
ウッタラーカンド 19日目
2025年 2月23日 日曜日
次なるドライブ旅行!
朝食の時、リタとスーレンダーが、訪問の記念に二人のサインが入った本を贈ってくれた。それは『パボリに水』という、MGVSの歴史を記した一冊だった。読み進めてみると、このMGVSの歴史こそがスーレンダーの人生そのものであることが分かり、彼がこの本を私に持っていてほしいと願った理由が腑に落ちた。
その後、スーレンダーは私をアケタ・ホテルまで送り届けてくれた。そこではハリシュ・チョタニ(1981年アジア学院卒)が私を待っていた。さて、最後のドライブ旅行に出かける準備はいいだろうか?目的地のランスダウンまでは5時間の道のり、ガソリンは満タンだ!ランスダウンはムスーリーに似た涼しい避暑地だが、今回の目的は休暇ではない…いや、少しはそれも含んでいるかもしれないが。ドライブ旅行はいつもワクワクに溢れている。我々は、ハリシュが関わっている二つの女性協同組合を訪ねるためにそこへ向かっていた。この冒険に同行してくれたのはプーナムだ。彼女はマイクロファイナンス(小口融資)に17年間携わっており、女性たちのマーケティングを支援している。彼女自身、彼女たちに直接会うのは今回が初めてだという。ちなみに「プーナム」という名前は、ヒンディー語で「満月」を意味する。
我々はデラドゥンの目抜き通りを抜け、街に入るときに見たあの巨大な並木道を再びくぐった。ハリシュによれば、街を行き交うバスはすべて電気バスだという。通りにディーゼルの刺激臭がないのはそのためで、大きな改善だ。また、彼はウッタラーカンド州が高質な教育機関で知られていることにも触れ、その一つとしてウッドストック・スクールを挙げたが、授業料は決して安くないとも付け加えた。


アフリカでの3台のランドクルーザー
いつものように車内での会話はあちこちへ飛んだが、重要な部分を整理して伝えることにする。ハリシュがアジア学院へ行ったのは弱冠25歳の時だった。彼の実り豊かなキャリアは、その直後、国連世界食糧計画(WFP)での南アフリカにおける13年間の勤務から始まったと言える。彼は誇らしげに、そこで3台ものランドクルーザーを乗り潰したと語ってくれた。人々のいる場所へ向かうために、いつだって悪路を走り回っていたからだ。彼の専門は女性協同組合のためのマイクロファイナンスだが、これは事務所に座っていてできる仕事ではない。自ら出向き、彼女たちに会い、座って話し、同じものを食べる。そして何より大切なのは「耳を傾ける」ことだ。成功する信用組合の基盤は、お金ではなく「信頼」にある。信頼がなければマイクロファイナンスは失敗する。逆に、良好な信頼関係を築くために適切な時間と労力を投資し、それを適切な管理(ハリシュが教えていることだ)と組み合わせれば、その影響は絶大で永続的なものになる。端的に言えば、女性たちが「薪を拾い、牛に食べさせる草を刈り、料理をし、子どもの世話をすることだけ期待される」存在から解放され、家族や地域の意思決定に参加できるようになるのだ。彼女たちが得る現金収入によって、子どもたちは学校へ行けるようになり、家の修繕ができ、病院への受診が家計の破滅を意味しなくなる。中には金の宝飾品を身につけるまでになる女性もいる。欧米の高級スーツのように、それは彼女たちのステータスを高める。「我々のような人間が、変化のきっかけになれる。知識、情報、資源、そして技術によってね。」とハリシュは述懐する。「私は39年間で、100万の家族に教えてきたんだ。」
アフリカの後、ハリシュはアフガニスタンで2年間、再びマイクロファイナンスに従事し、その後インドにおいて、ケア・インターナショナルなどの団体で活動を続けた。彼の膨大な履歴書をそのまま載せたほうが早いかもしれないが、それでは面白くない!こうして一人の人生をパズルのように繋ぎ合わせていくほうが、ずっと本質的だ。「地域開発をするとき、目の前に100人、1,000人の人々が座っていることがある。一人一人が、それぞれの考え、アイデア、期待を持っているんだ。」と彼は言った。私は、その1,000人の前に立つのはどんな気分だろうと考えた。私ならその人たちに何を語るだろうか?共通の目標に向けて、どうやって動機づけを行うだろうか?人々を組織化するのは簡単な仕事ではない。それには卓越したリーダーシップが必要であり、だからこそハリシュがそこに派遣されていたのだ。
2007年頃、ハリシュは燃え尽きてしまう前に仕事量を減らすべきだと考え、コンサルタント業へと移行した。自分でスケジュールを立てられるようになったことで、自己研鑽のために瞑想を学ぶ時間ができた。自分自身に時間を投資することで、他者との繋がりもより良くなることに彼は気づいた。2018年に完全に引退すると、彼はアジア学院を訪れた。言い忘れていたが、私はその時に一度、ハリシュに会っている。彼は我々に、自身が実践している瞑想を教えてくれた。「完全に引退」と言いつつも、時折引き受けるプロジェクトは別格のようだ。直近のものは、JICA(独立行政法人 国際協力機構)と共に、今我々が向かっている先の協同組合の発展を支援するプログラムだった。

ガンジス川を越えて
正確な時間は覚えていないが、しばらく走ると、聖なる都市ハリドワールで母なるガンジス川にたどり着いた。ここはヒマラヤから下ってきたこの川がインドの平原へと流れ出す地点であり、巨大な寺院群が並んでいる。そこでは葬儀が行われ、死者の遺灰は聖なる大河の流れに乗って天上へと運ばれる。ここはヒンディー教徒の巡礼地でもあり、ちょうどその日も大規模な巡礼が行われており、数㎞にわたって人の列が続いていた。多くの人々が「カンワル」と呼ばれる色鮮やかな飾りを肩に担いで歩いていた。それは竹で作られ、花や色布で装飾された手作りの供物で、シヴァ神への献身を象徴している。ハリシュの説明によれば、これは「マハー・シヴァラートリ(シヴァの偉大なる夜)」と呼ばれる祭りで、シヴァとパールヴァティーの結婚に関連しているという。ガンジス川に架かる長い橋を渡る際、プーナムが西岸に立つ巨大な青いシヴァ神の像と、東岸に立つその妻パールヴァティーを指さして教えてくれた。


ここから道は広い高速道路を外れ、巡礼者とカンワルの列が果てしなく続いていた。大半は歩いていたが、バイクやオートリキシャ、人々を満載したトレーラーを引くトラクターも数多く見られた。時折、黒いスピーカーを空高く積み上げ、重低音を響かせながら伝統的なインドの楽曲を大音量で流すトラックに遭遇した。ついに祭りのクライマックスである集結地点に差し掛かると、そこはテントや露店、音楽と「祭りを楽しむ人々」で溢れかえっていた。しかし、そこを通り過ぎると、あっという間に景色は静かで平坦な道へと戻った。

「使い捨て」のティーカップ
それは、お茶を飲み、プーナムが勧めてくれた麺料理を食べるのにうってつけのタイミングだった。麵料理は軽食としてちょうど良く、お茶は素焼きのカップで出された。知らなかったのだが、このカップは使い捨てで、飲み終わった後は地面に叩きつけて割るものらしい。私は親切にもそのまま店主に返したが。大きな容器を数缶積んだバイクの男がやってきて、その中の一つを開けた。それは水牛のミルクだった。おそらくこの茶屋の店主はその買い手の一人で、私が飲んだお茶もそのミルクで作られたものだろう。祭りのせいで通常の2倍の値段になった車中で食べる果物を購入した後、プーナムが「チェレ(行こう)。」と言い、我々は再び走り出した。


持続可能な暮らし
引退後、ハリシュはデラドゥンに落ち着き、地元の資材を使ってコテージを建てた。太陽光発電で電力をまかない、暖炉で暖をとっている。周囲の土地ではあらゆる種類の果物や野菜を育て、溜めた雨水で水やりをし、堆肥で栄養を与えている。彼はこの場所を、友情を意味する「マイトリ・ファーム」と呼ぶ。彼の目標は、より持続可能な暮らしを実践し、その技術を近隣住民と共有することにある。近所の人々も彼の取り組みに興味を示し、何をどうやって育てているのか聞きにくるという。地元の人の多くはバスマティ米を栽培しているが、ハリシュは土地の端を活用してハーブを植え、収入を補うよう勧めている。そして、自分の小さな土地で混植のバランスを整えれば、ほぼ全ての面積を有効活用できることを実証している。
しばらくすると、サトウキビを山積みにしたトレーラーを引くトラクターが次々と現れた。ほどなくして、その理由が分かった。サトウキビ工場だ。道端に立っていた抜け目のない少年が、農家が通り過ぎる瞬間に茎を一本巧みに抜き取り、まんまと逃げていった。その後、たどり着いた町では、ウシたちが特別に怠け者なのか、あるいは図々しいのか、道の真ん中で悠々と寝そべっていた。ハリシュは「ウシが聖なるものなら、なぜプラスチックを食べさせておくんだ。」とこぼした。そこで我々は山道へと折れ、キラキラと輝く川に沿って走り、宿泊先の「サミット・ジャングル・リゾート」に到着した!


道端でのご馳走
しかし、リゾートに着く前にもう一箇所立ち寄る場所があった。ハリシュとプーナムがとても楽しみにしていた道端のレストランだ。そこには土窯(タンドール)があり、手作りの焼きたてのロティ、「ガラム・ガラム・ロティ」が次から次へと運ばれてくる―まさに天国のような場所だった。ハリシュはベジタリアンなのでベジ・カレーを、ノン・ベジタリアンの私もベジ・カレーを注文した。正直なところ、インドでは肉がなくても全く困らない。肉を使わないカレーのバリエーションの豊かさと美味しさは格別だ。
その夜、チーターがまだ野放しで走り回っているという暗い森を見下ろすロッジのデッキに座り、我々の議論は宗教的な話題へと及んだ。ハリシュは、自分はいかなる「イズム」にも属していないと言った。つまり、特定の宗教や信念体系に自分を定義したり、閉じ込めたりしないということだ。彼はしばしばブッダの教えを引き合いに出し、ヒンドゥー教の特徴を説明し、イエスのメッセージを省察していた。ブッダは「自分が真実だと思うことを語るな。」と人々に説いたと彼は言い、またイエスの「天の国はあなたがたの間にある。」という言葉を引用し、ブッダも非常によく似たことを言っていたと語った。ヒンドゥー教については、三柱の主要な神、すなわち破壊神シヴァ、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌについて詳しく説明してくれたが、私はその詳細をメモしきれなかった。これについてはお詫びするが、対話が進むにつれ、私はペンを置いてただ会話を楽しむことに決めたのだ。しかし、彼が述べたもう一つの思索を私は書き留めておいた。「いかなる真の宗教も暗闇へと導くことはない。しかし、信者は自分の宗教の意味を知るべきであり、ただ盲目的に従うべきではない。」という言葉だ。この言葉は、彼が長年、異なる人々や文化と共に働いてきた経験から生まれたものに違いない。



