
ウッタラーカンド 22日目
2025年 2月24日 月曜日
最後の夜
詰め込まれた3週間が過ぎ、帰国の時が来た。フライトは今夜遅くだ。今日は、これまでの歩みを振り返り、蓄積された膨大なメモを整理する「減圧」の一日に充てよう。朝食にはカレーとイドゥリ、そしてドーサを食べた。ようやくインド料理の見分けがつくようになってきた。昼食はチキンマサラ、そして夕食は…中華風のセサミチキンだった。
ホテルの部屋の窓から外を眺めると、いくつかの空き地が見えた。多くの土地ではホテルの建設が始まったばかりで、中には「この土地は〇〇家が所有している」という大きな看板が立っている場所もあった。土地の不法占拠から守るためだろう。他の空き地には、小さなスラムのようなものが見えたが、おそらく建設労働者の仮住まいだ。彼らは近隣の州から家族を連れてやってきて、セメントミキサーとクレーンの間に張られたテントで暮らしている。世界中の多くの人々にとって、人生は今もなお、生き抜くための日々の闘いなのだ。


最後のタクシー話
前夜、ホテルまで送ってくれたのは電気自動車のタクシーだった。運転手から「明日、何時に空港へ行くんだ?」と聞かれ、まだ決めていないと答えた。それで終わりだと思っていたのだが、翌日の午後、部屋に「タクシーが来ている」と電話があった。えっ? 彼は私を迎えに来たのだ。定額制のUberを使いたかったのだが、彼がそれなりの適正価格を提示してきたので、夜の10時に彼にお願いすることにした。ところが、8時半にまた電話があった。「タクシーが着いたぞ」と。なんと! 私の運賃は、彼にとってそれほどまでに重要だったのだろうか。10時、私は車に飛び込み、出発した。到着すると、彼は300ルピーの追加料金を求めてきたが、私は合意していた金額だけを渡し、彼の腕を軽く叩いて別れを告げた。
このタクシーの話をもって、私の旅日記を終えることにしよう。日本への帰国はあまりにもスムーズで、ここでも語るべきネタは何一つなかった。ここまで読み進め、この最後の一文にまで目を通してくださった皆さんの忍耐に感謝したい。インドを味わうだけでなく、私が知る限り最高に非凡なアジア学院卒業生たちの人生の一端を感じ取っていただけたなら幸いだ。

スーツケースの中身は?
待てよ、もう一つ話があった。税関のチャーミングな女性職員のことだ。ああ、怪しげなスパイスや茶葉の詰まったスーツケースを、どれほど開けたくなかったことか。しかし、彼女が「スーツケースを開けて、中身の荷物をすべて説明してください」とあまりに愛らしく頼むので、従うしかなかった。隠すものなど何もないが、食品の持ち込み制限については、何が良くて何がダメなのか、いつも確信が持てないのだ。ありがたいことに、ターメリック、紅茶、バニラなどは法的に問題なく、彼女は私を入国させてくれた。
それでは、次の冒険まで。ごきげんよう。

