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冬のアジア学院: 自然を楽しみながら未来を見据えて

アジア学院では冬真っ盛り。キャンパスには冬ならではの静かな魅力が広がっています。冷たい空気や移り変わる景色は、この季節の自然の美しさを改めて感じさせてくれます。畑に降りた霜や、朝の静けさなど、冬ならではの穏やかな時間が心を癒してくれます。

そんな冬の日々を楽しみながらも、私たちは4月を楽しみにしています。この時期には新しい研修生たちがアジア学院の仲間に加わります。彼らの到着はいつもわくわくする瞬間で、新しいエネルギーや視点が共同作業や学びに新たな息吹をもたらしてくれます。

今は、この季節ならではの素朴な喜びを味わいながら、これからの数カ月に向けて準備を進めています。アジア学院一同、この季節を皆さんも私たちと同じように楽しんでくださることを願っています!

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 16

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今回訪ねた村でも、あの強烈なニャウの踊りが彼らを迎えました!
「指導者が国民に団結を求めれば、国民は団結する。指導者が民衆に戦うことを望めば、民衆は戦うだろう。」というマクドナルドの言葉に、良き指導者とは何か、深く考えさせられます。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】

チクウィンガ村
今日はまた別の村を訪ねることができた。そう、これが、我々がはるばるやって来る理由だ。卒業生たちの仕事について話を聞くのも一つだが、村の景色や音、匂いを感じ、村の人々と話し、その生活がどのようなものかを知り、人々の人間性の美しさや苦しみを目の当たりにすることも、また別の意味を持つ。マクドナルドは親切にも、埃っぽい道を運転し、チクウィンガ村という場所に我々を連れて行ってくれた。
そこで再び我々は歌と踊りの出迎えを受けた。これには飽きることがない。今回はニャウが女性たちと一緒に踊っており、相変わらずの激しさだった。彼らの仮面は以前目にした踊り手たちのものとは違っていて、その様式にはそれぞれ意味があると思うのだが、聞いてもなかなか深い説明を得られない。

ヤギは良い!
ここの女性グループは、「統合的ヤギ譲渡プロジェクト」と呼ばれており、セシリア・ンピンガ(2016年アジア学院卒)が始めた。彼女が初めてこの場所を訪れたのは2018年で、衛生管理プロジェクトというNGOとともに、エコサントイレについて教えるためであった。 その時、日々の暮らしに困難を抱える12 名の働き者の未亡人グループに出会った。そこで2022年、AFARI(アジア学院北米後援会)のタール・フェローシップからの資金援助を受け、ヤギのプロジェクトを開始し、18頭のヤギ(オス6頭、メス12頭)を購入し、女性3名につき2頭ずつ配布した。女性たちは2人1組で作業するので、必要に応じて助け合うことができる。

我々のささやかな集まりは、それぞれの女性の自己紹介から始まった。マクドナルドは一人一人の名前を聞き、それが正しいかどうかを確認するために注意深く繰り返した。この単純な行為が、親密な関わりを育んでいることを感じ、感銘を受けた。彼女たちは、譲り受けたヤギがまだ若く、最初の子供が生まれるまで時間がかかったため、まだ「譲渡」は始めていないと説明した。子ヤギを何頭か譲り受けて、一人10頭ずつ飼育する予定だという。 ヤギから得られる一番初めの恩恵はその糞尿で、葉っぱと一緒に堆肥にして、畑で使用している。これまでに稼いだわずかなお金でタケノコを購入し、育てて売っている者もいる。気候変動は彼らにとって大きな課題であり、特にこの春の干ばつは深刻な影響をもたらした。

ありがとう、セシリア
彼女たちは皆、農業やヤギの飼育の新しい技術を教えてくれたセシリアに感謝しており、給料ももらえないのに、助けを求めるといつも来てくれると話した。セシリアはまた、政府の農業アドバイザーとの橋渡しもしてくれる。彼女たちの夢は、このプロジェクトを拡大し続け、鉄板屋根を買えるだけの資金を稼ぎ、十分な衣食住を確保することだ。

会合の後は、ヤギの世話を見学するために村を散策した。小屋で飼われているものもいれば、フェンスで囲んだ場所で飼われているものもいた。どのヤギも、安全のために家の近くで大切に飼われている。家畜が盗まれることは珍しくない。餌にはトウモロコシのふすま、マメ科の植物、緑の葉と塩を少々与えている。マラウイの村の暮らしは決して楽ではないが、このような小さなプロジェクトが人々の生活に著しい改善をもたらす。アジア学院の卒業生であるセシリアが、彼女たちのために自らの意志でこのような取り組みをしているのを見て、私は誇らしい気持ちになった。

出発前、カイと私はセシリアにビデオ・インタビューを行ったが、数日後、彼女はアジア学院の研修で受けた影響について、次のような追加のメッセージを送ってくれた。
「アジア学院で学んだことを話す機会に、もう一つ、言わなかったことがありました。それは、自分の強みについてです。アジア学院の研修に参加する前は、会議で発言するのも恥ずかしかったし、自分一人で活動を行う勇気もありませんでした。帰国後は、コミュニティの会合で発言したり、教会や地域、家族、職場で大きなイベントを企画・実施したりすることができるようになりました。誰かからイベントを請け負うように指名されれば、私は良い結果を出すことができます。例えば、私の一族の家族レベルでも、私がイベントを計画し、それを実行するので、皆、私を頼りにしてくれます。家族のなかには、イベントを担う私のことを『プロトコル(議定書などの意味)』と呼ぶ者もいます。コミュニティには、結婚式の手伝いに私を加え、私にチーフ・プロトコルの役職を与える人もいます。アジア学院の収穫感謝の日や農村地域研修旅行を通して、私はこの強みを得たのです。」

正午頃、我々はマクドナルドとともに街に戻った。午前中の出来事を振り返って、彼はこう言った。「指導者が国民に団結を求めれば、国民は団結する。指導者が民衆に戦うことを望めば、民衆は戦うだろう。」これは、彼が全国各地のコミュニティを見てきた経験から来るものなのだろう。チクウィンガ村のような場所やセシリアのような人々を見ると、彼は大いに勇気づけられる。しかし、貪欲で利己的なリーダーシップを目にしたとき ―それは決して稀なことではない― 彼は大いに失望する。

WOGミーティング
(ロード・オブ・ザ・リングがお好きな方なら、何を考えているかはお見通しです!)

ジェフリーの家に戻り(彼がジョンの弟で、ジョンが2013年アジア学院の卒業生であることを思い出してほしい)、盛大にWOGミーティングを行った。WOGとはジェフリーの組織、Word of God ministriesのことだ。全スタッフが招かれ、庭で輪になって話をした。
詳しい話をする前に、マラウイのことわざを紹介したい:“客は露のようなもの。 すぐに来てすぐに去る。”
もてなす者は客と過ごす短い時間を大切にしなければならないという意味だ。
前述したように、WOGの優先事項は伝道だが、地域開発にも手を伸ばしている。彼らには農業を始めたい土地が3つあり、ジョンの助けに期待している。 (1)家の隣にある1/2エーカー、(2)車で20分ほど離れたところにある購入したばかりの畑。 周囲には他の農場も多く、ヤシの木が岸に立ち並ぶ川もある美しい地域だ。 彼らには農業の経験はあまりない。 有機農法は彼らにとって魅力的に聞こえるが、実際はよく分からないという。マクドナルドは、すぐにでも、すべての藪を刈り取り、堆肥化するようアドバイスしていた! (3)前述の20ヘクタール。正直言って、私は、どうやったらそんなに広大な土地を活用できるのか分からない。アジア学院式の農業は非常に集約的で、小さな圃場から大きな収穫を得ることができるからだ。彼らは果樹園としての利用を考えているようだった。

WOGは1997年に組織として登録されたが、スタートは遅かった。当時、ジェフリーはまだマラウイ放送局で働いていた。 NHKとの共同プロジェクトで日本にも行ったという。 2009年から彼はWOGにフルタイムで貢献するようになり、2010年には、「村の銀行」を始めた。私が目にしてきた村の貯蓄貸付(VSL)と異なるものかどうかはわからないが、ビジネスプランを考えるトレーニングの要素も含まれているようだ。現在、スタッフのドロシーが村の銀行を管理しているが、いくつの村々で働いているのかという私の質問に、彼女は「たくさん!」と答えた。

新しいコミュニティに入ると彼らは「村のアプローチ」と呼んでいる方法で、まず親睦の場を立ち上げる。聖書を学び、祈り、礼拝をするキリスト教の集まりだが、ジェフリーはあまり詳しく説明しなかった。これらのグループから村の銀行を設立する。村の銀行で最も重要なのは信頼を確立することだからだ。ジェフリーはまた、メンバーたちがお金よりも福音を中心に据えるよう気を配っている。2021年に、彼らはサイクロン・フレディのために活動を中断せざるを得なかったが、2023年には再開できるだろう。ジェフリーは一村一品運動に強い関心を持っている。これは日本やタイ(そしておそらく他の地域でも)で行われている(あるいは試みられている)ビジネスの手法で、それぞれの村が独自の製品を生産し、販売するというものだ。興味深いモデルで、成功例も失敗例も聞いたことがあるが、今のところジェフリーの頭の中にあるアイデアとしてしか存在しないので、これ以上は触れない。彼はまた、「トレーディング・センター 」という概念についても言及した。これは市場のようなもので、商品が適正な価格で販売されることを除けば、その意味は同じである。彼は人々のために食料品の価格を抑える方法を考えようとしているのだが、マクドナルドはすぐに、農家も公正な価格を望んでおり、それを必要としていると指摘した。これを聞いて、ジェフリーは考えこんだ。

彼らはアジア学院にスタッフを派遣し、彼らの土地を迅速に開発するために必要な農業研修を受けさせたいと考えている。さらに彼らは、アジア学院のリーダーシップ研修が「エンパワメントからエンパワメントへ」という彼らのアプローチにぴったりだと考えている。
最後におじいちゃんも入って、皆で集合写真を撮った。91年の人生において、彼の目が何をとらえてきたのかについて、私はまだ想像を働かせている。
我々がマラウイ湖畔のマクドナルドの家に戻ったのは、日没後であった。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

シリーズ記事はこちら

Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】

Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】

Vol.6 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 7日目】

Vol.7 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】

Vol.8 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 9日目】

Vol.9 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 10日目】

Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】

Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】

Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】

Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】

Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】

Vol.16 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】<== 今ここ!

Vol.17 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 18日目】To Be Continued …




農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 15

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
今日の旅でも、多くの卒業生との再会がありました。
マラウイの興味深い文化や人々の考え方に、カルチャーショックも感じます。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】

ゾンバへ
今日はゾンバに向かう!ゾンビではなく、ゾンバである。この違いをはっきりさせることが肝要だ。マクドナルドと手短に話し合った結果、私たちは計画を変更し、南部のブランタイヤへの訪問を中止することにした。スケジュールがタイトすぎるし、休息と健康回復のための時間が必要だった。というわけで、私たちはゾンバに向かい、明日またここに戻ってくることになった。

“被造物への配慮”
道中、最初に立ち寄ったのは、聖公会と長老派の教会が運営するチレマ・レイ・トレーニング・センターだった。マクドナルドは、マリンディに行く前にここに駐在していた。ここは、前主教の破門とそれにまつわるすべてのドラマの後、わずか4ヶ月前に就任したばかりのウィリアム・ムチョンボ主教の住居でもある。彼はしんせつにも、短い歓談の時間を設けてくれて、我々は環境への配慮、つまり「被造物への配慮」が彼の教会の優先事項の上位にあることを知った。それは教区の4つの柱、(1)伝道、(2)典礼、(3)教区の持続可能性のための投資、(4)環境への配慮の中に含まれている。彼はアジア学院の活動をよく理解しているようで、少なくとも我々の働きを評価してくれている様子だったので、教区からより多くの研修生を派遣することについて話した。彼は自ら、アジア学院に女性を派遣することについても触れ、女性グループのコーディネーターはとても情熱的で行動的だと説明した。女性リーダーを採用するのはつねに大きな課題であるため、これは我々の耳に心地よく響いた。

会合の後、マクドナルドはアジア学院の後、教区の農場に配属され、そこで有機農法を始めたことを語った。手っ取り早く利益を得るためには肥料が必要だ、という人々の抵抗にあい、結局異動になったそうだ。この点については、今後の志願者を検討する際に、教会指導者たちともっと話し合うべきだが、有機農業に対する彼らの態度が変わりつつあることは、すでに実感していた。

ティトと裏話
次にティト(2012年アジア学院卒)の家に行った。まさかティトに会えるとは思っていなかった。というのも、彼は教会の大喧嘩の際、過去の主教側に強く味方し、結局破門されてしまったからだ。そのことについては後ほど詳しく説明するとして、順を追って話を聞こう。ティトがリビングルームで、庭で採れたポップコーンと落花生をごちそうしながら、我々に話をしてくれた順序で。ところで、このポップコーンは美味しかった。私は知らなかったのだが、ポップコーンは特別な品種のトウモロコシから作られていて、マラウイで広く栽培されているのだそうだ。ポップコーンが大好きだった父に、このことを教えてあげたかった!

2012年12月にアジア学院から帰国した彼は、マラウイ湖近くのンコペ(マンゴチ地区)という場所の教会に赴任した。土壌は砂地だったので、アジア学院で学んだ堆肥とぼかし肥の技術を使って土壌を作り上げた。耕作は不可能だと思っていた場所で作物が育っているのを見て人々は驚いたが、彼がやり方を示したのでそれに従うようになった。彼は自分の教会だけでなく、他の教会やイスラム教徒のコミュニティの女性や若者の指導も行った。また、盲人のための宣教も始め、盲目の少女や少年のための宿舎を設立した。

2017年、ティトは現在マクドナルドのいるマリンディに移され、農村部長の職を与えられた。彼はモリンガの木を植え、有機農園を始め、ぼかし肥や木酢液など、アジア学院からもたらされた技術を用いた。2年後、彼は再び主教の住むチレマに赴任した。そして2022年10月23日(この日付は彼の人生に永遠に刻まれることになる)、彼は主教と他の13名の司祭たちとともに破門された。詳細は語らなかったが、ただ主教を支持し、声を上げて抗議する人々には加わらなかった、とだけ言った。その日から彼は給料も俸給も一切もらえず、立ち退き命令も出された。幸いなことに、彼と彼の家族は敷地内に別の家と土地を持っていた。「生き残るために、私はこの土地を使ったのです。」彼は、家族の生きる糧となった庭を誇らしげに案内してくれた。そこはキャッサバと野菜で青々としていた。優れた有機農家の証に、鶏糞(30羽のニワトリがあちこちを走り回っていた)、トウモロコシのふすま、灰、もみ殻など、土づくりに使われるものが詰められた袋を見せてくれた。彼は棒で上手にパパイヤを2、3個木から叩き落とし、我々にくれた。

豆と乾燥キャッサバの昼食をとりながら、ティトはアジア学院にいたとき、自分の人生のピークは母親の死だったと振り返りレポートに書いていたと話した。しかし今、「自分の経験のピークは破門」だという。日本で学んだことを引き合いに出し、「あきらめるな。私はサーバント・リーダーだ!」と話す。

彼の教会での地位は現在、牧会委員会で審議されており、間もなく復職する可能性も十分にある。彼は最新の決定を待っており、来週中には聞けると期待している。

チンガレ・コミュニティ
昼前に、我々は2016年の卒業生であるトウェラに会いに出かけた。(新しい)主教のご厚意で、田舎道を移動するのに便利な車と運転手を用意してもらった。トウェラは、2007年に始まったチンガレ・ネノ復興開発プログラムという地元のNGOでプログラム担当官として働いている。アジア学院で研修中の学生、サイモンも同じ団体の出身だ。驚いたことに、彼は創設者兼、現所長の息子であることがわかった。お父さんも歳をとってきたようで、そろそろ引き継ぎを考えているようだがその話はしなかった。むしろ彼は、「あなた方の団体(アジア学院)が生み出した成果」を語り、「君が日本に行く前は、こんなではなかった。」とトウェラに言った。それに対して彼女は、「以前は怠け者でしたが、アジア学院に行ってからはとても働き者になりました。」と付け加えた。帰国後、彼女はプロジェクト・マネージャーからプログラム・マネージャーに昇格し、次期所長の座も射止めたようだ。サイモンは、私が考えていたような世襲の道はおそらくたどらないのだろう。

8名のスタッフが、食料安全保障(おそらく農業のことを指す)、家畜、村の貯蓄と融資、子どもの生存(おそらく幼い子どもたちの栄養管理の取り組みを指す)、心理社会(おそらくジェンダーに基づく暴力のケアのこと)、青少年のレクリエーション、障がい者(地域の障がい者を把握し、必要であればよりよいケアができる場所を紹介する)といった分野で働いている。あまり詳しく説明できなくて申し訳ない。とても短時間の会合だった。彼らの自慢の一つは、全従業員がすべての部門で働けることで、必要であれば互いにカバーし合う。所長いわく、「運転手だって現場に行けるんだ!」とのこと。
団体は2014年から2016年までGrowing Hope Globallyという組織から資金援助を受けており、アジア学院を紹介したのも彼らだった。現在は長老派の開発機関の援助を受けている。

羽根の生えた代理母
スタッフと養鶏について話す中で得た興味深い学びの一つに、卵を集めることができるということがある(もちろん話はこれだけじゃない!)。孵化させたい有精卵があれば、別の抱卵中の鶏たちに預ければ良いのだ。ここでは、地元品種の鶏たちの下に卵を置くのだが、彼女たちは赤ちゃんを無事に孵化するまでに必要な母性愛を、喜んで与えてくれる。農家なら誰でも知っていることだし、私も一度や二度は聞いたことがあったはずだが、改めて知ることができて良かった。

チェプトゥラ女性グループの集まり
次に我々は、彼らが働く300の村の一つに向かった。現地の素晴らしい習慣に従い、我々は歌と踊りの挨拶を受けた!こんな歓待を受けて、喜ばない人はまずいないだろう。チェプトゥラ村の女性グループのメンバー、10名によるもので、男性も数名含まれていた。
木陰の席に着き、数えたら10名以上いることに気付いたが、細かいことは聞かず、彼女たちの活動について教えてもらうことにした。トウェラが教えた、「贈り物の譲渡」ヤギプロジェクトもその一つだ。2頭のヤギが与えられ、最初に生まれた子ヤギは隣人に譲らなければならないが、その後生まれた子ヤギは自分の家で飼っても良いことになっている。各世帯が20頭のヤギを飼うことを目標としているが、今、村全体でヤギの頭数が減っている。食料を買うためにヤギを売っているからだ。本来であれば、自分たちの畑で日々の生活をまかなえるはずなのだが、干ばつがそれを許さないという。トウェラが所有するトウモロコシ畑は灌漑されているので、豊作を得ることができる。マラウイには、国土の大部分を流れるマラウイ湖のような良質な水源はたくさんあるが、灌漑されている農場はほとんどない。これはつねに話題に上ることだが、もし政府が灌漑支援をしていれば、この国は世界最貧国の一つにはならず、雨が降らないたびに(あるいは2023年のサイクロン・フレディ襲来の時のように、雨が降りすぎるたびに!)食料の確保に苦労する国にはならなかっただろう。

人々は村の貯蓄貸付(VSL)グループも有しており、金利は20%で、2ヵ月以内に返済しなければならない。 毎年、年の終わりに積み立てた利子を集計し、メンバー間で分配する。私が出会ってきた他のVSLとはかなり違うので、詳細は間違っているかもしれないが、VSLの良いところは、グループのメンバーたちが自分たちのニーズに合わせて独自の規約や細則を作れるところにある。

ニャウとの踊り
私たちが話していると、何人かの子供たちが通り過ぎ、さらに多くの子供たち、そして太鼓や椅子などを担いだ人たちが集まってきた。それは村の集まりの準備であり、我々のために用意されたものだった。彼らは輪になって、太鼓を叩いて踊り始め、我々もそこに加わるように招いてくれた。ビデオを撮る絶好の機会だったので、いくつか撮っていると、彼らが私に、ある方向を見るように指差した。すると、建物の陰からニャウと呼ばれる、精巧な衣装をまとった2人の仮面をかぶった踊り手が出てきた。チェワ族伝統のグレ・ワムクルと呼ばれる踊りらしい。我々観光客だけでなく、村人にも大好評で、本当に衝撃的なアフリカ体験だった。

チャプウェテカ村の “監査”
あっという間に踊り手たちの姿は消え、村人たちも散っていった。
次に我々はチャプウェテカ村から来た別の村の貯蓄貸付(VSL)グループに会った。
会合は、まるで我々が監査役であるかのように、会計係が帳簿を開いて会計を読み上げるところから始まった。そのような透明性と信頼は、彼らが育みたかったもの、あるいはグループ内で育むように教えられてきたものなのだろう。
それは次のようなものだった。

2020年、16名のメンバーでグループを結成した。
12月の決算は以下の通り:
株式 – 500,000
緊急資金 – 320,000
利子 – 180,000
その他の何か(聞き取れなかった) – 40,000
合計 – 1,020,000(うーん、20,000足りないようだ。私が何か聞き逃したのかもしれない。 本当の監査役じゃなくてよかった!)
この時点で、資金はメンバー間で分配された。

2021年1月、我々は銀行を再開した。
2021年12月、我々は以下の口座を閉鎖した:
株式総額 – 320,000
緊急資金 – 150,000
利子 – 150,000
その他の何か – 120,000
合計 – 630,000

うーん、また腑に落ちない。もしかしたら、私が理解できなかった“その他の何か”が関係しているのかもしれない。しかし、怪しいビジネスが行われていたとは考えない方が良い。メンバー全員がこれらの口座の詳細を知り尽くしており、それこそがVSLの力なのだ。自分たちで管理して利益を得る。彼らは現在に至るまで会計報告を続け、サイクロンの年は貯蓄よりも家の修理にお金が回ったため、全体的に金額が減少したと説明した。

食べ物を分かち合う…
会合が終わると、皆で道端の店まで歩いて行った。そこには我々のために、郷土料理が用意されていた。ウシパと呼ばれる小さな干物(イワシのようなもの)、タカキビから作られたシマ(タカキビはトウモロコシよりも干ばつに強いので、これは良いアイデアだ)、トウモロコシのシマ、サツマイモの葉、スイート・ビールと呼ばれる発酵飲料のようなもの、そして2種類のケーキがあった。トウモロコシ、小麦粉、大豆、砂糖で作られたケーキと、バナナ入りのケーキだ。バナナが大好きな私は、バナナケーキを食べた。それはとても美味しかった。残念なことに、作り方や、粘土や土の窯で焼いたのかなどについて聞くのを忘れてしまった。すべての料理を試してみるよう、人々に勧められたので、私たちは喜んでそれを食べ、さまざまな味と食感を楽しんだ。混乱を避けるために言っておくが、シマはザンビアのシマと同じものである。発音が違うだけだ。村人が作った料理を、村人と一緒に食べられる貴重な機会を、私はとても有難いと感じる。味や香りなど、五感を使って彼らの文化を体験することができるし、アジア学院で高見先生がよく話していた“食べ物を分かち合うことはいのちを分かち合うことだ”という言葉を現実のものにしてくれる。

WOG の奉仕活動
その夜の宿泊先として、ジョンの弟のジェフリーが快く自宅を提供してくれた。ジョンは2013年のアジア学院の卒業生で、現在は彼が立ち上げたウィル・オブ・ゴッド・ミニストリーズ(WOG)という組織で兄とともに働いている。ジェフリーは私たちをもてなし、アジア学院とのつながりを持つことをとても楽しみにしてくれていた。ウィル・オブ・ゴッド・ミニストリーズ・インターナショナルは信仰に基づくNGOで、彼らのアプローチは「学び、実行し、教える」ことだ。聖書に出てくる人物、エズラに倣って、彼らは聖典を学び、それを理解し、適用し、そして外に出て、教え、伝道する。ご想像の通り、彼らは伝道に重きを置いているが、最近では社会経済開発の要素にも取り組み始めており、それでアジア学院(と彼の弟ジョン)の出番というわけだ。ジェフリーの職業は電気技師であり、彼の妻は南アフリカで健康増進の修士号と看護学の博士号を取得し、看護大学の校長をしている。1933年生まれの父親も同居している。彼が生まれてから31年間、この国はまだニャサランドと呼ばれるイギリスの植民地だった。91年の間に彼が見てきたものすべてについて、彼に尋ねることができればよかったのだが…。

家に着くと、リビングルームに通され、お菓子と会話で親切に迎えてもらったが、家具は屋外用のプラスチックの椅子だけだった。私は、それぞれの家庭に個性があるから、あまり気に留めていなかった。ところが1時間ほどしてトラックがやってきて、ソファや座り心地の良い椅子がいくつも運び込まれ、たちまち雰囲気が一変した。そしてトラックが去ったと思ったら、今度は私たちが寝るためのベッドを積んで戻ってきた。ジェフリーはすぐに、これらはすべて私たちが来る前に到着するはずだったと説明した。私は、この文化では、居間に快適なソファセットがあることが、繁栄と、もてなしの証であることを思い出した。

無駄にしている時間はない
ジョンは、そのゆっくりとした几帳面な話し方で、アジア学院での経験やその後のことを話してくれた。彼はその年の研修プログラムに参加した3人のマラウイ人のうちの1人だった。彼に最も深い印象を与えたのは、サーバント・リーダーシップ、有機農業、そして勤勉な日本の文化だった。「マラウイで、私たちは時間を無駄にしています。しかし、日本では、時間に無駄がありません!」
「広島や東京タワーのような、人生の中で訪ねることができるとは思ってもみなかった場所を訪れました。」とジョンは続けた。「学びのためにアジア学院に行きましたが、学院では、謙虚であること、自立することを学びました。他の国から来た人たちと一緒に生きる方法を学びました――共に生きるために、を。でも、主な学びは有機農業でした。」
帰国後、彼は父親の土地で有機農法を実践し始めた。化学肥料やハイブリッド種子を使用していたため、完全な有機農業ではなかったが、鶏糞、灰、トウモロコシのふすまから作るぼかし肥を導入した。また、「アジア学院でジルやアンクル・ティモから学んだように」、豚や鶏も飼育した。

当時、彼はまだ衛生管理プロジェクト(HVP)という送り出し団体に所属していた。この団体は、我々がエネトのところで見たようなエコサン・トイレの設置を支援している。このトイレから、畑の肥やしを得ることができる。残念ながら彼の契約は2019年に終了し、資金不足のため更新されなかった。安定した収入を得られず、彼は本当に苦労したが、それでも時々、HVPのボランティアをしていた。2021年からはWOGが彼をプログラム担当官として雇い、畑の世話を任せている。彼らは20ヘクタールもの土地を含む、多くの敷地を有しており、この土地を組織の収入とトレーニングを行うために開発したいと考え、ジョンとアジア学院の助けを必要としているという。
ジョンは、将来の計画はもっと進歩することだと言い、私との会話を締めくくった。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)


シリーズ記事はこちら

Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】

Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】

Vol.6 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 7日目】

Vol.7 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】

Vol.8 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 9日目】

Vol.9 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 10日目】

Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】

Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】

Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】

Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】

Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】<== 今ここ!

Vol.16 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 17日目】To Be Continued …

アジア学院、新年を餅つきイベントで楽しくスタート!

アジア学院では、新年の幕開けを日本の伝統的な餅つきでお祝いしました!蒸したもち米を、木製の臼と杵を使ってみんなで力を合わせてペッタンペッタンとつき上げます。このリズミカルで力強い餅つきの様子は、アジア学院が大切にしている協力と団結の精神そのもの。笑顔と掛け声が飛び交う、賑やかで楽しいひとときでした!

つきたてのお餅が出来上がると、いよいよみんなのお楽しみタイム!甘いあんこ、香ばしいきなこ、ピリッと美味しい大根おろし、そして海苔など、彩り豊かなトッピングが勢ぞろい。中でも大注目だったのは、よもぎを練り込んだ香り豊かなよもぎ餅!一口食べるたびに「美味しい!」の声があがり、みんなの笑顔がさらに広がりました。

このイベントは、異文化交流を通じて絆を深めるアジア学院ならではの素敵な時間でした。新年のスタートを飾る、心温まる伝統行事でコミュニティの一体感がますます高まりました。

あなたもアジア学院の一員になってみませんか?

アジア学院では、一年を通じてボランティアを募集しています。冬ならではのアジア学院体験や、餅つきのような楽しいイベントを通じて、国際色豊かなコミュニティで素晴らしい時間を一緒に過ごしましょう!ぜひお気軽にお申し込みください。

アジア学院一同、新年おめでとうございます!

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 14

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
この日スティーブンが訪ねたのは、2012年の卒業生キャサリンが指導する、村の貯蓄貸付グループ(VSL)です。彼女が教えるのはビジネスだけではありません。一つ一つの家族が夢をもって、自立して生きる術や、村人たちが協力し合って生きる道を教えているのです。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】

活気あふれるリガンガ村
今日は村を訪問する日だった。カイは休養が必要だったので、ンジャラ・リゾートに留まり、私は一人で出かけた。マックの友人がマンゴチに連れてってくれて、そこでキャサリン(2012年アジア学院卒)と彼女の団体の事務所で会った。彼女は2020年からワールド・リリーフ・インターナショナルで働いているが、アジア学院にいた頃はマラウイ北部のムズズにある中央アフリカ長老教会のリヴィングストニア長老会 エイズ・プログラムに在籍していた。我々は全員車に乗り込み、ナバレ地区にあるキャサリンの村の貯蓄貸付(VSL)グループに会いに出かけた。“我々”とは、キャサリン、インターンのウェジーとグループのメンバー1名、そしてもちろん運転手と私のことだ。

「私は彼女たちにフードライフ・ワーク*を教えています!」
道すがらキャサリンは、25名ほどのメンバーから成る102の農村グループと働いていると説明した。彼女たちは各世帯を定期的に訪問する、“世帯アプローチ”を採用しており、衛生、商売、総合的な家庭菜園について教えている。これには裏庭の菜園や、鶏、ヤギ、鳩(やっぱりザンビアの鳩は平和のシンボルだけじゃなかった!)などの小さな家畜も含まれるが、イスラム教徒の人口が多いので豚は含まれない。ご想像の通り、糞尿はそのまま堆肥の山になり、野菜を育てる。植樹も彼女たちのプログラムの主要な部分を占めている。「私は彼女たちにフードライフ・ワークを教えています!アジア学院でやっていたように」とキャサリンは説明する。家庭訪問は週に1回、1,100軒ほどを回っている。これだけの人数を管理するために、村のボランティアを訓練している。彼女たちの目的は、「人々を依存から自立へと導く」ことだ。リガンガ村に車を停めると、私たちは陽気な歌と踊りに出くわした。彼女たちはティリンビカVSLグループの女性たち(と数人の男性)で、12名でスタートし、現在は34名まで増えたという。グループの代表から正式な歓迎を受け、自己紹介を求められた。キャサリンがチェチェワ語の単語を予習してくれた。私はカンニングペーパーを見なければならなかったが、みんな理解してくれて、努力を労ってくれた!

グループは毎週金曜日に集まり、“フードライフ・ワーク”を行っている。そしてみんなで座り、気候変動とも呼ばれる予測不可能な天候パターンにどう対応するかなど、農場での問題について話し合う。次に、会計を見直し、グループの財務上の仕事を処理する。彼女たちが最も興奮して話してくれたのは、創造的で革新的な取り組みについてで、多くのことがなされている。

まず、480本の苗木を有する苗床のことだ。昨年、彼女たちは病院、教会、学校、そして自分たちの家の周りに2,000本の木を植えた。実際、このミーティングは伸びやかに広がる枝の涼しい木陰で行われており、村全体は緑で彩られていた。今年の目標は8,000本。どうすれば達成できるかはわからないが、それよりも重要なのは、ただ植え続けることであり、人々はとても意欲的だった。ただ植えるだけでなく、交代で水や堆肥から作った肥料を与えるなど、手入れも怠らない。これも彼女たちのフードライフ・ワークの一環なのだ。

彼女たちは自分たちの畑のほかに、グループの畑(よりフードライフ・ワークらしい)を管理しており、昨年は45袋のトウモロコシを収穫した。一部は売却してVSLに寄付し、残りはメンバーで分け合った。作業配分や収穫物・利益の使い道については、グループ全体で慎重に話し合い、合意を得るようにしている。

これが自給自足の考え方だ
ミーティングをしていると、グループメンバーの手による商品がたくさん載せられたテーブルが運ばれてきた。その中にはモリンガ・パウダーやバオバブ・パウダーも含まれており、村人たちがその効能を説明してくれた。「マラリアや栄養失調にいいし、HIV感染者にも効くんだ」。モリンガ入りの手作り石鹸もあった。ある少女は、皮膚病(疥癬)にかかったときにこれを使ったら治った、と説明してくれた。ビニール袋を編んで作った帽子やサンダルも展示されていた―― ゴミから有用なものへの変換だ。一人の女性が熱心にビニールの編み方を実演してくれた。「このアイデアはラジオから得たんです。ラジオが電話番号をアナウンスして、私たちはそこに電話して教えてもらったんです」。二人の女性が、村で重宝されている草マットの編み方を披露してくれた。展示されている製品はすべて販売されているとのことだった。そこで私は助言をもとに、彼女たちの活動を支援するべく、たくさん買い物をした。特に石鹸が気に入った。

とても興味深かったのは、「ブリケット」だ。これは紙を丸めて水に浸し、乾燥させたものだ。炭の代わりに使えば、一つの鍋で1時間調理することができる。それを証明するために、彼らは会議の間にサツマイモを調理した。古紙は主に学校からもらうそうだ。サツマイモは柔らかくて甘かったが、私には多すぎたので、子供たちに分けてあげようとした。拒否する子もいれば、取っていく子もいた。ある男の子は他の子たちにこう言った。「どうして僕たちが毎日食べているものを、お客さんがくれるからと言って、もらうの?」。このことは、この子供たちが飢えておらず、この村の状況がうまくいっていることを示していたが、彼らはきっとキャンディーを期待していたのだろう。あの紙製のブリケットは長期的な解決策にはならないかもしれないが、炭の使用をやめるための、私が目にした最初の実用的な試みだった!

村長も同席し、サツマイモやキャッサバの増やし方など、自分のノウハウをグループに伝えている。キノコ栽培も始めたいようだが、村長自身が教えるのか、それとも教えてくれる人を探すのかはわからなかった。
彼のもう一つの重要な仕事は、村の紛争を解決することだ。

鳥肌が立つ瞬間
キャサリンは次に、何か質問はないかと尋ねてくれたので、私は質問をした。まず、5年後に再訪したら何が見られるのか、つまり彼女たちの夢は何なのかを知りたかった。家々はすべて鉄板屋根になり、自分たちのグループは登録された協同組合になり、収穫物を保管する倉庫を持つようになるだろうと彼女たちは言った。大きな森があって、みんなが自分の土地で果物を収穫する!なんとシンプルで明快な、美しいビジョンだろう。村人たちが望んでいること、必要としていることが正確に反映されている。これこそ、キャサリンのような草の根の農村指導者を育成した成果だと私は思った。これこそが我々がアジア学院で働いている結果なのだ。鳥肌が立った!

あなたのコミュニティの美しさは何ですか?
次に、私の大好きな質問をした。あなたのコミュニティの美しさは何ですか、という質問だ。彼女たちは、乾季でもサツマイモ、トウモロコシ、キャッサバを栽培するための灌漑用水を供給できるマラウイ湖が近くにあることを指摘した。彼女たちにとっての美しさとは、視覚的な美しさではなく、湖の実用性だった!確かにその通りだ!
マラウイ湖からの灌漑は、聞いたことがなかった。おそらく、灌漑は湖にごく近い人たちだけが行っているのだろう。現時点では大規模な灌漑は行われていない。これが、人々が美しさについて語ったすべてである。我々はしばしば、自分の内側や身の回りの美しさに気が付かない。我々は問題や欠陥に目を向けがちだから、この質問は彼女たちにとってあまり意味をなさなかったかもしれない。しかし、私の目にはすべてが美しく映った。特にこのグループのエネルギーと活気は。

最後に、なぜ村の外からやってきたキャサリンに指導を任せているのかと尋ねた。彼女たちはこう答えた。「私たちが訓練を受けていることはとても有益なことです。以前の私たちは何もしていませんでしたから!」

VSLの内情
話は移り、彼女たちの生活がどのように改善されたかについての体験談になった。以前は野菜を買うのにお金を払っていたが、今は自分の家の裏庭で収穫することができる。肥料にもかなりのお金を費やしていたが、今では糞尿を堆肥として使う技術も向上した。次の夢はヤギを飼うことだ。上記の夢リストに追加しよう!人々はVSLのことも気に入っている。これによって、小さなビジネスを始めたり、子供たちの学費をまかなったりすることができるようになったからだ。

彼女たちがVSLについて言及したので、私はこのグループを立ち上げるために必要な信頼をどのように築いたのかについて尋ねた。このような性質のグループには、何よりも信頼が不可欠だ。彼女たちは、以下のような規約があり、全員がそのルールを知っていると説明した。

1) 毎週金曜日の午後2時に集まる。
2) 遅刻したメンバーは200クワチャを支払う。
3) 理由なく欠席した会員には罰金が課せられる。
4) ミーティング内での個人的なミーティング(グループチャットなど)には100クワチャの罰金。
5) 2週間欠席したメンバーには、連絡を取り、グループに残りたいかどうか尋ねる。

さらに、病気のメンバーを援助するための「ソーシャル・ファンド」がある。グループのお金は貯金箱に保管され、金額が大きくなると銀行に預けられる。

キャサリンから、“アジア学院の知識”を共有してほしいと頼まれた。私はいつも「部外者の発想」を持ち込むのをためらうのだが、キャサリンにせがまれたので、彼女たちの地域資源に関連した提案をいくつか試みることにした。動物の骨はどうしているのかと尋ねると、捨てているというので、骨炭を作ると堆肥にカルシウムを加えられることを話した。また、魚の内臓をどうしているのか尋ねたところ、乾燥させて飼料用の粉末にすることで、すでに活用していることがわかった!ボカシも彼らにとって目新しいものではないが、独自の方法で作っている。4年間堆肥を作り続けた結果、土壌は大きく改善され、保水力が増したという。

「自然は分かち合うもの」
会合は、ゲストブックへの署名と議長の感謝の言葉、そしてさらなる歌声により幕を閉じた!村人たちの熱意と「依存から自立へ」という自信に大きな衝撃を受けた。

村をぶらぶら歩いていると、アカシア、ムテテ、ンダイア、アタンガ、グアバといった地元の木を育てている苗床を見つけた。この活動は2020年に始まったが、木が彼らの生活を向上させたと誰もが喜んでいる。「ここではどの家にも木があります。」そして、どの家でも年に5本の木を植える。木々は木陰を作り、防風林の役割を果たす。果実や薬効のあるものもある。枝は剪定して、薪やフェンス、屋根葺きに使うことができる。種は売ることができ、葉は堆肥になる!木を植えることは悪いことではなく、その数が制限される理由は、苗木を植えるための筒が足りないということぐらいしか見当たらない!「人と木の関係はとても大切です。だから私たちは植えるのです。」

ウサギ小屋もあり、糞は毎日丁寧に集められている。ウサギはものすごいスピードでたくさんの子どもを産み、村中に配られる。誰もが裏庭にバナナの木を植えており、人々は(より多くのバナナを植えるために必要な)挿し芽を気軽に分け合う。なぜそんなことをするのか?
「自然は分かち合うものだから。」彼女たちは声高に言う。

星々の湖
私たちは次にマラウイ湖を見に行った。医師、宣教師として有名なデイヴィッド・リビングストンが「星々の湖」と呼んだ湖だ。今回は西側から眺めた(マクドナルドの家は東側にある)。その美しさと重要な資源として、マラウイの人々の誇りでもある。そこには洗濯をする人々や、泳いだり、水浴びをしたりする子供たちがいた。教科書の絵の中にしか存在しないと思っていた、丸太を掘ったカヌーもいくつかあった。湖は本当にきれいで、アメリカにある別の巨大な湖、ミシガン湖の湖畔で過ごした子供時代を思い出させてくれた。

キャサリン・ンタンボについてもう少し
キャサリンの家で昼食をとりながら、彼女は家族や仕事について話した。彼女は2012年に結婚したが、2019年に離婚した。2009年、2012年、2017年生まれの3人の男の子がいる。リビングストンでは主にマイクロファイナンスグループと仕事をしていたが、2020年にワールド・リリーフに入社した後も、マンゴチで同じ仕事を続けた。組織のモットーは 「共に前進する」だ。彼女は新しい家庭に出会うと、その家庭と一緒に、将来どうなりたいかを考える“ビジョン・ジャーニー”をするそうだ。マラウイの最貧困層は、政府から「社会的現金給付」を受けることができる。政府はワールド・リリーフのようなNGOを雇い、こうした家族の自立と、“現金給付制度からの脱却”を支援している。

出発前、キャサリンは誇らしげに所有するバイクを見せてくれた。農村部に出かけるには、車よりもバイクの方がずっと便利だ。彼女は私をこのバイクでリガンガ村まで連れて行くつもりだったが、私のための予備のヘルメットがないことを心配していた。最初は私の安全のためだと思ったが、実際は警察から罰金を科されるのを恐れてのことだった!(あなたの安全のためにも、とすぐに付け加えたが‼‼)

マックの家に戻ると、カイの体調はかなり良くなっていた。オレンジ色の太陽がマラウイの光り輝く湖の底に沈んでいくのを眺めながら、ベランダで一緒に夕食を楽しんだ。食卓に上がったのはチャンボという、この近くの水域でしか見られない魚だった。


* フードライフ・ワーク:食といのちは切っても切り離せない、というアジア学院の造語、「フードライフ」を実践する、学院での朝夕の農作業や家畜の世話、食事作りなどの仕事のこと。

文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)


シリーズ記事はこちら

Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

Vol.3 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 4日目】

Vol.4 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 5日目】

Vol.5 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 6日目】

Vol.6 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 7日目】

Vol.7 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 8日目】

Vol.8 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 9日目】

Vol.9 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 10日目】

Vol.10 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 11日目】

Vol.11 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 12日目】

Vol.12 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 13日目】

Vol.13 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

Vol.14 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 15日目】<== 今ここ!

Vol.15 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 16日目】To Be Continued …

農村指導者たち ― アフリカ旅行記 Vol. 13

8月にアフリカを訪れた、アジア学院職員スティーブンが書く旅行記を、シリーズで皆様にお届けしています。
マラウイで最初に訪ねたのは、アジア学院での学びを実践し、人々に教え、隣人の生活や村の環境に変革をもたらしている“農民リーダー”、エネト(2013年卒)です。
それでは早速、アフリカの旅へ出発です!

【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 14日目】

さあ出発だ
今朝、我々はリロングウェからサリマに向けて、午前10時頃出発した。マラウイはザンビアほど広大ではなく、道路の状態は2種類に分かれているようだ ――すごく良いところと、すごく悪いところ。今日の道の大半はすごく良かったが、状態の悪いところも部分的にあった。カイの体調は良くなっていたが、まだ本調子ではなかった。彼は、リロングウェの病院はやめて、マックが住んでいるマリンディの病院に行くことにした。

駐車と洗車
街を出る前に、私たちは非公式の両替屋、駐車場にいる男性の元に立ち寄った。マクドナルドはWhatsAppで彼に連絡し、ここで会う約束をしていた。銀行のレートは1ドル=1,700マラウイ・クワチャだったが、路上レートは2,400だった。かなりの差だ。ちなみに駐車場は洗車場にもなる。スポンジとバケツに入った水を持った抜け目のない起業家たちが、買い物中に車を洗ってくれるのだ。フロアマットの掃除もしてくれる。この駐車場で、私たちはヴェー(2018年アジア学院卒)にも出会った。彼女はラジオ局での早朝勤務を終えたばかりで、のちにまた会う予定なのだが、ここを通過する我々に挨拶するために立ち寄ってくれたのだ。ヴェーとおしゃべりしながら、周囲を歩きながら行商をしている男性から、マラウイの村の風景を描いた絵を数枚買った。駐車場は賑やかだったから、こんなことをするのも悪くないと思ったのだ!

ようやく我々は出発したが、すぐに警察に止められた。何が違法なのか?駐車場から道路に右折するのが違法だ、というのが警官の説明だった。マックが“右折禁止”を示す標識がないことを指摘すると、警官は「しかしこれは法律であり、知らなかった、は言い訳にならない。」と言った。私の頭の中でたくさんの疑問符が浮かんだ。というのも考えてみてほしい。警官は何でも法律だからと言うが、そう言われたら、我々は何ができると言うのだろう。マックはこれを“政府の資金調達”と呼び、対処法を心得ていた。罰金は20,000クワチャだったが、どういうわけか10,000クワチャ(約4ドル)に“交渉”することができた。これはマラウイの人々が日々対処しなければならないことの、ほんの一例に過ぎない。

道路に関するとりとめのない話
マックから、道路はポルトガル人によって作られたと聞いて驚いた。私がこれまで訪れたアフリカのどの国でも道路を作っているのは中国人だったからだ。バイクや自転車のタクシーもあり、トラックの荷台に乗れるだけの人数を乗せて、行き先を大声で叫ぶ人もいる。意外なことに、この最後のバージョンのタクシーは、高齢の人々も含めて(乗り心地が悪いだろうに)、多くの人々に人気なようだ。値段がいいのか、それとも他に選択肢がないのか。

村に居ながらにして生活を向上させる
細長いこの国の狭い幅を、マックはわずか数時間でマラウイ湖に向かって縦断した。
サリマ地区でエネト(2013年アジア学院卒)に会った。エネトがアジア学院から戻ると、彼女の仕事はなくなっていた。アジア学院との契約はこのような形で結ばれるはずはなく、エネトにとっては間違いなく苦難の時だったが、彼女は立ち直り、農業で生計を立てている。

彼女の家に行くよりも前に、彼女が我々に最初に会わせたかったのは、“最初の農家”だった。エスター・ルバニという女性で、彼女の友人であり、アジア学院での学びを分かち合った最初の人である。エネトの指導の下、エスターはヤギを飼い始めた。ミルクと肉、そして堆肥を得るために。ヤギは床を高くした手製の小屋で飼育されている。高い床でヤギを飼う方が衛生的だし、糞を集めるのも簡単だ。農家が市販の肥料に頼るのをやめたかどうかは、家畜の糞尿をどれだけ大切にしているかですぐにわかる。エスターは現在45頭(かなりの数だ)のヤギを飼っており、その糞尿をトウモロコシ畑で使用している。この方法を始めた当初、彼女はすぐにその効果に気づいた。今年は干ばつにもかかわらず、2エーカーで92袋のトウモロコシを収穫した。彼女は誇らしげに、家の中に保管されているトウモロコシの袋を見せてくれた。近所の人たちも注目しており、どうすれば雨が少ない時でも豊作になるのか教わるために訪ねてくる。

彼女が農場で成功したことは、家計の収入を増やすことにつながり、それは有効に活用されている。彼女は、“とても役立つ”電動耕うん機を購入し、大学生1人を含む、子供たちの学費も難なく支払うことができている。また、冷蔵庫やソファーセット、その他多くの生活用品を購入した。我々には当たり前かもしれないが、平均的な村人には手の届かないものだ。

エスターは、エネトが「村に居ながらにして、生活を向上させてくれたこと」に深く感謝し、こう話した。「私たちはエネトのやり方を試すことを厭いません。彼女が自分の畑でも同じことをしていたからです。」
エスターのこの最後の発言は、“農民リーダー”がコミュニティでどれほどの影響力を持ちうるかを示してくれた。私の考える“農民リーダー”とは、生業として農業で身を立てることに成功しながらも、コミュニティ全体とつながり、人々に技術を教え、分かち合う農民のことだ。これは非常に力強いモデルである。

農民リーダー
我々はエネトの家に向かい、彼女が用意してくれた美味しいランチをいただいた。彼女の農園でも見るべきもの、学ぶべきものがたくさんあった。エネトの夫は私と同じくスティーブンと言い、彼は私たちを出迎えるなり、「エネトが僕を変えたんだ!」と言った。
彼女がアジア学院から戻った直後から、有機農業を始めたが、最初の年は収穫量が減ったので、2人の間で意見が対立することもあった。2年目には収穫量が増え、3年目には以前よりも多くの収穫量を得た。今では生粋の有機農家で、近隣住民もそれに続こうとしている。「このコミュニティでは、誰も糞尿をくれないんだ。でも以前は、どこからでも手に入れることができた。」とスティーブンは説明する。肥料を買わずにすむので、人々にとってかなりの節約になり、糞尿の販売も始めた。昨年は141袋の動物の糞を販売したそうだ!

スティーブンは近くの村の学校で教師をしているが、「それに頼っているわけではない」。つまり、それが彼の唯一の収入源ではない、ということだ。もしそうなら、収入は本当にわずかなものだった。彼らは農場で収益を上げているのだ。一家は家の近くのコラ(畜舎)で豚を飼育しており、現在そこには20頭ほどの豚がいる。以前は100頭いて、そのうちの35頭を売った時に車を買うだけのお金ができたが、不幸にも事故に遭ったので売ってしまった。今はロバの荷車に頼っているが、これも豚から得た利益で購入したものだ。そして、彼らの家でさえも、農業で成功した結果だという。

主な飼料はトウモロコシのふすまだが、干ばつで不足している。人々がふすまを食べるようになり、飼料として販売しなくなった結果、40頭の豚が飼料不足で死んでしまった。彼は自分で飼料を作れるように、脱穀機と製粉機を買う予定だ。また、ふすまをくれれば、隣人のトウモロコシをすべて無料で脱穀することを考えている。トウモロコシの脱穀は家族経営の農家にとってかなりの出費だから、これは良い取引だろう。豚の飼育には挫折もあったが、それでも年に2、3回は複数の子豚を産むというから、収益性は高いという。豚熱については何も触れなかったので、彼がそのような事態に陥らないこと、あるいはリスクを減らす方法を知っていることを願うばかりだ。

肥やし大好き!
昼食後、エネトとスティーブンは農場と学校を案内してくれた。まずは、家までの小道として植えられた美しい並木から。これらの木々は敷地を新鮮で清潔なものにしていた。私は、なぜ村人たちの家の周りには木が少ないのだろうと不思議に思った。エネトの家には唯一、たくさんの木が生えていた。村々がいかに荒廃して埃っぽいか、そしてなぜ卒業生たちが植樹を奨励し、実践しているのかよく理解できた。生活の質を向上させる、とてもシンプルな方法なのだ。次に、利便性のためにきちんとラベルが貼られた、さまざまな材料からなる堆肥の山を見学した。植物性の堆肥の山と、家畜の糞に、トウモロコシの殻、灰を混ぜた堆肥の山があり、21日間保管される。これは、彼らがンドマ・プーと呼ぶ現地の堆肥化技術だ。コラの横には、豚の糞が入った袋がいくつもあった。私は、農家の人たちが動物の糞を見せてくれる時に浮かべる満面の笑みが大好きだ。まるで何か深い秘密を共有しているかのようだ。最後の山にはエコサンと書かれていた。エコサンはエコロジカル・サニテーションの略で、この堆肥はエコサン・トイレの人糞から作られている。マラウイの他の卒業生たちが所属する、衛生管理プロジェクトという団体が、エコサン・トイレを推進しているが、エネトとスティーブンはそこから学んだのだろうか。このトイレはとてもシンプルなデザインで、水を必要としない。ただものすごく深い穴を掘るだけだ。一つの穴がいっぱいになるまで使い、別の穴に切り替える。使用後は毎回、臭いと細菌の発生を抑えるために、土と灰を入れておく。最初の穴がいっぱいになったら密閉し、半年待てば、ほら、農地1エーカー分の安全な堆肥のできあがりだ。彼らは我々にそれを見せてくれた ――例の“秘密の笑顔”で!

動物除けのフェンスに囲まれたエネトの菜園を見た後、我々は学校に向かった。この地域では、家畜ではなく野菜に柵をしているのが面白い。途中、斜めに生えている木の横を通り過ぎた。エネットはこの木を使って子供たちに植林について教えている。この木が曲がっているのは、あなたたち子供が登ってだめにしてしまったからだと彼女は言う。でも、木は痛みを感じることができる生き物だから、大切にするかどうかは私たち次第だと。
学校にはアカシアの森があり、生徒たちが植え、世話をしていた。これもスティーブンの取り組みのひとつだ。もうひとつはバナナ畑で、堆肥を入れた柔らかい土に植えられている。泥棒ヤギたちの襲撃から守るため、フェンスで囲っている途中だ。スティーブンは環境保護に対する意識が強く、その行動は生徒たちに多大な影響を与えている。よく他の学校に頼まれて、環境に対する意識を向上させる手始めとしての植樹の手伝いをするそうだ。

彼らは我々に、有機農業の歩みを継いでいる近隣の養豚農家に会わせたかったようだが、残念ながら時間が迫っており、我々にはまだ長旅が残っていた。我々はエネトを手伝って、彼女が町で開いている小さな店(彼女の数ある取り組みの一つ!)に車で商品を運んだ。

さらなるマラウイについての学び
我々が車を走らせていると、ある地点で、数人の子供たちが長い枝を振りながら道路に立っていた。我々にスピードを落とせ、あるいは止まれと言いたい様子だったが、一体何のために? マックは、彼らは短い区間の穴ぼこを土で埋めたので、その努力に対して寄付金を求めていると説明してくれた。私はアフリカの他の地域でもこのような活動を見たことがあり、賢い取り組みのように思えるが、地元の人たちはそれをあまりよく思っていない。彼らはむしろ、政府が、道路を良好な状態に保つための仕事をするべきだと考えているからだ。

マンゴチの町はマラウイ湖の南端に位置し、そこから広いシャイア川が流れ、“日本の人々”によって作られた美しい橋がかかっている。イスラム教徒が多く、実際、そのような装いをした人を多く見かけた。マックによれば、この地域は教育水準が低く、若い人たちは南アフリカで下働きをしているという。南アフリカは暴力犯罪の多い国だと考えられているので、マンゴチの住民は、若者がこの悪い文化をマラウイに持ち帰っていると主張している。

ンジャラ・リゾート
マンゴチからマリンディにあるマクドナルドの家までは、“すごく悪い”道をさらに一時間走った。その途中、我々はさらに2つの(絶対に日本人の手によるものではない)橋を渡った。私は対岸に着くたびに感謝の祈りを捧げた!

マラウイ湖のすぐほとりにあるマクドナルドの家に着いたときは、もう日が暮れていた。彼の奥さんと4人の子供のうちの2人が出迎えてくれた。13歳のノリコは、マクドナルドがアジア学院から戻った直後に生まれ、我々への最初の言葉は「コンニチハ」「ハジメマシテ」だった。ナンディ(2歳)は末っ子で、その誕生は全く思いがけないものだったという。彼女が家庭を牛耳っているのだろう。

カイの熱が上がったので、マックは教会が経営している地元の診療所に電話し、夜遅かったが、2名のスタッフが診察に来てくれた。そこは清潔で衛生的で、設備も整っていた。彼らはカイの血液を採取し、精巧そうな機械にかけた。診断の結果、マラリアやその他の大きな問題はないとのことだった。ただの風邪で、薬もその場で処方してもらえた。

マックの家に戻ると、ベランダに美味しい夕食が待っていた。湖面は穏やかだったが、漁師たちの叫び声が夜遅くまで響いていた。カイは、私が「ンジャラ・リゾート」と名付けたこの場所で、明日一日休むことができると知って、気持ちが楽になったようだった。ンジャラ・バンダはマクドナルドの本名、あるいは少なくともその一部である。


文:スティーブン・カッティング(卒業生アウトリーチ担当)
旅の同行者:篠田 快(学生募集、採用担当)

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Vol.0 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 序章】

Vol.1 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 1-2日目】 

Vol.2 【アフリカ 卒業生を訪ねる旅 3日目】

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RICE Mediaが注目!アジア学院の活動とコミュニティ

オンラインコンテンツを通じて社会問題に取り組むRICE Mediaが最近、アジア学院を訪問し、私たちのコミュニティが行っている意義深い取り組みについて取材しました。訪問中には、ボランティアやスタッフ、その他のコミュニティメンバーにインタビューを行い、アジア学院が世界の農村地域で持続可能な発展と平和構築の拠点となっていることを紹介しました。

インタビューの成果は、Instagramの投稿に鮮やかにまとめられ、学院の使命の本質を美しく捉えています。有機農業に関する議論から共同生活の様子まで、RICE Mediaの報道は、アジア学院がどのようにして世界中のリーダーを育成しているかを明らかにしました。

この投稿は、農村地域でのリーダーシップ育成に対するアジア学院の取り組みを強調するだけでなく、持続可能なコミュニティを創造する上で国際協力の重要性をも浮き彫りにしています。

RICE MediaのInstagram投稿はこちらでご覧いただけます: https://www.instagram.com/p/DEMsBLozhIR/

\\ アジア学院おせちでお正月 //

あけましておめでとうございます! 2024年度卒業生が帰国した後も、お正月も!アジア学院の職員やボランティアはキャンパスで働き、生活しています。

お正月を祝うために、アジア学院のコミュニティーメンバーは日本の伝統的なおせち料理を用意しました。 新年を祝い、これからの季節の豊作を祈るために作られたおせち料理には、一品一品に意味があります。

今回のような小規模な集まりでも、アジア学院のコミュニティ・メンバーはごちそうを囲み、親睦を深めて新年を迎えました。2025年が健康で実り多き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます!

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