
ウッタラーカンド 20日目
2025年 2月24日 月曜日
色とりどりのお店
朝食後、我々は協同組合の人々に会うために出発した。道中、沿道で木の枝を切り、整えている地元の人々の横を通り過ぎた。道はマヒンドラ車で溢れ、ある急カーブには小さな寺院が立っていた。おそらく、そこで起きた重大な事故をきっかけに建てられたものだろう。ほどなくして町に到着し、驚くほど立派で大きな階段の近くに車を停めた。階段を上がると小さな店があり、そこはレモングラスの香りに包まれ、製品の豊かな色彩で輝いていた。棚にはグースベリー、ライム、オレンジのフルーツジュース、多種多様な食用油、ハチミツや野菜のピクルスの瓶、そしてあらゆる形や大きさのスパイスや豆が詰まった袋が並んでいた。また、山の薬草を食べて育つ「バドリ(Badri)」という地元の牛のミルクから作られた、特に栄養価の高い「マウンテン・ギー」も置かれていた。ギーとは、インド料理に欠かせない、澄ましバターのようなものだ。この店は、女性たちが自らの労働の結晶を販売するための拠点であり、繁栄のオーラを放っていた。


協同組合の集い
二人の女性が我々を歓迎し、他の皆を待つ間、中を案内してくれた。奥の部屋には、脱穀機、油絞り機、そしてキビ、コリアンダー、ターメリック、小麦を挽くための数台の粉砕機があった。彼女たちは組合員や他の村人から農産物を買い取り、洗浄、加工、梱包を行う。未加工の食材を加工することで、販売価値は一気に高まるのだ。ツツジからジュースが作れることをご存知だろうか。私は知らなかったが、今は知っている。これが、ハリシュが教えている「バリューチェーン」の一部だ。収穫から販売時点まで、いかに付加価値をつけて市場と利益を引き寄せるか。昨今、超加工食品が健康を害しているという話がよく聞かれるが、それは大企業の研究所で起きていることだ。ここで行われているのは、製粉や圧搾といったシンプルな加工である。この協同組合は「マラム・エカタ」と呼ばれ、73のパンチャヤット(村落自治体)から430人のメンバーが参加している。設立は2018年だが、その3年前から自助グループとして活動を始めていた。ハリシュの7ヶ月間にわたるJICAプロジェクトでの仕事は、彼女たちにビジネス研修を行うことだった。彼は彼女たち自身にビジネスモデルを作成させ、それを全員で検討し、アドバイスし合う場を作った。また、25種類のビジネスモデルをテンプレートとして設計し、オンラインで共有した。
やがて他の女性たちも到着した。中には40-50km離れた場所から来た人もいる。彼女たちは「マラム・エカタ」の理事たちと、もう一つ、カナウ・ガティという場所の別の組合のメンバーだ。大勢が一斉に話し、しかも言葉がわからないと混乱しがちだが、ハリシュとプーナムが通訳してくれたおかげで助かった!このもう一つの組合にも、62のパンチャヤットから446人が参加しているという。

あなたはどう変わりましたか?
ハリシュは、「活動を始めてから今まで、この協同組合を通じてあなた自身はどう変わりましたか。」という問いかけを皮切りに、話し合いを始めた。すると皆の顔がパッと明るくなり、次々と答えが返ってきた。オレンジ色の服を着た女性は、自信がつき、自立できるようになったと言った。「家を出て世界を目にして、人々と交流できるようになりました。」彼女は装飾品の作り方を学び、その一部は店にも展示されている。ピンク色の服を着た力強い印象の女性は、ホームステイとコーヒーショップという自分のビジネスを始めたという。「今では一人で銀行に行けるんです!」と彼女は胸を張った。彼女はまた、ローズマリー、カモミール、ターメリック、ニンニクなどのハーブを乾燥させて売る方法を学び、今では他の人にも教えている。別の女性は、政府の出先機関へ行って、どんな行政サービスがあるか確認しに行けるようになったと語った。例えば、種子の配布や家畜の駆虫サービス、搾乳量を増やすためのアドバイスなどだ。以前は、女性が一人でこうした役所へ行くのを怖がることが多かった。ふいに誰かが3月8日の「国際女性デー」に言及すると、皆、それが自分たちにとって特別な意味を持つ日になったと頷き合った。
ハリシュは、こうしたグループを築き上げるのがいかに困難かを語った。最初は女性たちに自信がなく、信頼を築くには時間がかかる。彼はまず調査を行い、村の誰が何をしているか、どんな作物を育て、どんな動物を飼っているかを把握することから始める。それからグループ結成の提案をし、誰が名乗りを上げるかを見守るのだ。彼の指導法も独特で、ロールプレイングが最も効果的だという。彼はあえて一歩引いた立場を取り、女性たちが互いに話し合い、経験を共有できる余地を大切にしている。グループが確立されれば、銀行融資や政府の支援プログラムへと繋いでいく。
ハリシュはこのグループで見られた一つの問題点についても触れた。理事たちが財務状況を適切に監視できておらず、未回収の売掛金が膨らみすぎていたのだ。そこで彼は、3人の理事が週に2回、各拠点のオフィスを訪問して帳簿を確認するシステムを考案した。この活動に対し、一人一回500ルピーの手当と交通費を支給するようにした。これは大きな動機付けとなり、「サービスの対価」として非常に理にかなっていた。資金は最初JICAが支払ったが、習慣として定着した後は、彼女たち自身の資金から賄われるようになった。



5年後の姿
「5年後にまたここへ来たら、何が見られますか。」と尋ねると、彼女たちは「成長」と答えた。店はより大きく、製品はより増え、運営に必要なマネージャーも2人から5人に増えているだろう、と。次に、「旦那さんたちはこの活動をどう思っていますか。」と尋ねると、ハリシュは「それは爆弾のような質問だね。」と笑った。少し緊張混じりの笑いが起きた後、女性たちは、夫たちは概ね協力的だが、根深い文化的・家族的な問題はもちろん存在すると答えた。それがどんなものかは想像に難くない。特に、彼女たちがアルコール依存症や喫煙に反対する行進を組織したり、学校で子どもたちにその害を教えるプログラムを行ったりしているという話を聞けば、なおさらだ。
話し合いが締めくくられると、プーナムと私に地元の花で作られた小さな花束が贈呈され、全員で恒例の集合写真を撮った。その後はお買い物タイムだ。ハリシュ、プーナム、そして私は、貴重な茶葉やスパイスをバッグいっぱいに詰め込んだ。私は「抜け毛を防ぐ」と堂々と謳う地元産のシャンプーを購入した。効果があることを祈るばかりだ!

人間としての尊厳
一人の女性が、重いキビの袋をまるで羽根枕のように軽々と持ち上げ、急な階段を下りて車まで運んでくれた。もう一人、ラシュミという女性が、山を下りて組合の事務所へ向かう車に同乗した。車中でラシュミは、ハリシュとJICAに感謝していると語った。このプログラムに関わることで、彼女は「人間としての尊厳」を得ることができ、家を離れて10日間の研修旅行に行くことすらできるようになった。また、家庭に現金収入ももたらされた。ハリシュはそれに応え、彼がいつもこうしたグループに伝えている最も重要なメッセージの一つは、アジア学院から直接学んだことだと説明した。―「共に生きるために(That We May Live Together)」。
ラシュミを送り届けた後も、帰路の車内では協同組合の話題が続いた。全体として、JICAが資金を出し、州政府が資材やマーケティング面で支援している。私が見た限り、プロジェクトは順調に進んでおり、独立への移行も見事に成し遂げるだろう。プーナムも関わっており、彼女たちの製品を買い取ってデラドゥンで販売している。彼女は顧客に、山で暮らす女性たちのこと、彼女たちがいかに懸命に働いているか、カモミールの花が咲き誇る畑がいかに美しいかを語り聞かせるという。そして買い手のフィードバックを組合員に持ち帰る。品質と需要が高まるにつれ、価格も自然と適正なものへと上がっている。
ガンジスの水
川沿いの道を下る途中、あちこちでサルの姿を見た。サトウキビをたくさん積みこんだトラクターがまだ行き交っており、ガンジス川に近づくと、大音量の音楽を鳴らすトラックと共に「マハー・シヴァラートリ」の祭りの喧騒に再び遭遇した。この人たちは、本当によくお祝いの仕方を心得ている!今度は、天秤棒の両端に壺をぶら下げて運んでいる人々を見かけた。片側に4つずつ下げている人もいる。あれは「ガンジスの水」、つまり聖水なのだと教えられた。プーナムが沿道の野菜売り場を見つけ、そこで食材をたっぷり買い込んだ。通りの向かい側では新鮮なサトウキビジュースを売る男がおり、私が「飲んでみよう」と提案した。ハリシュは衛生面を心配して注意を促したが、プーナムも興味を示したため、結局みんなで頂いた。サトウキビと一緒に絞るライムが、その味を格段に引き立てていた。
数km進むと、再びガンジス川の両岸に立つパールヴァティーとシヴァに出会った。私たちは聖なる川を渡り、家路へと急いだ。高速道路沿いの看板には「バーガー・シン」の広告があり、ターバンを巻いて立派な髭を蓄えた男性のキャラクターが描かれていた。出される料理はベジなのかノンベジなのか、私はふと気になった。



バドリと夕食
ハリシュはいろいろなことを話してくれた。2004年の津波支援活動に参加したことや、もしアフガニスタンを歩くことがあれば白い石の標識を辿ったほうが良いこと。白い石がなければ、そこには地雷があるかもしれないということ。40年以上前のことだが、アジア学院での思い出は今も彼の心に鮮明に刻まれている。例えば、地元のモモやナシを作る農家を訪ねたこと、カモの燻製の作り方を学んだこと。アジア学院でのルームメイトは台湾出身者だったが、今は連絡が途絶えてしまったという。恩師である高見先生と菊地先生からは、食事の後は皿に米一粒たりとも残してはならない、それほどまでに食べ物は大切なものだと教わった。「箸を使って最後の一粒まで拾い上げなさい。」と。
コテージに戻ると、バドリが大興奮で迎えてくれた。ウッタラーカンドの山々に住む強くて逞しいウシの名前が「バドリ」だったのを覚えているだろうか。しかし、このバドリはウシではなく、彼らの強くて逞しい愛犬だ。人間も犬も、2日ぶりの再会を心から喜んだ。私自身も犬好きなので、その気持ちは痛いほどわかる。うちの犬「モチ」も自分のInstagram(分かっている、分かっているとも)を持っていて、それをプーナムに見せると彼女はすぐにフォローしてくれた。
驚くほど短い時間で、テーブルにはライス、ダル(豆のカレー)、そして出来立ての野菜料理が並んだ。我々は、留守中に家とバドリの番をしてくれていた長髪の大学生と一緒に、夕食を共にした。



