1990年の8月には国で初めてとなる被爆者の招聘を実現しました。この活動は現在も続けられています。また、インドによる核実験後の環境や人体への深刻な影響についてのドキュメンタリーを作成したり、展示会やセミナーを開催するなどして、核兵器の危険性についての啓発も行ってきました。
「自分が所属し、育てられてきたコミュニティでの社会奉仕はとても大切です。しかし、いくら経済が発展したとしても、平和がなければそれは長続きしません。だから、社会奉仕活動と平和活動の両方に取り組むことが私の使命なのです。」
核兵器のない世界を想像できるか、という参加者の質問に対して彼はこう答えました。
「それは私の夢です。夢は叶えなければなりません。そのために働きます。若い世代を教育しましょう。被爆者の声に耳を傾けましょう。いつか、その日はやってきます。」
講演後、トーマス・マシューにも、「わたしにとって食べものとは?」への答えをステッカーに書いていただきました。
その答えは「Food is … Peace」
食べものとは、平和です。
「Peace from Food – 食べものからの平和」寄付キャンペーン
2025年8月1日(金)~9月20日(土)
▶ キャンペーンサイト:ari.ac.jp/donate/peace2025
文、写真・江村 悠子
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【「食べものからの平和」卒業生の食卓から ① — 序章】
【「食べものからの平和」卒業生の食卓から 番外編 】← 今ここ
学生たちは、地元の有機農場であり体験型学習を提供するNPO法人「ひだまり農園」を訪れました。
ひだまり農園では、CSA(提携)グループの100人のメンバーを支えるのに十分な量の農作物だけを栽培しており、そのことで土壌が世代を超えて使い続けられるように配慮されています。
鶏たちはストレスのない放し飼いで果樹の下を歩き回り、雑草や害虫を食べ、持続可能なペースで卵を産んでいます。
この農園は日本各地の学生とつながることで、多くの都市部の若者にとって初めて土に触れ、自然を体験する機会を提供しています。
2013年に卒業し(2014年GI)、この農園を運営している濱中陽平さんは、地域の人間関係の中で農業を育むことの大切さや、自然との関わり方について語ってくれました。
彼は、私たちすべての生活の土台となる地球と土を守ることを通して生計を立てる方法を実演してくれました。
TBSラジオ番組 「嶌信彦 人生百景」 にアジア学院常務理事荒川朋子が出演
🎙 放送日時
放送後7日間はRadikoでもお聞きいただけます:https://radiko.jp/r_seasons/10002464
📻 番組URL:https://www.tbsradio.jp/articles/98893/
国際協力、農村リーダー育成、そしてアジア学院の歩みについて、荒川が語ります。
ぜひお聴きください。
「Peace from Food – 食べものからの平和」寄付キャンペーン
2025年8月1日(金)~9月20日(土)
▶ キャンペーンサイト:ari.ac.jp/donate/peace2025
8月中は毎日、InstagramやFacebookのストーリーで「わたしにとって食べものとは?」をテーマに、コミュニティメンバーやサポーターの声をお届けします。
これまでのストーリーはInstagramのハイライトからもご覧いただけます。
さらに週に1度、特別企画として、アジア学院を応援してくださるサポーターの方々からもメッセージをいただきます。
第2回は、同志社大学国際居住研究会内の「DUARI(同志社アジア学院)」メンバーの谷口諒祐さんの「Food is …」メッセージをご紹介します。また、DUARIメンバーの他の皆さんが考えてくださった「Food is…」もご覧ください。
「Food is … Choice」
何を食べるのか。どこで食べるのか。誰と食べるのか。
日々の選択が今の自分を形づくっている。
DUARI(同志社アジア学院)とは?
京都にある同志社大学のサークルである国際居住研究会のプロジェクトの1つとして活動しています。
モットーとして、「アジア学院と共に生きる take &give」を掲げており、ARIの広報活動や春と夏の年に2回のワーク派遣、京都で集まってARIについて知る機会を設けるなどの活動をしています。
アジア学院では、学生たちによる中間発表会が3日間にわたって開催されました。
今回のテーマは、「これまでの学びの中で、最も大きな学びは何か」。
入学から約5か月。農業や共同生活、講義や現場での実践を通して、学生一人ひとりが何を感じ、何を学んできたのか。それぞれの言葉で語られた発表からは、知識やスキルだけではない、文化の違いや自分自身の葛藤と成長がにじみ出ていました。
発表内容は、学生の出身国やこれまでの人生経験にも大きく影響されており、多様な価値観や視点が反映されていました。
聞き手である私たちも、多くの気づきや学びを得る貴重な時間となりました。
後半の生活・学びに向けて、それぞれがどのように自分の学びを深めていくのか、ますます楽しみです。
森への回帰
フェニーと賢吾が、アジア学院での研修を終えようとしていた2012年、フェニーの故郷であるインドネシア・北スマトラの熱帯地域でフードフォレストを作ろうという計画は、まだ存在していなかった。
2人は両方ともアジア学院の卒業生(2005年と2012年)で、2012年にフェニーが研究科生をしていた時に知り合った。
日本生まれの賢吾はインドネシアに行ったことがなく、「フードフォレスト」という言葉も2人にとっては馴染みのないものだった。アジア学院で有機農業の基礎を学んだ賢吾は、健全な生態系を維持し、自然を破壊せずに農業を営むという原則を持つパーマカルチャーに特に心を惹かれていた。しかしこの知識を、慣れない土地と気候において実践するのは大きな挑戦だった。2人はアジア学院での研修が終了してまもなく日本で結婚し、その後インドネシアに定住した。そこで彼らは、フードフォレストの概念についてより深く学び始めたのだった。
フェニーと賢吾は、2015年に最初の土地を購入したが、その時点ではフードフォレストは始めていなかった。その代わり、彼らは生計を立てるためにコーヒーを栽培することを計画した。2人はアジア学院で学んだことを生かし、窒素を固定する樹木を植えて土壌を肥沃にした。それから1年後、賢吾は自分のアジア学院後の栽培計画に違和感を覚えた。彼は自分の土地を見渡し、コーヒー豆しかないことに気づいた。たった1つの作物しかないその状況を目の当たりにして、彼は農場を広げなければならないと痛感した。これが、彼らのフードフォレストの話の幕開けである。
自分たちが生きるために始めた個人的なプロジェクトだったが、今では目的の半分が達成され、フェニーと賢吾は50%以上を自給自足している。2人は市場で野菜を買わない。その代わり、森で必要なものを収穫し、残りは売る。さまざまな種類の果物も育てている。グアバ、ジャックフルーツ、アボカド、桑の実などなど。森を育てて10年が経つが、すべてが十分に成長したわけではない。このようなプロジェクトには時間と膨大な忍耐が必要であることを2人は思い起こさせてくれる。
フードフォレストの開発を10年以上続けてきた今、彼らは自分たちの苦労をコミュニティに自慢できるのを誇りに思っている。隣人たちは自分たちで米や野菜を栽培しているが、彼らの畑では自給自足ができない。基本的な食料は市場に買いに行く必要がある。フェニーと賢吾は、自分たちのフードフォレストを案内することで、他者にも自立を促している。
昨年にはアジア学院北米後援会(AFARI)から助成金を受け、北スマトラの50名の地元農民を彼らのフードフォレストに招待し、自分たちの事業を始めるやり方を教えることができた。今では、コミュニティでフードフォレストを育てているのは彼らだけではなくなり、多くの農民が自給自足を目指した、それぞれの旅へと乗り出している。
彼らが他者に与えるアドバイスはシンプルだが力強い。「結果が出るまでには時間がかかるし、最初はあなたを疑う人も出てくるでしょう。でも、希望を捨てないで。」
「食べものからの平和」というテーマの解釈について尋ねると賢吾は、このフレーズに反映されている平和は、地球の資源を大切に思うことから始まり、「自然との平和な関係を持つことによって、私たちは長く続く豊かさのシステムを構築し始めることができる。」と主張した。フェニーも、このテーマは自分にとって個人的なものであると、すかさず自分の意見を付け加えた。自分で育てた野菜や果物を収穫し、それを食卓に並べることで、彼女は人々に栄養を与えることに基づく、思いやりと絆を感じている。そして、「心のうちに平安を見出す」という。
文・マリエル・ランダール(ウェルズリー大学 インターン生)
写真・石田 賢吾(2012年度卒業生)
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【「食べものからの平和」卒業生の食卓から ① — 序章】
【「食べものからの平和」卒業生の食卓から ④ 】← 今ここ
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