南インド 14日目

2025年 2月18日 火曜日


お湯とウォーター・ドーサ

ロイ、ワジード、そして私は、チャンナッパが運営するチンタナ財団に宿泊した。朝、ワジードが巨大な電熱コイルと水の入ったバケツを持っているのを見て、危険な科学実験でも始めるのかと思ったが、しんせつにも私の洗面のためのお湯を沸かしてくれていたのだった。朝食はチャンナッパの家で、新鮮な果物と「ウォーター・ドーサ」と呼ばれる薄いクレープのような料理をいただいた。家に入る直前、隣人がその小さな店を清めるかのように、お香を振りまいて煙で満たしているのが見えた。

チンタナ財団

朝食後、チンタナのスタッフおよび、彼らと密接に協力している「プラガティ・チャリタブル・トラスト」という別の団体のスタッフと面会した。両団体とも子どもの教育と有機農業の推進に取り組んでいる。チャンナッパは1995年にチンタナ財団を設立し、2016年に設立されたプラガティのメンターのような役割を果たしている。

チンタナは昨年、生徒の栄養状態を改善するために学校給食に卵を加えるプログラムを開始した。現在、この活動は4つの地区に広がっている。また、環境への関心を高めるために、カリキュラムに植樹を取り入れた。一般的に公立学校の教育の質は低いと考えられており、余裕のある家は子供を別の学校へ通わせる。しかし、数百万人の子供たちはそれができないため、この二つの団体は状況を改善するために尽力している。プラガティは150の学校と連携し、教材や椅子、スポーツのユニフォームなど、基本的なニーズを支援することを目標に掲げている。

有機農業に関しては、どちらの団体が何を担当しているのか少し混乱したが、全体としては、導入と関心を引く段階にある。彼らの主な動機は「健康」だ。各地でガンの発生率が高まっており、彼らはその原因が農業における過剰な化学物質の使用にあると考えている。特に、防護具をつけずに農薬を散布する農民自身が最も高いリスクにさらされている。プラガティのディレクターであるマネシュは、かつてこの町には薬局が一軒しかなかったが、今は40軒もあると指摘した。

有機農業への転換

彼らの当面の目標は、50人の農民に有機農業を実践させることだ。村でアイデアを共有し、関心を示した農民には、例えば4エーカーの農地のうち1エーカーといった小さな区画を転換する手助けをする。アジア学院において、そして卒業後の長きにわたる有機農業の経験を持つチャンナッパは、堆肥、緑肥、バイオ炭、液肥などに関する指導で大きな役割を果たしている。小さな区画で成功すれば、技術を向上させながら徐々に全農地へと広げていく仕組みだ。

そのような農民の一人が、その朝、我々の輪に加わった。シヴァ・ムルティという。1エーカーでの結果に満足した彼は、今ではすべての土地を転換した。彼は、雨が少ない時期でも有機で行っている区画は水分を保持し、作物が元気に育つのに対し、化学肥料を使った区画は干上がってしまうことを観察した。近所の人々もこれに気づき、彼が何をしているのか尋ねてきた。シヴァ・ムルティは喜んでその秘密を共有した。現在、20人の農民が彼の後に続き、たくさんの豆を有機で育てている!彼らは豆が好きなのだ。

時間の管理

会話がアジア学院の話題に及ぶと、チャンナッパとロイ・デイビッドは即座に自分たちの経験を熱心に語り始めた。ロイ・デイビッドはサーバント・リーダーシップについて、チャンナッパはタイムマネジメント(時間の管理)の重要性を強調した。日本人は時間を大切にし、それを最大限に活用しようと努める。アジア学院では、スケジュールや活動が細かく構成されていることにそれが現れている。チャンナッパは、この姿勢をインドに持ち込もうと奮闘している。インドの時間は、学術的な言葉を使えば「多様性的時間(ポリクロマティック)」、平たく言えば「インド標準時」だからだ。

農夫の詩人

私が一言挨拶する番になったとき、まだ自己紹介が済んでいないことに気づいた。我々は長い花輪を飾る美しい習慣で迎えられたが、そのまま会議に突入していたのだ。チンタナの6人のスタッフの中には、有機農業について10曲もの歌を書いたミュージシャンがいた。その人こそが、先ほどの農家、シヴァ・ムルティだった。突然、私の脳裏には、ボリウッド映画のように彼が村で歌い踊り、周りの農民たちが化学薬品の袋を投げ捨てて彼に駆け寄る光景が浮かんだ。もちろん実際にはそんなことは起きなかったが、念のためYouTubeをチェックしてみることにする。

また、ランバニ族という先住民グループの女性もいた。彼女たちは先住民だが、カルナータカ州では指定カースト(基本的にはダリット)と呼ばれ、その呼称に伴うあらゆる苦難や差別に直面している。彼女は同族の土地権利、社会福祉、コミュニティの組織化のために働いている。私は彼女の名前をラヴィと書き留めたが、名前を間違えていないことを願う。聞き慣れない名前を正確に捉えるのは難しい。マラウイでの教訓を活かすべきだった。あるアジア学院の卒業生が、村の集会で、一人ひとりの名前を確実に覚えられるまで、丁寧に繰り返し確認する姿を見ていたのだから。あれは多大なる敬意の表れだった。プラガティからはマネシュを含む4人のスタッフが出席した。ロイ・デイビッドによれば、彼らの多くはかつてCORDで働いた経験があり、チャンナッパもその一人で、ロイが彼をアジア学院に紹介したのだという。

プロジェクターがあったので、長い説明をする代わりに、アジア学院のドキュメンタリー映像を観たいか、と尋ねた。彼らが観たいと言ったので、それを流し、質問を受けた。彼らは非常に興味を持ち、映像が終わると、コミュニティでの生活や自分たちの食料を共に育てること、土壌のケアなどについて、多くの活発な質問が飛び出した。

アラバラ・ゴラーラ・ハディへの訪問

昼食後、アラバラ・ゴラーラのハディ(村)へ向かった。車窓にはココナッツ、アレカヤシのプランテーション、たかきびの畑が次々と流れていく。政府は道路の拡張計画を進めており、その最初のステップとして沿道の木々を切り倒し始めていた。それらは主にタマリンドの巨木で、非常に美しかった。同乗していた人々は、道路よりも木々の方がはるかに重要だと口を揃えた。枝を落とされた姿は実に悲しく、まだ切られずにそびえ立っている隣の木々の威厳と対照的だった。

彼らが4年ほど前に植樹を行った学校に立ち寄った。木はまだ小さかったが、すでにたくさんのグーズベリー、グアバ、レモンが実っており、子どもたちが喜んで収穫している。ここにもタマリンドの木があった。この木は長い茶色の豆をつけ、中身は甘酸っぱく、チャツネにすると美味しい。休校日だったため、子どもたちの姿はなかった。

ここで少し補足すると、いくつかのハディ(村)が集まったものがパンチャヤットと呼ばれる。いくつか、というのは一般に5村で、パンチャヤットの「パン」は、5を意味するからだ。パンチャヤットが集まるとタルク、タルクが集まると地区、地区が集まると州になる。車内でのとりとめない会話だが、私が文中でこれらの用語を多用しているので、皆さんの理解にも役立つはずだ。

クールな農民たち

村に着くと、若い男性を中心とした農民グループに出迎えられた。彼らはすぐにココナッツの外殻を金属製のドラム缶に放り込み、わらを使って火をつけた。それに煙突付きの専用のふたを被せれば、数時間で「バイオ炭」が出来上がる。これは土壌を有機的に構築するための重要な要素だ。バイオ炭は水分を吸収して保持する。シヴァ・ムルティの作物が枯れなかったのはこのためだ。

その後、我々は、あらかじめ用意されていた大きな敷物の上に皆で座って話し合いをした。流行の服にクールな髪型をした若い農民がたくさんいることに、私は嬉しい驚きを感じた。時折、彼らと目が合うと、彼らはすぐに視線を逸らした。私はこれに慣れているし、不快に思うこともない。こうして互いを知っていくのだ。私は、旅をしながら、人々がそれぞれに持つ、ユニークな個性を眺めるのが大好きだ。彼らも私をじっくり見てもらって構わない!ロイとチャンナッパがしばらく農民たちに話をして、その後、私の番が回ってきた。私はアジア学院について短く話し、なぜ有機農業をするのかを語った。「持続可能性」といった言葉の代わりに、「生きている土」、「土に食べ物を与えれば、土が作物に食べ物を与え、作物が我々に食べ物を与えてくれる」といった表現を使った。ロイ・デイビッドが通訳すると、多くの人が(インド流に)頭を横に揺らして頷いた。彼らは真剣に耳を傾けていた。これらの農民は小さな区画で実験している段階で、市販の肥料の代わりに発酵させた液肥を落花生に与えている。チャンナッパは彼らを見守り、助言を与え、種子を提供している。バイオ炭用のドラム缶も彼が提供したものだ。

変わりゆく伝統

どういうわけか、議論は突然、地元の伝統とそれを変えることの難しさへと向かった。伝統を変えるという概念は「パンドラの箱」だが、このケースではほとんどの人が、変化は必要だという意見で一致した。ここでは、月経中の女性は村の外で過ごさなければならないという。彼女たちは小屋や小さな家に滞在するのだろうが、控えめに言っても不便極まりない。チャンナッパはこの習慣を直接議題とする会議を開き、月経は自然な過程であることを説明した。多くの根深い信仰についても長い時間をかけて話し合ったのだろうが、最終的に村はこの習慣を廃止することを決めた。唯一反対したのは老人たちだけだったという。集まりは集合写真で締めくくられ、我々は来た道を戻った。アレカヤシの林が、燃えるような夕日に赤く染まっていた。

たくさん食べること

夕食は再びチャンナッパの家でいただいた。チトラは、お米を丸めたものとそれを浸して食べるヤギ肉のカレーを用意してくれた。最後には甘いデザートも出た。彼女は我々が彼女の作った料理を食べる姿をとても嬉しそうに眺めていた。南インドの人は、たくさん食べてくれると喜ぶのだという。彼女の幸福度を最大にするのは、私にとって造作もないことだった。実際、その努力が実を結び、帰国して体重計に乗ったとき、私は見たこともない数字を目にすることになった。

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