2025年 2月20日 木曜日
ウッタラーカンド州へ
今日、私はウッタラーカンド州へと向かう。地図を見ればわかる通り、そこは南インドではなく、はるか北、ヒマラヤの麓に位置している。では、なぜ南インドの旅程にここが入ったのか?
それは、SNSを通じて活動を少し知っていた二人の素晴らしい卒業生がその地域にいるが、何年もの間、ここを訪ねるアジア学院関係者はいなかったからだ。さらには、国内線の航空券がそんなに高額ではなかったこともあり、今こそ彼らを訪ねる時だと決めたのだ。
その日はホテルの朝食から始まったが、給仕してくれたのは前回と同じく、インドの他地域から来たスタッフだった。彼らはインド北東部のアッサム州やトリプラ州、あるいはネパールの出身だった。人々は仕事を求めて大都市(主にサービス業)にやってくる。同じ国内でも、彼らにとっては、慣れない習慣や文化、そして言葉までもが異なる「外国」のような場所なのだ。
デラドゥンまでの3時間のフライトは、離陸時に少し妙な音がしたことを除けば、特に何事もなく穏やかだった……そして、予想もしていなかったのに提供されて、なぜか特別に感じられた最高のチキン・ジャングリー・サンドイッチも印象的だった。インドにこれほど素晴らしいサンドイッチがあるとは誰が想像しただろうか。かつてベトナムでも同じ驚きを味わったことがある。バインミーを聞いたことはあるだろうか?私は自他共に認めるサンドイッチ愛好家として、いつか「世界サンドイッチ・ツアー」をしなければなるまい。それからもう一つ、パイロットが女性だったことも記しておこう。驚くべきことではないかもしれないが、コックピットの中では彼女たちはまだ明らかな少数であるため、注目に値する。
二人の卒業生との再会
夕暮れ時の涼しいデラドゥンで、スーレンダー・シン(1989年アジア学院卒、1996年研究科生)が迎えてくれた。驚いたことに、彼は私が会えると思っていなかったもう一人の卒業生を連れてきていた。おかげで、ウッタラーカンド州で会うことのできた卒業生は計三人となった。それはマニプール出身のリタ(2007年アジア学院卒)で、ここ数年、スーレンダーと一緒に働いている。我々はスーレンダー愛用のマヒンドラ社の4WDに乗り込み、町へと向かった。言い忘れたが、デラドゥンはこの州の州都である。しかし、スーレンダーの活動拠点はさらに高い場所にあるムスーリーにあるため、ここには長く留まらない。私はこのムスーリー(Mussoorie)の発音を覚えるのに苦労した。アメリカ人なら、どうしても合衆国のミズーリ州のように言いたくなるだろう。だが正しく発音したいなら、ミズーリという場所が存在することを忘れ、「ムース(Moose)」に「オーリー(oory)」を付け足さなければならない。
MGVS
町へと続く長い道は鬱蒼とした森に包まれ、町中の道は「ウシ」だらけだった。ここは決して「ウシ進入禁止の道」ではなかった。あちこちに「ゾウ横断注意」の標識がある。そこでは誰が優先権を持っているかは一目瞭然だ。道中、スーレンダーは、今も、彼をアジア学院に送り出した団体で働き続けていることを話してくれた。彼は40年以上MGVSに在籍し、かなりの長い期間、代表を務めている。MGVSとは「Mussoorie Gramin Vikas Samiti」、ヒンディー語を話さない人々のために訳すと「ムスーリー村落開発委員会」となる。今、彼の心を最も悩ませているのは、昨年8月にFCRAの申請が却下されたことだった。申し訳ないが、私はヒンディー語であろう、この正式名称を知らない。だが要点を言えば、外国からの資金提供を受けることができなくなったということだ。結果、20人のスタッフを解雇せざるを得ず、一つのプログラムを除いてすべての活動がストップしてしまった。特に歯がゆいのは、支援者たちは継続を望んでいるのに、スーレンダーがこの問題を解決するまでそれが許されないということだ。却下の理由は単純な監査ミスとされているが、その裏にはもっと不穏な動機があるかもしれない。インドの与党、BJPはヒンドゥー至上主義を掲げており、他の宗教や文化に対して抑圧的であるとの主張も多い。このブログでは、私が耳にした政治的なコメントには深入りしないようにしてきた。それらは非常に複雑で混乱を招きやすく、時に危険ですらあるからだ。しかし、ヒンドゥー教徒でない人々が弱い立場に置かれていると感じたのは事実だ。
中断されている二つのプログラムは以下の通りだ。(1)「 MGVSの農村開発プログラムの成果測定」。これについては、後ほど山を歩きながら彼らが40年かけて行ってきたことを詳しく紹介することにする。そして、(2) 「女の子たちのレジリエンス」。18の学校の女子生徒に働きかけを行い、彼女たちが自分の才能や夢を見つける手助けをする活動だ。保守的な社会では、女の子が夢を持つことなど期待されていないという背景を覚えておいてほしい。
ラージプールと呼ばれる街の一角に到着し、我々は一つの門をくぐった。その向こうには、ガンジー自らが植えた木が立っていた。この敷地は「キリスト教リトリート・研究センター」で、1950年代にインドのキリスト教会がより独立できるよう、世界教会協議会(WCC)の支援を受けて設立された場所だ。ここがまさに、1981年に山村へのアウトリーチ・プログラムとしてMGVSが誕生した場所であり、2006年に独立した組織となった地でもある。
敷地と施設は広々として手入れが行き届いていたが、私が泊まるゲストハウスのバルコニーや玄関の側面が、頑丈なスチール製の檻で囲われているのを不思議に思った。スーレンダーの説明によれば、それは「猿除け」だという。まるで立場の逆転した動物園のようだった。
ガラム・ガラム・チャパティ
お湯、お茶、石鹸、タオル、正常に作動するヒーターなど、夜を過ごすのに必要なものがすべて揃っているか確認してくれた後(なんと心のこもったもてなしだろう!)、スーレンダーとリタが夕食に招待してくれた。食堂のテーブルには、地元のグアバ、オレンジ、リンゴが完璧に盛り付けられたものが用意されていた。我々が座って、食前の祈りを捧げると、料理人がフライドチキン、野菜、そして食べきれないほどのチャパティを運んできてくれた。一枚一枚、その場で焼かれた熱々の「ガラム・ガラム・チャパティ」だ(下のヒンディー語レッスンを見てほしい)!
食事をしながら、リタが近況を話してくれた。彼女は4年間、トリプラ州のミッションスクールで教鞭をとっていたが、コロナ禍ですべての学校が閉鎖され、仕事がなくなってしまった。そこで彼女はアジア学院卒業生たちに連絡を取り、スーレンダーがそれに応じたという。教員免許を取得することを条件に、彼らの学校(明日訪問する予定)で教えないかと誘ったのだ。彼女は自分の兄弟の助けを借りて見事に免許を取得し、今は山の上で教師として暮らしている。
もう一つの言語
インドの新しい土地に来たからには、新しい言語レッスンが必要だ。今回の旅で初めて、私はヒンディー語圏に足を踏み入れた。しかし、リタにとってはこれも外国語なのだ。これら多くの言語やインドの複雑さで、読者の皆さんを混乱させてしまっているかもしれない。だが、混乱こそが学びの第一歩なのだ。単純で分かりやすい一般論を超えて、文化や人々を形作る、複雑で絡み合った実像を直視すること。しばらく混乱の中でもがいてみれば、おのずと自分を少し賢くしてくれる問いが生まれてくるはずだ。少なくとも私はそう考えている。
というわけで、今日のヒンディー語レッスンはこちら:
- Namaste(ナマステ) – こんにちは
- Dhanyavaad(ダンニャワード) – ありがとう
- Swadist(スワーディシュト) – 美味しい
- Garam garam chapati(ガラム・ガラム・チャパティ) – 熱々のチャパティ