2025年 2月20日 木曜日
古きミッション・ロード
スーレンダーについて一つ知っておくべきことがあるとすれば、彼がトレッキングをこよなく愛しているということだ。この山で生まれた彼の足跡がついていない場所など、おそらく一箇所としてないだろう。というわけで、太陽が目を覚ます前、我々は敷地内で合流し、スーレンダーがこれまでに何千回と歩いたであろう山道へと向かった。私にとっては未知の道で興奮に満ちており、まるでキプリングの小説に出てくる「異国」の地へと続く道のように感じられた。1916年に設置された古い標識の脇を通り過ぎる時、その感覚はさらに強まった。そこには雄牛や水牛とその子ども、あるいは人力車、「5本のロープで引く荷車」、自動車、そして歩行者それぞれの通行料が記されていた。ヒンディー語が読めなくても心配はいらない。同じ情報がウルドゥー語でも併記されている。これが、ムスーリーへと続く「古きミッション・ロード」であった。
リタも一緒だった。道中、一匹の地元の犬が「朝を過ごすのにこれ以上の方法はない」と言わんばかりについてきた。この辺りには犬がたくさんいる。混血のたくましい山岳犬たちで、自由に走り回っているが、よく世話をされており、人懐っこい(少なくとも私が出会った犬たちはそうだった)。道は壊れた舗装路から細い歩道へと変わり、しばらくするとスーレンダーが山肌にしがみつくように建つ街を指さした。「あそこがムスーリーだ。」我々はそこで引き返したが、その前にしばし日の出を楽しみ、持参したバナナを口にした。
ムスーリーへ
朝食をとりながら、スーレンダーは沈痛な面持ちで、休止に追い込まれたMGVSのプログラムについて語った。一時的な中断であってほしいが、事態はより深刻かもしれない。街から60kmほど離れたフィールドセンターでは、村人たちのためにあらゆるプログラムを行っていたが、今、彼はスタッフが再就職できるよう推薦状を書いている。しかし、一つのプロジェクトだけは継続している。リタが4年前から働いている、MGVSカプラニ学校の運営だ。実は、このチャパティを全部平らげたら、すぐに向かうことになっている!
ムスーリーは、デラドゥンの谷から7,500フィート(約2,286m)の高さにある、まさに山頂の街だ。デリーの人々にも人気の休暇スポットで、夏場は観光客で埋め尽くされる。5つ星ホテルから簡素なゲストハウスまで、急峻な地形を削って建てられたホテルが、文字通り重なり合うようにひしめいている。近年当たり前のように降るようになった豪雨を思うと、少し不安になる。かつて、これらの土地はすべて村人たちのものだった。しかし、ビジネスマンたちが現れ、ルピーの詰まった袋を見せられると、人々は期待で胸を膨らませて、土地を売った。そして今、彼らはそれらのホテルで雇われ人となっている。
アジア学院の足跡
不意にスーレンダーが指をさし、「あれがウッドストック・スクールだ。」と言った。その場所の重要性を理解するのに少し時間がかかったが、そこは非常に名高い国際寄宿学校だった。MGVSの創設者は、長老派教会の宣教師の子どもとしてそこへ通った。後に彼自身も宣教師となり、その学校の総長を務めた。アジア学院の2人のスタッフの子どもたちもそこへ通っていたという。アジア学院のスタッフがこの地域を訪れるのは久しぶりだ、と書いたのを覚えておいでだろうか。確かにそうなのだが、かつてアジア学院創設期のスタッフである三浦さんと牧野さんは、近くのアラハバード(現プラヤグラージ)にある研修所と強い繋がりがあり、頻繁にここを訪れていた。小さなアジア学院の活動が、これほど広く、そして50年以上にわたって深く根付いていることに、私はいつも驚かされる。
インド社会の多くの優秀な人々がウッドストック・スクールで学び、その一部の人々がMGVSを支えている。カプラニ学校が存続できているのも、そうした理由があるのだ。最近ではコンピュータ室のための資金提供もあった。また、運営主体をキリスト教リトリート・研究センターに移したことも、当面の安定につながっている。
カプラニ学校
ようやくカプラニに到着すると、幹線道路を外れて信じられないほど急で狭い脇道へと入った。スーレンダーは愛車のマヒンドラを巧みに操ってそこを下り、校門前の斜面に車を停めた。私はすぐさま彼を助け、大きな石を見つけてきて、4つの車輪すべてに車止めをした。自分の乗り物が、自分抜きで山を下りていくような事態は避けたかった。階段で2日分の荷物を運び込み、キッチンへ入ると、スーレンダーは辺りを見回して言った。「私の人生のすべては、この山々にある。」そして曇り空の北の空を眺め、「今日はヒマラヤが見えないな。」とつぶやいた。
ジンジャーティーを一杯いただいた後、校内を見学した。試験期間中ということもあり、生徒の多くは試験を受けに外出しており、先生たちもその試験監督で不在だったため、学校はいつもと違って静かだった。しかし、一つの教室で、男子生徒と女子生徒の一群が一緒にサンスクリット語を勉強しているのを見つけた。あるいは、少なくとも彼らは机に向かい、サンスクリット語の教科書を殊勝にも開いていた。サンスクリット語を学ぶことで、古代文学を読むことができるようになるという利点があるのだと、彼らは私に語った。その時の彼らの表情は、私が彼らの古代文学への深い愛を疑いなく信じるべきだと言わんばかりに、どこか茶目っ気を含んでいた。生徒たちは皆、周辺の村々の出身で、5kmも歩いて登校してくる。25年前、ここには学校が一切なかった。地元の子供たちはどこか遠くの(高額な)寄宿学校に行くか、教育を諦めるしかなかったのだ。
MGVSは小学校の設立から始まり、スーレンダーは数本のプラムの木を自ら植えた。木々は学校とともに成長し、満開の花で私たちを迎えてくれた。正式名称は「MGVSカプラニ学校」。現在は12年生(高校卒業段階)まで拡大している。そうそう、この学校のYouTube動画を見つけた。
(https://www.youtube.com/watch?v=pyeIOYEFkhc) この学校も、最上級生が進級するタイミングに合わせて、毎年少しずつ学年を増やしていったのだろうか。ケニアの卒業生が始めた学校も、まさにそんな風に成長していった。その素晴らしい話は、また別の機会に。ただ、スーレンダーは今、資金不足で学校給食プログラムが続けられるかどうかを心配している。
アジア学院の思い出、アジア学院で抱いた夢
昼食時にはキッチンから、我々のためにマノジが用意してくれている料理の良い香りが漂ってきた。マノジは寡黙だが料理の腕は一流で、今回の遠征に同行してくれた。私たちが持ってきた食材で、彼は美味しいダル(豆)カレーと野菜、果物を用意してくれた。
食事をしながら、スーレンダーはアジア学院で研究科生をしていた時のことを懐かしそうに語った。当時、山形さん(アジア学院スタッフ)が出張に行く時は、すべての家畜の世話をスーレンダーに託したという。スーレンダーはボランティアの瀬谷佑介さんと伊藤幸慶さんの助けを借りて、それをやり遂げた。瀬谷さんは後に有機農家となり、二人ともスーレンダーを訪ねてこの地へやってきたことがあるそうだ。
リタもアジア学院での日々を思い出し、そこで抱いた夢を語ってくれた。それは、若い人たちに機織りを教える女性グループを作り、伝統的な民族衣装を保存することだった。彼女の故郷、マニプール州の女性たちは精巧な機織りをすることで有名で、村ごとに独特の色や模様がある。しかし、多くの手仕事と同様に、その技術は失われつつある。彼女の手には負えない「事情」により、この夢は現在保留、つまり延期されているが、彼女は今もその想いを抱き続けている。私は偶然にも、彼女をアジア学院に送った団体を知っていた。その団体はアジア学院卒業生によって設立され、女性の地位向上や、機織り、現地の建築様式、音楽、歌などの伝統保存に尽力している。数年前にそこを訪れた際、ニ人のマニプールの女性が伝統的なスタイルで、アドリブで完璧なハーモニーの歓迎の歌を歌ってくれた。あの時のことは決して忘れられない。
先ほど触れた「事情」とは、リタの故郷、マニプールで再び激化している民族間暴動のことだ。住宅への放火、性的暴行、殺害が横行しており、軍による検問所の設置や封鎖措置がなされているにもかかわらず、極めて危険な状況にある。他のインド人はこの状況をどう思っているのかと尋ねると、スーレンダーもリタも即座に「おそらくほとんど知らないだろう。」と答えた。人々にとって、マニプールは遠い辺境の地なのだ。それは「忘れ去られた戦争」の一つかもしれないが、私は忘れることができない。なぜなら、私たちの卒業生たちがその「辺境」で生きているからだ。マニプールには50人以上のアジア学院卒業生がおり、私はWhatsAppを通じて、時折その安否を確認している。いつも彼女たちの身を案じ、安全を祈っている。今のところ皆無事だが、その生活は決して楽ではない。
ドライブ…
少し休んだ後、素晴らしい景色と「泥棒ザル」で有名なランドールという地区へ向かった。サルの戦略はこうだ。まず一、二匹が可愛らしいポーズで座り、写真を撮るよう誘う。その隙に、仲間が走り寄ってきて、人間が持っている食べ物をひったくっていくのだ。車の窓も閉めておいたほうがいい。彼らは間違いなく車内に侵入し、いたずらをするからだ!いつか、彼らはギアの入れ方を覚えて車を走らせてしまうかもしれない。最も多いのはアカゲザル(Macaques)だが、長い尾と黒い顔のハヌマンラングール(Langurs)もたくさんいた。
カーブを曲がった時、スーレンダーが谷の向こう側の一点を指さした。「あの村が見えるか?かつてあそこで働いていたんだ。保健とワクチンのプログラムをやっていた。とても遠くて、歩いてしか行けない場所だよ。」前述した通り、この山の中に彼が関わっていない場所などないのだ。
それにしても、スーレンダーの卓越した運転技術には驚かされる。急カーブや狭い山道を進むだけでも大変なのに、彼は崖から転落しないよう完璧にクラッチを操作しながら、追い越し、Uターン、そして狭い場所への駐車をこなしてしまう。
…そして、ストール
夕暮れ時、私たちはムスーリーの繁華街を散歩した。珍しいストリートフードが並んでおり、リタがポップコーンの大きな袋を買ってくれた。スカーフを売る店に目が留まると、スーレンダーは「値段を聞いてくるから外で待っていてくれ。」と言った。私が2枚選んで支払おうとすると、値段が突然2倍になった。スーレンダーが割って入って状況を正してくれたおかげで、我々は上機嫌で店を後にした。まあ、上機嫌だったのは私たちだけで、商人は「観光客価格」を取り損ねて不服だったかもしれないが。
帰り道、二人の女性が一本のシャベルで砂利をかいているのを見た。想像しにくいかもしれないので説明しよう。一人の女性がシャベルを砂利に突き刺し、もう一人がハンドルの付け根に結ばれたロープでスコップ部分を引き上げるのだ。協力し合うことで、腰を痛めるような作業を避け、重い荷を持ち上げることができる。独創的な工夫だと思ったが、彼女たちにとってはごく普通の日常なのだろう。
さて、この興味深いシャベルの話をもって、今日一日を締めくくることにしよう。